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013:美しい戦い


 ルナはサラエラと共に屋敷の隅にある修練場までやって来た。

 母娘はお揃いの、死に装束かと思われる白い胴着を身につけ、しかしサラエラの腰には鞘に収まった剣がある。


 愛すべき部隊長が訪れたからと航空部隊ネストの面々が駆け寄り声を掛けようとするものの、その異様な空気に足を止め唾を飲むばかり。

 一昨日から昨日に至っても屋敷に宿泊していたウィンベル家の母娘は面々に混じって修練に汗していたが、銀色髪の二人を見つけたところで直ぐさま何かを感じ取ったようで一足先に手を止めて壁際に移動してしまった。


 母と娘は、既に臨戦態勢。

 互いを牽制するように闘気をビシバシ放っている。


「鷗外、少しの間だけ場所を借りるわね」


「……承知」


 少女が黒胴着姿の腹心に物言えば、彼は一呼吸置いてから頭を下げる。

 ピリピリと刺すような空気から感じ取ったのだろう。

 恐るべき戦闘能力を携えた母娘の相対する瞬間を。

 小休止とばかりに隊員達が隅っこへと追いやられていく一方で、修練場の中央まで進み出た二人は対峙して一方は剣を抜き、もう一方は拳を握り構える。


「では、始めましょう」


「はい、お母様」


 数秒の静寂。

 男達の見守る中で、美女と少女は微動だにせず。

 しかし唐突に双方の輪郭が空気に溶けた。



 ゴッ!!



 修練場のど真ん中で、石床が陥没し、或いは跳ね上げられていた。

 その床の上で、手合いを一刀両断にする勢いで振り下ろされている切っ先と、手合いを一撃の下に爆散すべく放たれた拳とが激突している。

 二人の激突した気勢が波紋の如く広がって、修練場の石壁をミシリと軋ませた。


「氣術とは、そんなものですか?」


「まさか。桜心流は不敗にして無敵。お母様にもその神髄をご覧入れましょう」


 母娘は囁き合い、互いに凄烈な笑みを手向け合う。

 もはや相手が親であるとも子であるとも思っていなかった。

 ただ、どちらが強者で、どちらが弱者なのか。白黒ハッキリさせたい。

 それだけで。たったそれだけのためだけに互いを屠らんと攻撃を繰り出す。



 ゴファ!!!



 サラエラの振るった剣の軌跡が光を帯びて。

 ルナが己が胴を両断せんとする剣の腹を下から殴りつけ跳ね上げる。

 剣を引っ込める勢いで回し蹴りが飛んでくる。

 拳を引く反動をそのまま蹴りへと転化する。


 ドゴンッ!!


 轟音がこだました。

 二人の蹴り足が空中で交差し、衝撃破が撒き散らされる。

 それは端から見れば美女と美少女の戦いなどではない。

 血と戦いに飢えた二匹の怪物が互いを屠らんと獰猛なる顎門にて食らい付く光景。

 男達は手に汗握り、全身から噴き出す汗を流るるに任せ、瞬きすら忘れて二人の戦いを凝視する。


 キュンッ!


 目にも止まらぬ神速の太刀筋がルナの首を狩りにいく。

 しかし少女は地に伏せるかとすら思わせる勢いで身を屈めると、手合いの懐へと潜り込み鳩尾めがけて拳を突き出す。

 しかし途中で勢いを自ら殺ぐようにして、女の土手っ腹に拳を押し当てる形にした。


「……っ!!」


「歯ぁ食いしばれ!!」


 ――桜心流氣術、虎砲っ!!


 ボグンッ、とくぐもった炸裂音がこだまする。

 瞬間的に発生した数百トンもの衝撃がサラエラの腹に風穴を空けたかに思われた。


「ぬるいっ!!」


「これを躱すかよ!!」


 密着した状態、即ち零距離から放たれた拳圧は、しかし女を仕留めるに至らない。

 お返しにと真下から振り上げられる切っ先。

 少女は身を仰け反らせ、思い切り後ろに飛んで致命傷を避ける。


「くっ……」


 だがそれでもダメージを負った。

 間合いを見切って完全に切っ先をやり過ごしたはずなのに、剣の斬圧によって胸部が縦に切れて鮮血が舞う。

 頬を自らの血に染めながら、しかし笑みを絶やさぬルナ。


「……今ので仕留めたと思ったものですが」


「おっかないねえ。腹を抉られてさえ一撃が出せるとは」


 サラエラは追撃してこない。

 否、できない。

 彼女の脇腹はジワリと血が滲んで、虎砲の衝撃を完全にいなし切れていない事を知らしめている。


「ああ、たのしいなぁ」


「その気持ちは分かりますが。……あなた、まだ本気ではないのでしょう?」


 愉悦に歪む少女の美貌。

 相対するサラエラは、しかしどこか不満げに思われた。


「全力で掛かってきなさい。さもなくば、次の一合で冥府に送ります」


 ボンッ、とサラエラの闘気が更に膨れ上がる。

 周囲の観戦者たちですら身を仰け反らせてしまう程の威風。

 だが少女は臆した様子など微塵も見せない。

 それどころか不敵に鼻を鳴らすと、まだ朱に染まる傷口もそのままに腰を落とし構えを執った。


「しょうがない、か……。いいぜ? 付き合ってやる、だが命の保証はしねえ。桜心流は神を殺すための技だ。人間相手に後れを取るなんざ有り得ねえって事を、その身に刻んでやるよ」


