024:聖女育成計画① 講釈
私はこの日、驚愕の光景を目の当たりにした。
「そこ! 氣が乱れてる!! 周りを良く見ろ!!」
「はひぃ!」
なんと人が空を飛んでいるのだ。
当たり前の顔をして、速度も高度も自在に操って。
ディザーク侯爵家のお屋敷には“修練場”と銘打たれた場所があって。
ここでは男達がルナお姉様の怒声にせっつかれつつ、武術らしき型の演練に始まり座禅を組んだり、はたまた私が口をあんぐり開けて見上げた先でやってるように空を飛んだりしている。
魔法使いの集団なのですかと問い合わせたところ、お姉様は不機嫌な口調で「氣です」と即答した。
どうやら人間という生き物はその気になりさえすれば空だって飛べるらしい。
「人間という種はそもそも万能に作られているのです。単に必要が無いからそういった機能が失われてしまったというだけ。なので思い出せるよう追い込んでやれば見ての通りです」
お姉様は仰った。
ああ、そう言えば私にも空を飛ぶ方法を伝授して下さるんだっけ。
追い込まれちゃうの私? 超絶ハードトレーニング、でしたか……。
思わず乾いた笑いを立ててしまう十二歳の私です。
「――そもそも、氣とは何かと言えば“運動エネルギー”なのです。古来より滝には龍が住むと言われていますが、龍とは氣を言い表す言葉で、龍脈とは要するに星の地下にある氣の流れを指しています。
例えば小石を拾って手を離せば地面に落ちます。
この際、小石は重力に引かれているのと同時に運動エネルギーを獲得しています。A地点からB地点に物体Cが移動するとき、その移動量や質量に応じたエネルギーが発生するのです。
つまり滝壺には上から流れ落ちた水の運動エネルギーが蓄積するといった話になります。
だから滝壺は他より氣の濃度が高い。それで龍が住むなどと言われるのです。
滝壺に霊的存在が集まりやすいというのもこれが理由。
霊体そのものは氣を練るための器官がない状態です。ですので水場などに集まって氣を取り込もうとしていると、この様に考えると全ての辻褄が合います」
修練場で人々を空に送り出し、自分も宙へと躍り出たルナお姉様。
彼女は飛び出していく前に私に見学を言いつけて、同時に色々と講釈して下さった。
「氣は胆田、体で言うところヘソの下辺りで練って密度を高めます。氣を練るという行為は氣術において基礎中の基礎とも言うべき所作であり、突き詰めるほどその重要性が増します。身体能力を強化するのも、固めて放つにしたって、まずは練らなければ話になりません。ですので貴女は氣を練る訓練を行わなければいけません。
本当なら二十四時間、一秒たりとも余すところなく氣を練り続けなければいけないところですけれど、今はまだそこまでを要求しませんが。
練った氣を如何なる用途に用いるにしてもまずは体力が無いと十全にその効力を発揮できません。支えきれないとでも言いましょうか。ですので肉体改造も同時に行わなければいけないのです」
また彼女はこうも言った。
「空を飛ぶという所業を見れば大抵の人が魔法の力であると考えます。けれど実際に会得するまでの期間や使い勝手から言えば氣による飛行の方がよほど簡単でかつ細かい調整が利きます。つまり、空で戦う事を前提とするならば氣に頼ること一択になるのです」
詰め込み式ですかそうですか。
私は曖昧に笑って誤魔化すしか知らない。
「ああ、今こうして説明をしていても、それで理解できるなんて思いませんし、理解できるようならそもそも説明なんて必要ではないと思います。
氣は理屈よりも直感で理解するものなので、修行していればあるとき突然閃き実感と共に理解するのです。
私の言葉というのは単にそこへ至るまでの道のりを少しでも短縮しようと試みているだけなので、理解しようと頭を捻らなくても構いませんよ」
お姉様は笑ったものだ。
彼女は、なので私が駆け足や筋トレしている最中にもこういった蘊蓄を言って聞かせる腹づもりだと告げた。
