039:軋轢のデビュタント③ 中継点アザリアⅡ
高級ホテルの三階部分。
割れたガラスの破片が散乱する床は赤みのある絨毯が敷かれており、おかげで脳漿と体液をぶちまけられた黒装束4人が転がっていてさえ幾分かの凄惨さが失われていた。
黒く塗られた短刀の如き暗器、知る者が見れば苦無であると即座に看破したであろうが、そういった器物を逆手に持って構える黒ずくめ二人は眼前にて佇む少女の形をした何かから発せられる異様なまでの気勢を前にジリジリと後退る。
「あら、どうしたのかしら。暗殺が任務なのでしょう? でしたら己が矜恃と命を賭して、死ぬと分かっていてもなお突っ込んでくるのが暗殺者というものではなくて?」
鋼色の艶髪が割れた窓ガラスの隙間からビュオと差し入る風と戯れる。
少女は悦びと殺意に充ち満ちた笑みを浮かべ一歩、また一歩と黒装束どもへと近づいて行く。
黒ずくめ達は確かにこの四名を、特に銀髪の幼娘を暗殺するよう命じられていた。
女でかつ子供を手に掛けるなど漢としてあるまじき鬼畜の所業と分かっていてさえ了承したのは、それが彼らの存在意義であり忍者としての矜恃であるからだ。
幼娘には申し訳ないが、己とて殺生を生業とする身。ならばと手勢を引き連れ情報にあったホテルへと強襲を掛けた。
それなのに、いざ蓋を開けてみればどうだ。
六名の内の四名が、何をするより先に頭蓋を砕かれ息絶えたじゃあないか。
己たちの前に在るのは、一体何なのか?
恐怖と驚愕が自然と膝を微動させる。
少女の佇まいは優美。なのに指先から繰り出される金属球の殺傷能力たるや一撃必殺。
腹の底から湧き上がる畏れ。
少女が一歩距離を詰めれば同じだけ後ろに下がるのは、意思とは関係無く、本能が逃れ得ぬ死を予見しているから。
忍者はジットリと全身を濡らす脂汗と意識していなければ途端に荒くなる呼吸を制しようと無駄な努力を重ねる。
パキャンッ!
軽い破裂音がして思わず目を向けた黒ずくめは仲間の頭部が粉々に砕け顎から上が消失しているのを見てしまう。
「……っ!!」
同じ釜のメシを食った仲間の末路。
物言わぬ骸となった体躯が粉々になっているガラス片の上へと崩れ落ちる。
言葉を失い、急いで目を向け直した男。
廊下の真ん中でゆっくりと歩いてくる鋼色髪の少女が愉悦に充ち満ちた笑みを浮かべている。
それはもう悪魔の笑みにしか見えなかった。
「ぐぅ……!」
呻いて、それでも逃げ出す事も斬り掛かることもできない男。
もうダメだと。あと数秒もしたら自分も彼ら仲間達と同じく黄泉の国へ連れて行かれるに違いないと、絶望の呻き声を漏らす。
少女はふと握った手の向きを窓側へと向け、狙いを定めたふうでもなしに何かを弾き飛ばした。
ガラスが粉々に砕け散り、と同時に窓の向こうから頭部を破壊された黒ずくめの一人が飛び込んでくる。
今しか無い。そう思って男は弾かれたように身体の向きを変えて駆け出す。
後ろを振り返ってはいけない。
振り返らなくても次の瞬間には自分の頭蓋骨が後頭部から破裂させられ絶命するかも知れない。
それでも一縷の望みを胸に走り続けるしか出来なかった。
「あらあら、どこへ行こうというのかしら?」
それなのに、絶望は真ん前にいた。
まるで最初からそこに居て待ち構えていたかのように。
気配の流動すら感じないまま、鋼色髪の少女が回り込み自分の向かう先にて既に佇んでいるじゃあないか。
「ヒィッ!?」
思わず声が出てしまった。
少女はゆ~っくりと手を持ち上げる。
握った手の上に乗せられているのは鉛色をした球体で、男はようやく彼女が目にも止まらぬ早さでそれを撃ち出していたのだと気付く。
ボンッ!
