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033:聖女育成計画⑩ 陰鬱の迷宮、終盤


 ――ゴゴゴゴゴゴゴ。


 地響きの如き圧迫感が全身を刺す。

 淀んだ空気が微かに流動し、地下三階の床を踏み締めた面々の体躯を歓迎するが如く撫でている。


「――ああ、随分と懐かしい姿だ」


 七名の先頭を往くルナが、視界奥に佇む人型を見つけて呟いた。

 それは全身を漆黒の鎧に覆われた、首の無い騎士。

 彼は首を己が腋に挟んでおり、腰に差した長剣を引き抜くと眼前までやって来た鋼色髪の少女へと切っ先を向けた。


「よくぞ辿り着いた。神の力を授かりし勇者よ」


 騎士は、どうやってかよく通る声で少女を出迎え、そして告げる。


「ならば最後の難関として、見事我を屠ってみせよ!」


「じゃあ遠慮なく」


 ルナが告げて、と同時に床が陥没。

 その儚き立ち姿が騎士の懐に潜り込んでいた。


「ぬぅ?!」


「何度でも殺してやる」


 ボグンッ!


 細く繊細な指が拳を作って鎧の腹に押し当てられる。

 そして轟音。

 “虎砲”と名付けられた技が炸裂した瞬間、鎧の腹部が大きく陥没する。

 衝撃に吹っ飛ばされたかと思われた体躯はしかし床に足を突いて踏ん張り転倒を堪えた。


「この技は……」


 ミシリ、と音を立てて大きく身をよじった漆黒鎧。

 その手には不気味に色付く長剣が握られている。


「相変わらずのウスノロっぷりだな」


「ぬかせっ!!」


 漆黒騎士が手にした剣で薙ぎ払う。

 少女は宙に身を踊らせ凄まじい速度で振り抜かれた刀身を難なく躱した。

 トンッ、と軽い足音と共に床に着地したルナ。

 騎士は兜の面具から覗く双眸にて未だ幼くも麗しき肢体を凝視する。


「貴様は……、何者だ?」


「レディーに名を尋ねるときにはまず自分が名乗るもんじゃねえの? 知らんけど」


 言葉を交わすには充分な距離。

 しかし互いに攻撃の射程外であるため迂闊に打って出ない。

 それ故か、両者は幾ばくか軽い調子で遣り取りする。

 肩を竦めて見せた鋼色髪のルナに、漆黒鎧の兜首が笑い声を手向けた。


「そうだな、確かにその通りだ。ならば聞け、麗しきレディー。我が名はシュレイ。首無しデュラハンなどと呼ばれる事もあるが、それは人間共が勝手に付けた名だ。また我が愛馬はかつての戦いにより亡き者となった」


「ああ、知っている」


 漆黒の首級くびが少女の囁きを耳に捉えてピクリと反応する。


「美しきお嬢さん(フロイライン)、貴殿とは過去に遭ったことがあるだろうか?」


「いいや、あるワケが無かろう? なにせおれは十二歳の小娘なのだから」


「……だが幼い少女であるとするには、少々粗暴が過ぎないか」


「粗暴って言うな。ああ、それとな――」


 女子中学生ルックの上から薄茶色の短尺マントを羽織り、両腕に手甲を填めているといった出で立ちのルナが、腰ベルトにくっつけていた袋から鉛色をした小さな塊を取り出し真上に向けて指で弾き出す。