「限界いっぱいまで追い込まれている時にはどんな言葉も耳に入ってきません。というよりも、それは厳密に言えば与えられた情報に対して脳みそが処理できていないから言葉として入ってこないというだけで、音という意味ではちゃんと聞こえているし頭に入っているのです。これは一種の洗脳、刷り込みに似た所業ではあるのですが、コレをやるかやらないかで技の習得速度や練度が丸っきり違ってきます。なのでやります。限られた時間枠を目一杯に使うという意味でも、最適解と言えるでしょう」
お姉様が足を前に出すかどうかといったタイミングで、私はずっと気になっていた事を尋ねてみた。
「あの、お姉様。どうして私に稽古を付けてくれるんですか?」
「どうして、とは?」
「だって、私は乙女ゲームの主人公で、貴女はそんな私に破滅させられるはずの悪役令嬢で。実際には色々と違ってるけど、でも本当ならそうなっていた筈で……」
神妙な顔で突き付けた疑問に、彼女は微笑んで返す。
「乙女ゲーム、ね。……それって、私にしてみれば大して意味のないものなの。
なぜって、貴女はあくまで“主人公の役を背負って生まれてきた女の子”で、私は“悪役令嬢役として生まれてきた子”ってだけの話でしかないから。
ぶっちゃけて言えば、全員がシナリオに沿った行動を執り続けなければ、シナリオ通りの展開にはならない。
私は既に実験し立証しています。
作中に記載されていた事象が前もって対策することで改変されるという事実を。
更に言っちゃえば、破滅させられるなんて言っても、それは結局のところ貴族家の令嬢といった立場が失われるというだけの話でしかない。
国外追放? 私が他の国で自力で生きていけないとでも思っているのかしら。
公開処刑になるというなら城に詰めてる衛兵も王族もまとめて始末しちゃえば済むだけの話でしょ。必要ならアルフィリア王国に所属する全ての人間をこの世から消し去ってしまえば禍根なんて残らないし。
私にとって重要な事というのはね、私が長い年月を掛けて編み出した氣術を伝授するに足る人間がいるかどうかしかないの。
……人はその寿命の中で研鑽を積み極めたものがあるなら、次にそれを誰かに教授したいと願うものなの。
自分の生が無駄ではなかったと証明したいって気持ちがあるから。
だから自分の教えを全て受け継ぎ、正しく使ってくれる人間がいるのなら伝授したい。
その上で更なる高みに至ってくれるなら本望というものよ。
人はいつか死ぬ。寿命で死ぬのか、怪我や病気で死ぬのか、それとも戦場で死ぬのか。どういった死に様になるのかは分からなくても確実に自分が死んでしまう事だけは分かっているの。
自分自身は死んだらそこでお終い。生きてきた中で成したことが全て無駄だったのか、或いはそうでなかったのかも分からないまま消えて無くなってしまう。
けれど自分の編み出した技を継承する人間が居るのなら、少なくとも技は残る。
だから教える。より才能のある者に、自分の全てを継がせたいと願う。
……つまり、貴女が乙女ゲームの主人公として私を断罪して討ち滅ぼすにしても、例えば貴女が私の持つ技術を全て受け継いでいるのであれば何の問題も無いって話なのよ」
かなり長々とした話だったし、その考えは私にはよく分からない。
ただ、それが彼女の本音なのだろうとは知ることができた。
お姉様にとって乙女ゲームなんて何の参考にもならない出来損ないの物語でしかないようだ。
達観しているというか、お姉様は前世でもそんな感じだったのかとちょっぴり気になってみたり。
「私の前世? まあ、碌でもない人間だったわよ」
彼女は思い出したくもないといった様子で曖昧に笑って済ませたもの。
修練場での訓練が一段落付いたところで、地上に戻ってきたお姉様は今度は私に長時間の駆け足を要求する。
どうやら初日だから見るだけで終わりとはいかなかったらしい。
この後ともなれば、私は意識が混濁するまで走らされ、長時間の筋トレとストレッチでボロボロになった頃合いで気絶。瞼を開けたときにはもう翌日になっていた。