「その心意気や良し! 全力で来なさい!!」


「応おぉぉおおっ!!!」


 ルナが咆吼した。

 腰を落とし剣を担ぐ体勢を執ったサラエラが、更に更にと闘気を発する。

 そして両者共に駆け出す。

 刀身に光が宿った。

 拳が光を纏う。

 踏み締め蹴った床が剝がれて跳ね上げられる。

 ただ最高の一撃を繰り出さんがために。

 ただ好敵手に最大級の礼を手向けんがために。


「ぜぁああぁっ!!!」


 ――皇神流剣術、一閃いっせんっ!


「おぉぉおおっ!!!」


 ――桜心流氣術、蜃気楼しんきろうっ!


 キュンッ、と残像すら残さぬ速度で振り抜かれた刃がルナの胴を捉えた。


「なっ?!」


 しかし光の刃が少女の体躯をすり抜ける。

 残像を斬ったのではない。

 実体を斬ったはずなのに、ヌルリとした手応えのみを残して攻撃がすり抜けたのだ。


「――っ!?」


 勢いもそのままに懐に潜り込んで来た小さな塊。

 鋼色の艶髪が尾っぽのように躍り。

 ルナが拳ではなく、指二本を出した手をサラエラの胸へと突き込んでくる。

 躱せない。女はそのあまりの早さに目を剥く。

 そして指先に灯った目に痛いほどの輝きが女の体躯を穿つ。


 ――桜心流氣術、奥義。天元てんげん


 ヴンッ。


 瞬間、サラエラは宇宙の真ん中にいた。

 幻覚なのか実像なのかも分からない風景。

 女は。そして少女は全周を瞬き煌めく星々に囲まれていた。


「これ……は……」


 自分が何を見せられているのか理解できない。

 接地感が無くどちらが下でどちらが上なのかも分からない。

 そんな中で、自分を見つめているルナの瞳を見つけた。

 少女の相貌には怒りも悲しみも、その他あらゆる感情の欠落した表情が浮かんでいる。


「あなたは女神の力を受け継いでいる。だから殺せる(・・・・・・)。神を殺すために編み出した技は確実に通る」


 ルナが。ルナの顔をした何者かが、そう告げた。

 そしてサラエラは全身がバラバラになるかのような激痛と衝撃に悲鳴すら上げられぬまま、どこか遠く彼方へと吹っ飛ばされた。


 ドゴッ!!


「がはっ!?」


 気付けばサラエラは修練場の壁に背中から激突し、血を吐いていた。

 全身から噴き出す血液が衣装を赤く濡らす。

 技を食らった後なのだと。遙か後方にあった壁まで吹っ飛ばされたのだと理解するのに数秒間を要した。


「お見事……」


 それだけを告げるので精一杯だった。

 ルナは、前世で氣術を編み出したという娘は、想像を絶する力を有しているのだと、ようやく理解するに至った。


「けれど死なせませんよ、お母様」


 己が血液を石壁に擦り付ける格好で床に沈んでいくサラエラ。

 そんな母の元まで駆け寄ってきた少女は薄れゆく意識を見下ろしそう告げる。


 次の瞬間に少女の背に純白の翼が生えだした。

 鋼色の髪の上に光の輪が出現する。


 ――ああ、そうか。やはりこの子は女神様の。


 サラエラは理解して慈愛に満ちた微笑みを浮かべる。

 天使と見紛う少女は、輪郭に光を灯して自らの膝を折ると母を抱き上げた。


「貴女にはまだ成すべき事があるはずです。だから死なせてあげません」


 ほんの少しだけ意地悪そうな顔を見せて。

 けれど愛情に満ち溢れた微笑みを母に手向ける。


 ――そうね。わたくしは、貴女のために剣を振るいましょう。私の命が尽きるまで、全身全霊で貴女を守りましょう。それが貴女の母となった私の使命です。


 サラエラは強く決意し、己が身を抱く華奢な肢体を自分からも抱き締め返すのだった。




 鷗外は目から零れる涙を止める術を知らない。

 次から次へと溢れ出て頬を濡らす熱い涙。

 熾烈な戦いの末に抱擁を交わす母娘を美しいと思った。

 これこそが究極の美であるのだと本能が、全身が理解し涙を涸れさせない。

 同時にいただきが如何に遠く高い所にあるのかも思い知っている。

 見回せば男達が同様に涙を流していた。

 ウィンベル伯爵家の夫人とご令嬢が、共に嗚咽を漏らしている。


 遙か彼方、見上げた先にある雲よりなお高く。

 それでも人は人の身でこれ程までに強くなる事ができるのだと男は感涙に咽びながら思った。



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