視界が唐突に途絶えた。
鼓膜を震わせた音の正体を突き止めることは叶わなかった。
なぜなら彼はその瞬間にはもう頭部を眉間から撃ち抜かれ帰らぬ人になっていたのだから。
――そして静寂が訪れる。
絨毯敷きの廊下には尚も割れたガラスが散乱しており、まかり間違って裸足で駆けたりなどすれば足裏が血塗れになったに違いない。
「お姉様っ!」
少し距離が開いてしまったからと勢い込んで駆けてこようとするアリサ。
しかしルナは彼女の動作を手で制すると肩越しに顧みて可憐なる唇から冷涼な音色を紡ぎ出す。
「この人達はあなたの差し金、という解釈で間違いないかしら?」
するとルナのずっと後ろの方から絨毯を踏み締める軽快な歩調が微かにしてくる。
まだ無事な窓ガラスから斜めに差し入る月明かり。
頼りなくも柔らかな光に輪郭を浮き立たせるそれは、一人の少女だった。
「ええ、お気に召して頂けたかしら?」
悪びれたふうも無く返すのは腰まで伸ばされた極黒の髪と仄暗くも微かに紅い光を双眸に灯した少女。
面立ちは人形を思わせる程に端正で、それでいて冷たい印象を受ける。
身に付けているのは黒いドレスで、そのせいで露わになっている肩口や首筋といった素肌の白さが際立っていた。
一見しただけなら吸血鬼の類かと疑ってしまいそうなくらい静謐な趣だ。
「貴女は?」
「申し遅れました、私はリブライ・ミューエル侯爵の娘、シェーラ・ミューエルにございます」
「ああ、あなたが……」
月光を浴びてのカーテシー。
端から見るに「おまえ自分に酔ってるだろ」とツッコミ入れたくなっちゃう光景だ。
合点がいったというふうにルナは頷いて、それから極黒髪少女に体全部で向き直った。
「事務的な話を先に済ませてしまいましょう。貴女の手勢が壊したり汚したりしたホテルの修繕費は、当然あなたが支払ってくれるのよね?」
「え、ええ。……思ったより細かいのね」
ちょっぴり毒気を抜かれたように息を吐いたシェーラ嬢。
ルナはこれなら安心だと肩から力を抜いて、次に廊下の窓側へ歩み寄ると掌をかざした。
ボンッ!
廊下の壁に大きな穴が開いた。
黒ドレスの娘さんは驚きに目を見開く。
「折角だし、もう少し広いところに行きませんか? 貴女とは是非OHANASHIしたいわ」
薄ら笑みにて唇を歪めて極黒髪を見遣る。
手合いは僅かながら呆れた様な顔をしたが、気を取り直したのか口紅でも引いているのかと疑ってしまうほど真っ赤な唇を笑みに歪ませ、黒髪の少女は足を前に出す。
ホテルの三階から飛び降りるのか。なんて心配は要らない。
なぜならルナは武空翔にて空を自在に飛翔できるし、黒髪娘にしたって絶対に似たような移動手段を会得しているに違いないと確信していたから。
「ああ、地理には疎いから、貴女が良さげと思った場所で良いわ」
「敵に場所を指定させるだなんて、随分と剛毅ですのね」
「ええ、到着した場所に居る人間は問答無用で鏖殺するつもりですから」
「虚勢、ではなさそうですね。なんて恐ろしい御方なのかしら」
うふふっ、なんて悪戯っぽく笑みながら黒ドレス少女が予想した通りに宙に浮き、大人一人が楽に潜り抜けられる程の壁穴へと身を踊らせる。
ルナはウッキウキといった気配もそのままに、極黒髪少女の後を追うのだった。




