025:聖女育成計画② 体作り
――この一週間に起こった出来事を言えば。
朝の早くに部屋を訪れたお姉様に叩き起こされて、ガッツリとした朝食を無理矢理にでも胃に詰め込んだら胴着に着替えてジョギング。
ジョギングと言っても朝の日差しを浴びながら爽やかな汗を流すとかいう、いわゆる健康のための運動じゃあなくて。
死力の限りに走って立ち眩んで倒れたら桶に入った水をぶっ掛けられてまた走る、といった地獄のような耐久ラン。
アドレナリン増し増しにつきランナーズハイになってるところへ筋トレしてストレッチして、それから氣を練る訓練なるものを十五分間行う、と、これを10セットくらい行う。
昼食前にまたお屋敷の周りをグルグル駆け足して、吐きそうになりながら昼食を胃に詰め込む。
食べ終わったら武術の型らしきものを教わって、氣を練って、筋トレして、走って、水をぶっ掛けられてまた走って。
……それで気がついたらお日様が沈んで辺りが暗くなって。
お風呂で汗と垢を落としてサッパリしてから夕食。
二日に一回のペースでお姉様が部屋にやって来てマッサージをして貰う。
この時だけが至福。身も心もフニャフニャにされた後は泥のように眠ってしまったようで目を閉じて開けたら朝になってました、みたいな。
この体育会系そのものといった特訓は、なのに充実して満ち足りた気持ちを私に抱かせた。
なんていうか、生きてるっていうか、まだ死んでないっていうか……。
お姉様にマンツーマンでしごかれている一瞬一瞬が愛おしい。
私はなんて幸せなのだろう。
「――さ、今日も張り切って追い込みましょう!」
朝になって、例によってお姉様が部屋に入ってきたかと思えばカーテンを思い切り良く開け放つ。
私は呻きながら身を起こし、もう条件反射的にお姉様の抱擁を求めて手を伸ばしていた。
「お姉さまぁ♡」
「はいはい、良い子ね」
抱き締め、抱き返されて幸福感に満たされる私。
身を離したお姉様はクローゼットからやや煤けてきた胴着を引っ張り出して私に手渡し促す。
貴族家のご令嬢ともなれば衣服の着付けなんてメイドがやってくれるものと思われるかも知れないけれど、男爵家のような下級貴族でそんな優雅な暮らしを営める人間なんてそうそういない。
なので着替えくらいは自分でできるのです。
まあ、前世はアラサーだったしね。
ネグリジェを脱いでベッドの上に放り出すと胴着の袖に腕を通す。
この間も何故だかお姉様は私のお着替えする姿をジッと見つめていた。
「あの、そんな見つめられると恥ずかしいのですけれど」
「我慢なさい。私には貴女の体調を逐一チェックする義務があるのです。体調が悪かったりどこか体の一部に異常があれば速やかに処置しなければいけませんの」
「うぅ……はぃ……」
七度おこなった遣り取りを本日も繰り返す。
そう言えばお姉様は私の実家に連絡して二週間ほど預かるかそのまま帰らせるかの判断を仰いだけれど、パパとママは折角だから面倒見て貰ってお貴族様の生活を体験してきなさいみたいな流れで了解が得られてしまった。
というか、たぶんパパの立場的に侯爵家でかつ職場の上司でもあるディザーク家と太いパイプができるのは歓迎すべき事であるようで、拒否する理由の方が少なかったってのもあるみたい。
……あと、まあ、パパとママはまだ若いのだし、新婚生活を思い出して羽目を外したいってのもあるのだろう。
私にしたってお姉様と一緒に居られるのだから、誰一人として気分を害していない。
強いて挙げるならお姉様の負担が増しちゃうって事で、それだってお姉様の態度を見ていればそれほど迷惑そうでもないからと、ほんのり罪悪感を覚えつつもつい甘えちゃう私だった。
――それからお屋敷の外周を走って汗みどろの息絶え絶えになった私は、伴走していた筈なのに汗の一滴も掻いていないお姉様と一緒に修練場にやって来た。
場内では既にアリサ様や鷗外さんをはじめとした航空隊の皆さんが出揃っており、思い思いの修行に励んでいる。