 一秒ほどの沈黙の後に、頭上から中身の詰まった漆黒兜が落ちてきてガシャリと床に叩き付けられた。


おれを見下ろすな。不愉快だ」


 ビクリと身を強張らせる胴体を一瞥、床に転がっている頭を鷲掴みで拾い上げるとそちらへと投げて寄越す。

 まるで気安い友人とキャッチボールでもしているような柔らかい気勢だった。


「よく分かったな」


 それまで腋に抱えていた頭を簡単に投げ捨てると新たに飛んできた頭を片手でキャッチ、おもむろに自身の首根っこの上に置いた漆黒鎧が感心したような声を出す。


 ルナは、「こすからいお前のやりそうなことだ」と簡単に返した。


「だが、いずれにしても貴殿の実力が人の領域を超えている事は分かった。ならば我としても本気で掛からねばなるまい」


「そうしろ。秒殺なんてしてしまったらおれの方が後味悪い」


「重ね重ね無礼な娘さんだ。――ならば、征くぞぉ!!」


「全身全霊で挑んでこい!!」


 ドゴンッ、と床に敷き詰められていた石畳が二カ所で砕け、次の瞬間にはもう両者の中間の床が大きく陥没していた。

 真上から叩き付けるように振り下ろされた刀身が床を引き裂き、或いは鎧の胸部に押し当てられた小さな掌が装甲を大きく陥没させている。


「ぬう!」


「当たらねえし、当てる!」


 床石にめり込んだ切っ先を力任せに引っこ抜いた矢先に今度は水平に薙ぐ。

 青黒い軌跡を身を大きく伏してやり過ごすと手合いの得物が返す刀で斬り付けるのさえ残像すら残さぬ速度で躱しきり、少女は鎧の腋の隙間を縫うように足で蹴り上げた。


 バスンッ、と音があって漆黒の片腕が付け根から断裁され持っていた剣ごと宙を舞う。

 床に重量感のある金属音が響いたときには、既に両者は距離を空け対峙する格好となっていた。


「どうした、動きにキレが無いな。調子悪いなら出直すぞ?」


「ほざくな! ――だが、そうか。大凡おおよその察しは付いた。貴様……“奴”か」


「はてさて、何の事だか分からないよ」


 とぼけてみるルナ。

 一方で漆黒鎧は残った肩を僅かに上下させて笑い声を立てた。


「まあいい。ならば一つ教えておこう。我は一度倒された。だが三途の川は渡らず、修行して貴様を屠る技を編み出したのだ」


「いや、お前、死に際に「これでやっと妻のところに逝ける」みたいなこと言ってなかったか?」


 後ろの方で成り行きを見守っていた六名が頭の上にクエスチョンマークを貼り付けていたって構いもしないルナお嬢様。

 首無しデュラハンなどとも呼ばれる漆黒騎士は、少し考えてから告げた。


「うむ、死に際は確かにそう思った。だが冥府を渡り征く内に考えを改めたのだ。我はどこまでいっても血に塗れた戦人。ならば宿敵きさまを屠ってこそ本懐が遂げられるものであると。故に、途中で引き返した。……そもそも、我はアンデッドとして数多の血肉を喰らいし身なれば、そう簡単には死なぬのだ」


「この脳筋野郎!」


 思わず怒鳴っちゃうルナである。

 少女は前世において、その男とは友であった。

 友であるのと同時に拳を刃を交えるべき宿敵。

 最後は当然のように互いを屠らんと激突し、結果として勝利した。

 だが、どうやら敗北を喫してもなお戦意は失われていないらしい。

 騎士は鼻を鳴らすと面具より覗く真っ赤な双眸にて少女を見据える。


「そして元来より魔王に忠誠を誓っていた我は再び手駒となった。……もっとも、洞窟を我が物としたのは魔王軍の参謀となったあの忌々しい女の策略によるものだが」


 もしかしたら騎士は他に何か思う所があったのかも知れない。

 それらしい言い回しで自軍の内情を吐露している。


 ルナは少し考えて、大きく息を吐き出した。


「その、忌々しい女とやらについて聞いても?」


 ――アンデッドなどと呼ばれうる者は魂の輪廻の輪から外れた存在である。

 いや、ゾンビやスケルトンといった低級アンデッドであれば浄化されることで縛られていた魂が解放され、要約すれば天に召されることができる。

 だが例えばヴァンパイア(吸血鬼)などは高位であるが故に、そこにあるごうが深すぎるが故に如何なる手段をもってしても死者の川を渡れない。

 即ち滅びがそのまま魂の消失に直結しているのだ。

 だから余計に死ににくい。そうそう死ねない。


 ルナが前世で討ち滅ぼした筈の彼は、しかし本当の意味で死んだワケではなかったらしい。

 だから復活を遂げた。単純明快な話だ。


 だが、それだけでは説明付かない部分がある。

 元来、眷属を作成し従えるタイプではない彼がどうやって一万にも及ぶ夥しい数の眷属どもを準備したのか。

 そして、一体どういった理由からこの洞窟を根城とし身を潜めていたのか。


 思い当たる事があるとすれば、預言書にあった魔物の異常発生に際して、ドサクサに紛れて攻勢の一翼を担う腹づもりであったということくらい。


 五年前、廃教会の地下空間に居たのは魔王軍四天王の一人ベリアル――勿論これは本人の言葉を鵜呑みにするならの話。奴が嘘を吐いていた場合はこの限りでは無いが、少なくとも魔王軍に所属する身の上なら己が身分を偽るといった事はあるまいと考えている――だったが、ならばこちらにも四天王の一角が身を潜めていても何らおかしく無いと考えていた。


