005:お父様への情報提供
――夜になって。
夕食の頃合いだからと一階の食事部屋に足を運んだルナは二ヶ月ぶりに目にした父君に笑顔で挨拶する。
「お帰りなさいお父様!」
「おお、ルナ、私の愛しい娘!」
父娘で抱擁を交わす。
彼が次に抱き合うのは妻サラエラであり、この際には熱い接吻を、まるで見せつけるかの如く交わすのだ。
(今にして思うに前世じゃあ愛情表現のやり方がひどく遠回しで曖昧だった。だからこっちの何かにつけて抱き合ったりキスしたりというのは最初は抵抗があったのじゃ。でも、慣れたらむしろこっちの方が良い。人と人とは場の空気だけで分かり合うなんてできない。相手への親愛の気持ちというのはもっと露骨に言葉とか態度に表さないと伝わらぬ。こんな簡単な事を理解するのに大層な時間を掛けてもうたな……)
父親に抱き締められて安心感を覚えている自分を分析してルナは思う。
前世でも家族に対して今のジルのように接していれば、少しは何かが違っていたのかも知れないと。
だが今さら後悔することに意味は無い。
なぜって、前世で経た人生なんて、今となっては淡く揺蕩う一握の夢幻に過ぎないのだから。
「私の留守中、何か変わった事は?」
「いえ、至って平和でしたよジル」
「それは良かった」
長く情熱的な口付けを交わした夫婦は見つめ合い愛を囁き合う。端で一人娘が苦笑している事に勘付いたのは少々の間を置いてからだった。
父ジル・ベル・ディザーク侯爵は城勤めの文官――文官とだけ聞けばヒラのペーペーを連想しがちだが侯爵家の当主が任じられる役職ともなれば当然ながら重役。ただし、だからといって楽な仕事ではないらしい――で、所領であるこちらに帰ってくるのは年に数える程。
愛する妻と娘、つまり親族はディザーク領の本邸住まいなので、単身赴任に近い格好となる。こちらと王都の間には馬を走らせて3日の距離があり、そのせいで頻繁には戻って来られない。
当主不在の領地の切り盛りは彼の妻であるサラエラが取り仕切っていた。
「ところでお父様。ちょっと聞きたいことがあるのですけれど」
「どうしたんだいルナ、急に改まって」
「いえ、そんな大した事ではないの」
家族三人、夕食の一時。
礼法の授業を受けているおかげで幾分か様になっているナイフ捌きでステーキ肉を切り分ける傍らでルナは父上殿に問い掛ける。
「試練の洞窟、竜の住処、煉獄の迷宮。この三つのダンジョンが地図でいうところどの辺りにあるのかなと思いまして――」
ガシャン。と食器が音を立てた。
何だろうと目を向けると、手にしたフォークを皿に落としワナワナ震えているお母様の姿が。
目を戻せばお父様が異様なまでに厳しい目で娘を見ていた。
「ルナ、その名前をどこで聞いた?」
「ええと、夢で見て……?」
何かマズい事を言ってしまったのかも知れない。
誤魔化そうとしたがこれが逆にいけなかったらしい。
お母様がワッと顔を両手で覆って泣き崩れたじゃあないか。
「え、あの、お母様?」
キョトンとする少女に言い含めるようにして、父が言葉を絞り出す。
「ルナ、よく聞きなさい。もしかしたらそれは神の啓示を受けたのかも知れないし、全くの勘違いかも知れない。……いずれにしてもそれらの言葉は二度と口にしてはいけないし。できれば忘れてしまうんだ。いいね?」
「ええと……?」
「いいね?」
「……はい、お父様」
有無を言わせない圧力に7歳児が抗えるワケもなく。
理由を問うことさえ許されないまま承諾させられてしまった。
(どういう事じゃ? 預言書だと当たり前のように主人公達がダンジョン攻略を求められておったが、思ったより秘匿性の高い情報じゃったか?)
