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006:平和な一日


 閉め切られたと言いながら僅かながら開いたカーテンの隙間から差し入ってくる陽の光。

 ベッドの上で丸まったまま寝息を立てていた7歳女児が、朝の気配と身を苛む冷気にブルリと身を震わせ瞼を開ける。


「うぅ……さぶっ」


 眠るときにはシーツにくるまり蓑虫状態だったはずなのにと怪訝そうに目を足下に向ける。

 するとそこには飼い主から強奪したシーツを被ってスヤスヤと寝息を立てている五歳女児の姿が。


 いや、お前寒いなら毛皮モコモコの犬になりゃ良いじゃねえか。

 なんて、つい前世のしかも若かりし頃の口調で思ってしまう娘さん。

 ルナはやるせない息を吐いて、今後も続くようなら預言書(ゲーム機)を奪って家から追い出してやると心に誓うのだった。


「お嬢様、朝になりました――」


 頭を切り替えてベッドから跳ね起きたルナは、ここでタイミング良く入ってきた専属メイドのアンナに驚かれてしまう。

 普段ならこの時間もまだ寝ているはずだから。

 前世で早起きだったのは加齢が主な原因で、特に今のお貴族様生活にどっぷり漬かっていれば尚のこと誰かに起こされるまでぐーすか寝ているお嬢様なのである。


「珍しいですね、まだ朝も早いですのに」


「ええ、そこの駄犬――」


 そこまで言い掛けて表情を強張らせる。

 シロは普段は名前通りの白いわんこ姿で、与えられた餌にがっついている時でさえその姿で通しているというのに、今は長い白髪が不気味さを燻らせる5歳児。

 どう言い訳したものかと思案していると怪訝に思ったメイドがベッドの袂までやって来てシーツを剥ぎ取る。


「わんわんっ」


 するとそこには光の速さで犬に化けたシロの姿ががが……。

 なんて変わり身の早いヤツなのかしらと半ば感心、半ば呆れのルナお嬢様である。


「ではシロちゃんの餌やりお散歩その他諸々は私が責任を持って致しますね♡」


「すっげー嬉しそうね。私に対するのとはえらい違う」


「そりゃあ、モフ……もとい主人の飼い犬をお世話することだって専属メイドたるこの私の重要な業務の一つですから」


 赤毛のメイド16歳、独身につき彼氏募集中らしい。

 その落ち着きのなさが改善されればもうちょっと見込みあるだろうよとは決して言葉にされることのないルナの所見であった。



 ――さて、本日は午後から史学の授業が予定されているだけで、この前後にこれといった予定は入っていない。

 なのでルナは屋敷の庭の隅っこ、邸宅の警備として常時詰めている兵達が日ごとの訓練に使用している修練場へとやって来た。


「如何されましたか、お嬢様」


「気にしないで。ちょっと運動したくなっただけだから」


「ではどうぞご存分に」


 先客として5名の警備兵が訓練に汗していた。

 ディザーク侯爵家では五十名ほどの兵を雇い入れているが交代制なので詰め所にいるのはこの半分、二十余名が即応可能といった警備体制だ。

 

 侯爵家は伯爵家や子爵家よりも上の立場なので本来ならこれでも少なすぎるのだが、家柄的に文官の家系でかつ王都からそれ程は離れていない都合からそれほど大所帯にしようといった考えは当主代理サラエラにはなく、ジルもその考えに賛成していた。

 まあ、ぶっちゃけた話が経費節約の意味合いもあるのだ。


(まだ体が出来ていないし本当なら厳しい修行は厳禁なのじゃが、ちょっとだけ……)


 幼い肉体で無茶な修行を行うと強化する前に壊してしまったり後に響く疾患を抱えやすい。なのでどうしても行いたいなら適度な間隔を開け、かつ軽めの運動に終始しなければいけない。


 生前は難病を患っていた。

 “修行したくて堪らない病”。

 その名の通り修行したくてしたくて仕方なくなる恐ろしい病気だ。

 発作は昼夜を問わずあるとき突然やってきて狂おしいまでの飢餓感を叩き付けてくる。

 そして生まれ変わって麗しきご令嬢になってさえ発作に襲われていた。

 恐らくは重度の、かつ不治の病なのだろう。

 これまでは部屋に籠もって腹筋背筋スクワットを50セットした後に氣を練る訓練に勤しむといった所謂いわゆる“おうち修行”でも何とか我慢出来た。

 幼すぎる体に無理な負担を強いて壊れでもしたら大変だと自分に言い聞かせ騙し騙ししてここまでやってきたのだ。

 だがいいかげん限界だった。

 自室だとあまり激しい運動は出来ないし大きな音を立ててしまわぬよう気を遣っての訓練は、それはそれはストレスの溜まる代物なのである。


 なので本日は爆発寸前の修行欲求を発散すべく石畳を踏み締めた次第。

 動きやすい短パンとTシャツ姿でかつ長く艶やかな銀色髪をポニテにしたルナは修練場に足を踏み入れるなり周囲と二三言葉を交わしただけで後は黙々駆け足を始めストレッチで全身の筋を伸ばすのだ。


