022:マリアの憂鬱
――この私、マリア・テンプルは12歳の男爵家令嬢。
現代日本で会社勤めする元アラサーの私は過労死して乙女ゲーム“蒼い竜と紅い月”とよく似た世界に転生、今や下っ端ながらお貴族様たるパパの一人娘として第二の人生を謳歌しているわけです。
そんな私は既に固く決意していた。
ゲームのシナリオ通りに王子様やら何やらと恋仲になって、悪役令嬢を断罪してハッピーエンドなんてお花畑全開の妄想など脳裏の片隅にでも考えないし、魔法学園に入学しても主要キャラ達とは一切関わり合いにならないぞ、と。
というか悪役令嬢である筈のルナ・ベル・ディザーク侯爵家令嬢は間違いなく私と同じ転生者で、私がそれらしい動きを見せた次の瞬間には直接的に物理的な手段に訴える可能性すらある。
この前、ルナ様のお誕生日パーティーにお呼ばれした私たちテンプル男爵家なのだけれど、赴いた先に広がっていたのは地獄のような光景だった。
ルナ様は一見してお淑やかそうな超絶美少女だったのだけれども、その外見とは裏腹にめちゃくちゃ喧嘩っ早い武闘派である事を私は知った。
王様の正妻、つまりお妃様に対して正面切って喧嘩を売るような口を利き、あまつさえ王子様二人に対して完全に見下し軽くあしらう態度を露骨に出していたのだ。
私が同じ事をやれば後日と言わず即日内に物理的に家族共々首が消えて無くなっちゃうに違いない。
恐ろしい。なんて恐ろしい人なのかしらと、家に帰り着いてから毎日朝晩恐怖に駆られる。
(……ルナお姉さまぁ♡)
恐怖に駆られる?
そう、これは恐怖心なのだと自分に言い聞かせる。
なのに堰き止められない溜息。
なんだろう。私、おかしくなってる。
美しすぎて見てるこっちが溜息吐いちゃうような12歳ご令嬢の姿が、瞼の裏側で何度も何度も再生される。
寝ても覚めても考えるのはあの人の事ばかり。
我ながら重傷だわ、と分かっていても自分じゃどうにもならない。
「はぁ……」
と、今日も溜息を吐いてしまう。
頬に触れた指の感触を再現するように自身の指先で撫でてみる。
会いたい。ほんの少しで良いから会って話がしたい。
けれど怖い。会って第一声で「あなた誰?」なんて言われてしまったらと思うと怖くて胸が潰れちゃいそう。
本当に、私はおかしくなっちゃったみたいだ。
女の子同士なのに……。
私の汚れた欲望を知ったら、彼女はきっと軽蔑するだろう。
だから決して知られてはいけない。
でも隠し通せる自信がない。
なのに会いたい。
会って話がしたい。触れて欲しい。
できることなら彼女の全部を私のものにしてしまいたい!
「――よし、会いに行こう」
お誕生日パーティーからおよそ一ヶ月ほどが経って。
私は唐突に決心して家を飛び出した。
書き置きを残そうと思ったけれど、何をどう書いて良いのかも分からなくて結局は白紙のままテーブルの上に置いてきてしまった。
後でパパとママからこってり絞られちゃうだろうな、なんて他人事に思いつつもコツコツ貯めてきたお小遣いを握り絞めて乗合馬車の停留所に向かっていた。
貴族家の娘が余所様の家に押し掛けるなら、事前にお手紙の遣り取りをしなきゃいけない。
そうしないと出迎える側だって日程の調整とか準備とか色々と段取りしなきゃいけないから。
そんな事は分かってる。
けれど止められない。気持ちが、体が止まってくれない。
ワケも分からないままに乗合馬車を乗り継いで、こうして気付けばディザーク侯爵家の玄関口に立っていた。
「お嬢さん、どうしましたか?」
門番として立っているのは鉄鎧を着込んだ衛兵さん。
中年男性そのものといった佇まいにビクつきながら、それでも意を決して「ルナ様にお会いしたいです」と告げていた。