明らかにジルはこれら三カ所について何らかの情報を有している。
しかしどこに隠蔽する要素があるのか見当つかない。
いや、或いは、乙女ゲームという枠組みの内側で語られていなかっただけで、物語の裏側に踏み込んではいけない事情があるのかも知れない。
これは地雷を踏み抜いてしまったかと恐々とする娘さん。
だがここで完全に口を閉ざしてしまうと何も分からないので、ちょいとギリギリまで攻めてみようかな、なんて思っちゃうルナである。
「お父様、折角ですし、その夢の正体が特別な物かどうか判断する材料として、幾つかの情報を精査していただきたいのですけれど」
「む……」
お父上殿は一瞬言葉を詰まらせる。
顔を上げたお母様が祈るような目を親父殿へと向ける。
それで彼は使用人に言いつけて紙とペンを持ってこさせた。
「言ってごらん」
「はい、まず、今年か来年に三日三晩降り止まない大雨があって、シラヴァスク領?という所で大規模な川の氾濫が起きて千人以上の死者が出るそうです」
「っ!?」
ジルの顔からサァーっと血の気が引く。
「その翌年に大飢饉が発生して、領民の五千人だか五万人だかが餓死。ここから疫病へと繋がって死者が二倍に増えます」
「……続けて」
猛烈な勢いで紙にペンを走らせるお父様。
その顔は蒼白になっている。
「更に翌年、国内で軍事クーデターが発生して首謀者と目されるキルギス総督?という方が捕まって処刑されるそうですが、後で分かったところでは政敵に嵌められた可能性があるそうです」
「総督が……、そんなことになれば国の屋台骨が揺らぐじゃないか!」
呻くような呟きにルナが冷静な声を投げ掛ける。
「あの、お父様、落ち着いて下さい。そういう夢を見た、というだけの話ですから」
「あ、ああ、そうだったな。取り乱して済まない」
どうやらお父様は優男風の物腰とは裏腹にけっこうな激情家であるらしい。
というか、そもそもの話としてルナが何を言っているのかといえば、乙女ゲーム内で主人公達が受ける史学の授業で講師が述べていたことをそのまま語っているに過ぎなかったりする。
――ルナは、ここで一つ試してみたい事があった。
電子の精霊を自称する“シロ”は異世界から持ち込んだ乙女ゲームを指して預言書であると謳ったが、その精度がどの程度なのか知りたいというのと、そしてゲーム内に記述されていた出来事というのは変えることが出来るのかといった疑問。
また変えようとした場合に何か強制力のようなものが働くのか否か。
これらを明確にしておかないと今後の方針が決まらないからだ。
どう足掻いても変えられない未来なら、初手で全部を根こそぎひっくり返した方がまだ建設的に思える。
ルナの編み出した“桜心流氣術”には都市を一つ丸々この世から消し去るような物騒な術もある。
それを使えば乙女ゲームだの何だのは意味を成さなくなる。
本人的にはそれは最後の手段として取っておきたいものだが、使用するタイミングが難しい事もあって詰まるところ一番最初か一番最後に行使することになるだろうと予想していた。
「これ以降ですと5年後の話になってしまいますし、嘘か本当か魔族が絡んでるとかいった話になるのでたぶん裏付けが取れないと思います」
銀色髪の愛娘はその様に言葉を残して話を締め括った。
ここでお父様が声にならない悲鳴を上げたようにも思われたが、結局それが彼の悲鳴だったのかそれとも他の人間のものだったのかも分からないまま。
「ルナ、私の愛しい娘。やはり君が見たものは只の取るに足らない夢でしかない。君が語った話は一つとして現実にはならないし、だから何を証明することもない。ルナ、先ほど言ったように夢は夢として忘れてしまうんだ。分かったね?」
「はい、お父様」
優しげな表情を顔に貼り付けて言い含める親父殿に、少女はお澄まし顔で頷いた。
(何にしても種は撒いた。あとは如何なる花が咲くか待っていれば良い)
腹の底ではニヤリとするばかりの娘さんは、あと自分に出来る事と言えば地名や人物名を調べておくとかの情報整理だと自分に言い聞かせておく。
そして予想通り、翌日の早朝、夜が白み始める頃合いに侯爵家当主たるジルは屋敷を出発。
自らが馬の手綱を握って凄い勢いで駆け去るのだった。