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023:マリア、マッサージされる


 気付いたらベッドの上に寝かされていた。

 天井が見えて、ツッと視界をズラすとなぜだかルナお姉様のご尊顔ががが……。


「お姉さま――」


「もう少し寝てなさい。あなた途中で倒れちゃったのよ」


 ルナ様が微笑みながら教えてくれた。

 ベッドの袂に丸椅子を置いて腰掛けているルナ様。

 記憶が徐々に蘇って来る。

 ああ、そうだ。私、腕立て伏せしていてそのまま……。

 そりゃあまあ、前世も今世もひっくるめて有り得ない運動量を本日一日にギュギュッと詰め込んだワケなのだし、少なくとも一回は胃の中身を全部戻しちゃったし、うん、倒れて意識不明の重体になっちゃってもそれは仕方の無い事よね。

 などと自分に言い聞かせてみる。


 ルナ様は椅子から立ち上がりつま先の向きを変えようとしたところでふと何かに思い至ったとでも言わんばかりの顔になった。


「あ、そうだ。マリアちゃん、折角ですしマッサージしてあげるわ」


「ひぁ?」


「私、こう見えて上手ですのよ?」


 そう言って彼女は私の上に掛けられているシーツをガバッと引っ剥がす。

 私は声を失って、反射的に露わになったネグリジェ姿を隠そうと身を縮こまらせた。


「そんな固くならなくても大丈夫。というか貴女、普段全然運動とかしてないでしょ。怠け者が突然動き回れば三日とせずに筋肉痛で動けなくなってしまうわ。そうならないためには固まった筋肉をほぐしてあげないと。ね?」


 ルナ様は天使のような微笑みを浮かべ、同じベッドの上によじ登ってきた。

 皿の上に乗せられたタンドリーチキンを連想しちゃう私。

 いや、この場合は自分にリボンとか巻いて「私を食べて♡」みたいな?

 ルナ様の優しげで儚げな指先に触れられただけで、私の身体はビクンッて大げさに反応して、とても恥ずかしい気持ちになる。


「大人しくしてなさい。すぐに気持ち良くしてあ・げ・る♪」


 物凄く愉しそうなルナ様。

 見た目は同い年の筈なのに。前世はアラサーの私なのに。

 彼女の指先に撫でられてしまえば簡単に翻弄されて体をうつ伏せにひっくり返されてしまう。

 その上に馬乗りになって彼女は私の腰とか肩とか二の腕を揉みほぐしに掛かった。


「ぁう! ひぁん!?」


 ビクッ、ビクッと私の体が跳ねる。

 差し詰めまな板の上に置かれた鯛が見事な手さばきで捌かれていくように、斬られた事にも気付かないままビチビチと身をくねらせ跳ねさせ、私は襲い来る激痛に耐えながら、喘ぐように身を仰け反らせる。