門前払いを食らうかとも思ったけれど、お目当てのルナ様は十分少々で正門のところまでやって来て、驚いた顔で「マリアちゃん?!」と言葉に出した。
「ルナお姉様……来ちゃいました」
私は口から勝手に出てくる言葉をそのまま吐き出すと、足腰に力が入らなくなってその場にへたり込む。
慌てて駆け寄ってくるルナ様の姿を見ているだけで自然と涙が溢れ出てきて、年甲斐も無く泣きじゃくってしまう私。
ルナ様は自分から屈み込んで、そんな私を優しく抱き締めてくれた。
切なくて苦しくて、もうどうして良いのか分からなくて。
私はしがみつくように、縋り付くように彼女を抱き締め返していた。
◆ ◆ ◆
――それから私はお屋敷の応接室まで連れて行かれて、ルナ様と一緒にソファーに座る事となった。
メイドさんの淹れてくれたお茶が美味しい。
子をあやす母親のように肩を抱く手が温かい。
胸の奥がポカポカして、幸せな気持ちが溢れてくるかに思われた。
「それで、マリアちゃんはご両親にも告げずに家を飛び出して、その足でここまで来た、と……」
「はぃ、ごめんなさい。どうしても会いたくて……」
事の次第を告げるとルナ様は困った顔をして、それでも優しくて繊細な指で髪を撫でてくれる。
私はお姉様の傍から離れたくなくて、彼女が立ち上がろうとする度に腕にしがみついて押し止めていた。
「まったく、仕方の無い子ね」
「ごめんなさい」
平謝りするしかできない私。
だけど今は彼女の温もりから離れたくない。
「こうなったら特訓ね」
「……へ?」
やがてルナ様は告げた。
キョトンとする私。
彼女は立ち上がると縋り付く私も一緒に立たせてお屋敷の外へ。
そこから少しだけ歩いたところにある修練場と銘打たれた場所に足を踏み入れた。
「あの、お姉様?」
「は~い、皆さんちゅうも~く!」
無骨そのものといった石壁と石畳。
その中で怒声をあげて訓練しているのはどれもこれも筋肉隆々とした男性で、私は怖くて仕方ない。
けれど視界の中に見覚えのある髪色を見つけて、そのせいで逃げ出す事も出来なかった。
「あら、あなたは……」
駆け寄ってきたのは紅髪少女。
確か名前はアリサちゃん、だったと思う。
アリサちゃんはルナ様の腕にしがみついている私に一瞬だけ鋭い眼を向けたものの、すぐさま表情を軟化させた。
「マリアです。アリサ様!」
「ああ、ええ、覚えているわ」
思い出したように手を打つ。絶対に忘れてましたよね、とは思っても言っちゃあならない事である。
ルナ様は私を腕から引き剥がすと、泣きそうになった私の肩に手を置いて周囲の男達に向けて声を張り上げる。
「彼女はマリアちゃん、私の友達枠だけれど、折角なので修行に参加させる事にしました。皆さん仲良くしてあげてくださいね」
「「「イエス、マイロード!!!」」」
兵士というよりは悪鬼羅刹といった趣の男達が綺麗に声をハモらせて応える。
ビクッとした私を、それから修練場の脇にある詰め所まで連行したルナ様は奥から予備の胴着を引っ張り出してきて着替えるよう促す。
彼女も一緒にお着替えしてから修練場に戻ってきた。
「そうね、今日は軽く駆け足して、あとは筋トレと柔軟かしらねえ」
僅かに考え込む素振りのお姉様。
光沢のある銀色髪がサラリと顔に掛かって、とても扇情的な面立ちに見えた。
「マリアちゃん、考え込む時間があるなら修行しましょう。そうすれば大抵の事は汗と一緒に流れて消えていくわ」
「はい、お姉様」
説教? とも違う、自信に裏打ちされたお言葉に自然と返事していた。
あとはもう走って走って、筋トレして、柔軟して、筋トレして、吐きそうになって、何回したのかも分からない腕立て伏せの途中で意識がフェードアウトしたもの。
この間にお屋敷を出た早馬がテンプル家のお家へと駆けていったらしいけれど、呑気に気絶していた私には知る由も無かった。