(おほぅ! 全身の筋肉が! 骨が軋んでおる! 歓喜の声をあげておるわ!!)


 ミシミシと音を立てているかに思われる己が肉体。

 腹の奥から悦びが湧き上がってくる。

 修行。ああ、修行。なんと満ち足りた時間なのか!


 と、ルナは上気して半ば恍惚とした顔で念入りに肢体を伸ばす。

 少女の運動する風景を微笑ましく見ていた非番兵たちは、そんな彼女に格好良いところを見せようと訓練用の剣など使って模擬戦を始めた。

 なのに麗しの銀髪お嬢様は兵達の気合いなんて知った事かと正拳突きやら上段蹴りの練習を始める始末。

 ならばと兵達は鎧甲冑を着せた案山子かかしを修練場の脇に設置、木剣にて打ち込む訓練へと移行した。


 ……いや、君らどんだけ承認欲求強いねん。

 つい目を向けてしまった少女の感想はこれだった。


「あ、そうだ。折角ですしその案山子、一つ使わせて下さいな」


 男達に近づいて行っておねだりしてみる。

 すると彼らは良い笑顔で頷いた。


「ですけどお嬢様、剣を振るうにしたって俺達が使ってるのはお嬢様には大きすぎやしませんか?」


 心配してというよりはどこか小馬鹿にするような口調で、それでも訓練用の木剣を一本カゴから引き抜いて持って来てくれる。

 それもその筈で修練場に子供用の木剣は置いておらず、同時に大人用の木剣というのは今の幼いルナの体格には長すぎる。

 本人にしてもそれは承知しているようで差し出された訓練剣には首を振って、握り絞めた自身の小っちゃくて可愛らしい拳を彼らに見えるようかざした。


「私、剣はそんなに得意じゃないんです。案山子かかしは殴ろうかと」


「え、手を痛めますよ?!」


 驚いた兵に少女は曰う。


「大丈夫。あと、たぶん案山子の方が壊れてしまうと思うので代替品の請求をお母様のところに回して下さいね」


 ふふっ、なんて悪戯っぽく微笑むルナ。

 この魔性の魅力に男共はメロメロに。


(今日のお嬢様、なんかめちゃくちゃ可愛く見えるんだけど)

(俺もそれ思った)

(心から楽しんでるって感じだな)

(よく部屋に籠もってるからインドアな方だと思ってたけど意外にアクティブなのかも……)

(く~、こんな嫁さん欲しいぜ!)

(え、娘じゃなくて嫁?! おま……)


 男達が何やら小声で囁き合うが知ったこっちゃねえ。

 ルナはスキップでも踏み出しそうな弾む足取りで鎧を着せられた案山子の真ん前までやって来ると、腰を落として構える。


「すー……」


 息を吸いつつ握った拳を鎧の腹部分に押し当てた。


「しっ!」


 ――桜心流氣術、虎砲。



 ボグンッ!!!



「……え?」


 それまで浮かれていた男達が呆然と結果を見つめる。

 少女が拳を押し当てた鎧の土手っ腹に大きな風穴が空いていた。

 風穴が空くという事は、鎧の内側にあった木の柱も同時に粉砕しているということ。

 ルナに貸し出そうとして断られたまま男が手にしていた木剣が床に落ちてカラリと音を立てる。

 案山子の上部が支えを失って同じく床に落ちた。


「ふぅ、やっぱり体が鈍ってるみたいね。本来の半分も威力が出てないわ」


 お嬢様が事も無げに曰い、やれやれと苦笑する。

 しかし端で見ていた男達にしてみれば堪ったものじゃあない。


 もしも鎧に穴を開けるといった芸当が生身の人間に対しても行えるのだとしたら。

 ゾクリと背筋に冷たい物が走って、兵達は身動きするのも忘れてただ少女の横顔に魅入るばかりであった。




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