「ひぁあぁん♡」


 激痛はやがて形容しようもない気持ちよさへとすげ変わった。

 腰から臀部、お尻から足の付け根、内腿へと這い回る手。

 ギュッギュッと揉みほぐす度に私はあられもない声を上げて身を弛緩させる。

 ダメ、こんなの知っちゃったら、もう……。

 お姉様は私が涙目になって何度身を仰け反らせても許してくれない。

 全身に電流でも流されたかと錯覚するような快感に翻弄されて、私はやがて歯を食いしばるようにして身を戦慄かせ、ぐったりとベッドのシーツの上に突っ伏していた。


「はぁ♡ はぁ♡ ……んっ♡」


「や、マッサージしてるだけでそんな乱れられても……」


 荒い息を吐きながら夢心地で首を捻れば、ちょっとドン引きしたご様子のルナ様が私の上に乗っているのが見える。


 あぁ、はしたない私で御免なさいお姉様♡


 などと思ってしまう。


 お姉様はそれから一仕事終えたぜってなくらい爽やかな顔をして私の上から降りようとする。

 このタイミングで部屋の扉がノックされ、返事を待たずしてアリサ様が入ってきた。


「お姉様! 夕食ですよ――」


 元気よく声を張り上げるアリサ様の言葉が途中で止まる。

 まだ気怠さを残しながら首を捻って目を向ければ、紅髪の彼女は私たちの痴態現場マッサージシーンを凝視しつつ硬直している。

 それからワナワナと身を震わせ言葉を絞り出す。


「二人とも、一体何を……」


「マッサージしてあげていたの。このままだと明日に差し支えそうだったし」


 するとお姉様が悪びれもせずにしれっと言ってのける。

 アリサ様は天井を見上げ、目を閉じたかと思えば一つ頷いて進み出て、私を横から掬い上げるようにして転がしベッドから追い出すと空いたスペースに自分が寝転ぶ。


「次は私でお願いします!」


「え、夕食は――」


「そんなのどうでも良いんです! はよ!!」


 めっちゃ食い気味だった。

 ルナ様は「そう……」と呟くと可憐な唇に凄い笑みを浮かべた。


「じゃあ、時間も押している事だしアリサちゃんには速攻で極楽に行って貰おうかしら♪」


 コキリ、と指を鳴らしてルナ姉様がアリサ様へとにじり寄る。

 私はと言えばベッドの袂にて身を起こしながら、あ、これダメな奴だと瞬間的に察して逃げるように離れる。


「ひぁぁぁぁん♡♡♡」


 アリサ様の官能的な艶声が響いて、思わず目を向けてしまった私。

 ベッドの上の獲物アリサさまが蕩けきって恍惚とした顔で全身を痙攣させているのが見えた。


 私もあんな顔してたんだ……。


 何とも言えない気持ちになって我が身を腕で抱いてしまう。

 ただし揉みほぐされた体は羽根でも生えたように軽く感じられていた。



◆ ◆ ◆


 ――さて、私とアリサ様、ルナ姉様とその母君であらせられるサラエラ様、女性四人で夕食を啄んだ後、私はルナ姉様に連れられて別室へと案内されていた。


「マリアちゃん、あなたが寝ている間(・・・・・)にご実家の方に知らせを送りました。折角なので二週間ほどこちらで面倒を見るといった内容です。あなたのご両親の返答待ちではありますけれど、了承された場合にはこの間にみっちりと修行して貰います」


「修行、というのは? 筋トレですか?」


 お姉様の台詞に妙なニュアンスを感じて聞き返す。

 するとルナ様は首を振る。


「いいえ、そうではありません。今回のようにあなた一人で家に押し掛けるといった事をされた場合、まず考えるべきはあなたの身の安全が保証されないということ。一人の護衛も付けない以上は、途中で人攫いに遭って誘拐されてしまうなんて事にもなりかねません。というか、この世界は女にとっては危険に充ち満ちた世界なのです」


 確かに私は乙女ゲームの主人公というだけあって自分で言うのも何だけど可愛い容姿をしているし、誘拐されるといった可能性もちゃんと考えないといけないよね。

 納得しつつ、けれど悲しいかな貧乏貴族であるテンプル男爵家には護衛を雇うようなお金は無いのです。

 ルナお姉様はそれら諸々を踏まえての提案だった。


「現状を鑑みて最も安上がりでかつ確実なのは、あなた自身が強くなる事です。暴漢や人攫いに遭遇しても撥ね除けるだけの強靱さがあれば、全ての問題がクリアされます」


「そ、それは、そうですね」


「ですので貴女には超絶ハードトレーニングと題して修行を行って貰います。異論も拒絶も認めませんし、どうしても受け入れられないというのであれば、今後一切私に関わる事を禁じます」


「そんなっ!」


 この世の終わりかってほどの絶望感から目の前が暗くなる。

 ルナお姉様と会えない言葉を交わす事さえ許されないなんて、絶対に耐えられない。

 縋り付こうと手を伸ばした私をひょいと躱すと、ルナお姉様は「ふふっ」と含み笑いした。


「安心なさい。あなたが死に物狂いで食らい付いてくる限り、私は決して貴女を見捨てませんことよ」


 それから具体的な修行プランについて話し始める。


「まず貴女には入門編として氣術の一端を身に付けていただきます。理想は指先一つで敵を体の内側から破壊できる事ですけれど、そこまで贅沢は言いません。発勁を織り交ぜた体術で十人の男を倒せるくらい強くなれたら御の字でしょう」


「ひぇ」


 え、この人一体何を仰っているの??

 私の頭の上にクエスチョンマークが浮かぶ。


「あと、可能であれば武空翔……氣の力で空を飛べるようになれば、そもそも家からこの屋敷まで十五分と掛からないでしょうし、日帰りで通えますわね」


 何やら凄いことを言われてるような気がする。

 というか理解が追いつかない。


「あ、そう言えば貴女、光属性の魔法が使えるんでしたっけ?」


 この質問は理解できた。

 乙女ゲームの主人公、マリア・テンプルは光属性の魔法が使える、という設定なのだ。

 けれど、と私は口を開く。


「お姉様、今はまだ使えないのです」


 主人公が光属性の魔法に目覚めるのは確か十五歳時だったはずで、現に今はまだ魔法なんて一つとして使えない。

 なのにお姉様の言葉は有無を言わせない。


「では使えるようになりましょう」


「へ?」


「修行は全てを解決します。出来ない事があれば修行すれば良いのです」


 この人の言う“修行”というものが全く想像できない。

 まるであらゆる事が修行すれば解決するかのような言い草。

 ルナ様が私と同じ転生者である事は分かってる。

 けれど、それ以前の話として、もしかしてこの人は……。

 一瞬、とても恐ろしい想像をしてしまう。


 何か精神的な疾患を患っているのだとしたら、私がお側に居て支えなきゃいけない。

 胸の奥に湧いた疑念を愛の力でねじ伏せて、私は愛想笑いをする。


「ああ、楽しみだわ。教えたいことは山ほどあるのに、限られた時間の中だと数える程しか教えられない。困ったわ、困ったわ、どうしようかしら♪」


 なにやらウッキウキで困った困ったと繰り返すルナお姉様。

 私はと言えば、明日以降のスケジュールに関して空恐ろしい想像ばかりが脳裏を過ぎってイヤな汗が背筋を伝うの止められないでいた。



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