 そして四天王でなくとも、魔王軍内の要職にある魔族がここにいた時点で幾つかの事実が確定する。

 即ち魔王か、もしくはこれに入れ知恵している何者かは“預言書(乙女ゲーム)”の存在に関して知っている知らないに関わらず、本年度に起きる筈の、もしくは引き起こす予定(・・・・・・・)魔物の異常発生(スタンピード)によりディザーク侯爵領とこの周辺地域を完膚なきまでに壊滅させる腹づもりであり、手駒である四天王を投入しても構わないと考えるまでに重要案件であると捉えているということ。


 ひょっとしてルナのご両親が個人的に恨みでも買っているのかと邪推しちゃいそうなくらい、念入りで周到な準備を行っているように見えてしまうのだ。


 その上で、漆黒野郎は「忌々しい女」という単語を述べた。

 秘密裏の作戦が魔王直々に下されたものであれば、忠義の士でもある彼は嬉々として従い殉じるだろう。だが現実にはどこか恨みがましさを感じる物言いをしている。

 不本意からくる来る台詞。


 それはつまり彼にとって相容れない異物とも言える存在が魔王軍の内側に紛れ込み、あまつさえ魔王の方針決定に際して口を挟み込む立場にあるということを物語っている。

 ならば引き出せる内に話を引き出そうとするのは当然と言えた。

 なのに漆黒鎧は言う。


「言えぬ。……察しろ」


「分かった。ならば聞かない」


 ルナは返して拳を握り絞める。

 「言わない」ではなく、「言えない」のだ。

 恐らく軍内の機密事項を漏らさないよう契約魔法か何かで縛られていると考えるべきだろう。

 そこまでして守らなくてはならないとなると、一定以上の地位を既に獲得していると見て間違い無いだろう。


 だが、それならばもう彼と問答する理由は無い。

 ルナは決めつけて構えを執った。


「我が友シュレイよ。貴様には今ここで引導を渡す。否も応もなく滅する。言い残すことがあれば聞いてやる」


「事ここに至り吐く言葉は非ず。我が生涯に悔いは無し」


「ならば、推して参るっ!」


 片方の腕に己が頭を抱え込み、もう片方の腕は無い。

 そんな漆黒鎧が腰を下げたかと思えば肩から十数本にも及ぶ白い手が生えてきて、それらが一斉に少女目がけて襲い掛かってくる。


 一方でルナは背に三対の純白翼を顕現させていた。

 甲高い音色が響き渡る中、金色の輝きを放つ艶髪の頭上にて青白い光輪が4枚出現し、少女が握り絞めた拳を掲げれば光輪は腕へと移動する。

 手甲を填めた腕の上に更に光輪を纏わり付かせてルナは拳を引いた。


「さらばだっ!!」


 黄金色の髪が尾のように振れた。

 引き絞られた拳が、あらん限りの力で前へと押し出される。

 フロアいっぱいに充ち満ちる光。

 音が消え、居合わせる者どもの影すら掻き消された。


 ――ギュバッ!!!!


 遅れてやって来た轟音。

 光は収束し、やがて失われる。

 アンデッドは、要するにマイナス方向の聖神力を燃料としており、ならば正方向の聖神力をぶつけることで中和することが出来る。

 力を失ったところへ更に大きな力が加われば、押し潰され塵芥と化すのは自明の理。


 人間達がデュラハンと呼ばわり恐れる首無し騎士は、こうして世界から弾き出され、魂すら消え失せる。


 後に残された薄闇と静寂の中で、鋼の如き色合いへと髪色を戻した少女は言葉もなく天井を見上げていた。



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