中には乱取りと称して試合形式で戦っている人達もいて、さながら武術の道場じみた空気感になっていた。
「お姉様、おはよう御座います。あとマリアも」
「ええ、おはようアリサちゃん」
「おはようございますアリサ様っ!」
紅髪も眩しいアリサ様が遊びたい盛りのワンコみたく跳ねる勢いでやって来てご挨拶。お姉様と私も返す。
「けれど、マリアは良いなぁ」
「どうしてです?」
「だってお姉様と四六時中一緒に居られて、付きっ切りで修行の面倒見て貰えるんだもん。代われる物なら代わって欲しいわ」
「ふふっ、アリサちゃんはミーナ様から手ほどきを受けているでしょう?」
「う~ん、それはそうなんですけど、そうじゃなくてぇ……」
ミーナ様というのはアリサ様の母君で、紅華魔導拳術という拳法の使い手であるという話。アリサ様はお母様から技を継承する為そちらでメインの修行を行っていて、なので実家があるお隣伯爵領から通っているそうだ。
……うん、それだけ聞くとさぞかし距離的に近いものと勘ぐっちゃうけれど、実際には結構な距離があって片道でも一日内の移動は無理。これをアリサ様は氣術による飛行で超短縮、聞けば全力で速度を出せば片道十分から十五分で移動できるのだとか。
私も空が飛べたら家から通うんだけどな。と一瞬思ったけれど、でも今の方が余程良い環境だと直ぐさま考え直す。
お姉様と朝起きてから夜寝るまでずっとべったりしていられるこの状況は至福以外の何物でもないのです。
「そうね、今日は全員での飛行訓練を実施しましょうか」
ルナお姉様は私を見て、何か思いついたように曰う。
鷗外さんとアリサ様は頷いて隊員達の所まで駆けていくと「総員整列!」と声高に呼ばわった。
50人――当初は30人から始まったらしいけどここ最近になって応募者が激増、選り取り見取りで見込み有りそうな人材を採っているうちに今の数まで増えたのだとか――の整列する姿を目の当たりにしたお姉様は彼らの前に立って声を張り上げる。
「諸君、航空戦闘部隊エンゼル・ネストの戦友諸君よ。本日は総員による飛行訓練だ! 前回と比べて隊員が増えている等々の事情もあって難度は少し上がっているが、優秀な諸君であれば容易に遂行できると信じている。長時間に及ぶ飛行ともなれば脱落者が出るかも知れないので前もって言っておくと、最初から数えて十番内には罰ゲームを進呈しようと考えている。まあ、無理せず程々に、全力をもって当たって欲しい!」
何やら無茶振りを言ってるように思えなくも無いけれど。
隊員達の顔はどれもキラッキラで、心の底から喜んでいるのが分かる。
あ、アレだ、虐められると喜んじゃうっていう。
考え込む私の前でルナお姉様は「では耐久飛行訓練を始める。総員空に上がれ!」と声高に宣言した。
男達が次々宙に浮き、空へと舞い上がっていく光景。
のほほんと見上げている私に、振り返ったお姉様が告げる。
「さ、マリアちゃん、負ぶってあげるから私の背に乗りなさい」
「え?!」
「あ、マリアばっかりズルい!」
戸惑う私と、上から降ってくるアリサ様の言葉。
お姉様は天使のような微笑みを浮かべるとやんわりと窘める。
「これは修行の一環なの。人間というのは想像できない事はできない。逆に言えば想像した事は現実に起こりうる。つまり氣術によって空を飛ぶという所作をすぐに想像できるよう体感として覚え込んだ方が習得期間は短く出来るってこと。ですので貴女には空を飛ぶという経験をして貰います。主旨はご理解頂けたかしら?」
「は、はい……あの、宜しくお願いします」
恥じらい半分に顔を赤らめて頭を下げる私。
お姉様は相も変わらぬ優しげで儚げな面持ちで笑んだもの。
それから数時間を掛けて延々空を飛び回った航空部隊の人達。
私はと言えば最初の方こそ新鮮な驚きに顔を輝かせていたけれど、何人かが氣を使い果たして脱落する頃ともなると感動が薄れていた。
そんな中で不意に気付く。
どうやら落ちていく人達というのは近い未来での私の姿であるらしいという事に。




