003:預言書。……預言書?
ルナお嬢様の手刀は山を砕き鉄をも切り裂く。
7歳児からそんな殺人級の攻撃を食らってしまった大型犬もどきは半死半生の死に体で床の上に転がった次第だけれど、いざ戦闘が始まれば悪鬼羅刹と化すルナちゃんがそんなもので許すワケがない。
自分の部屋まで引きずっていって、なぜかクローゼットの底に安置されていたロープと“良い子の拷問器具セット”などという物騒極まりない見出しの記載された小箱を取り出し犬っころを縛り上げ部屋の真ん中に転がす。
自分は突っ立っているのも芸が無いからと机と一緒に置かれている椅子を同所まで運んで、ロープでグルグル巻きになっているそいつの前で優雅に座ってみせるとかいう演出をセッティングした。
「ぅ……うぐっ……」
やがて呻いて目を開けた犬モドキ。
ランプの光をかざして観察するに、一見して白いモコモコの毛並みを持つ大型犬だが、その姿通りの生き物であるならば建物二階に位置する図書室の窓を開けて内部に侵入するなんて芸当はどう考えたって不可能だ。
他に共犯者――貴族の家宅に侵入するのは普通に犯罪です――が居ると仮定するにしたって、その様な気配は感じられなかった。
そりゃあ氣術には自分の気配を完全に殺して動き回る隠遁系の術だって有るにはあるけど、長らく培った戦士の勘とでも言えば良いのか、どうもそうではないように思える。
即ち、コイツは単独で屋敷に忍び込んでおり、人間の手のように動かす事の出来る部位を体のどこかに隠し持っていると、ルナはその様に判断していた。
「ゆえに」
椅子に座ったまま、手にした小箱を開ける。
中には手術で使用される様なメスらしき器具が、鉄色の光沢を放っている。
「私の拷問にどこまで耐えられるのか、試してあげましょう」
7歳の見てくれ純真無垢のお嬢様といった風貌の少女が唄うように囁く。
白いモコモコの大型犬がそんなルナの姿を見て「ヒィッ!」と声に出す。逃げだそうとジタバタ藻掻いたところで自分の身がロープで縛られているのを知って更に恐怖で竦み上がった。
ジワッと、お漏らしまでする犬っころ。
「あらあら、躾のなってない犬ね。私のお部屋を汚物まみれにするつもりなのかしら」
ルナはまさか犬が失禁するとは思ってなくて内心で非常に焦っていたけれど、そんな感情などおくびにも出さず冷徹そのものといった微笑みをその可憐な唇に浮かべるのだ。
(……というか、これで朝になって儂が漏らしたみたいに言われたらこの駄犬、どうしてくれようか!!)
一瞬、専属メイド嬢の困惑と怒りを半々にした顔が脳裏を過ぎって、思わず歯軋りしてしまう恥じらい多き娘さんである。
「ま、待って! ボクは電子の精霊で、今日は君に預言書を渡そうと思って来たんだ」
焦った声で犬が喋った。
ルナは「はぁ~? 精霊だぁ? 巫山戯てんのか畜生がっ!」と素の言葉遣いで言い放つ。
精霊さんは可哀想なくらい怯えきって「くぅ~ん」と縛られたまんま丸まってプルプルと震えていた。
――少々のお時間を経て。
ルナは犬っころの来訪目的を聞き及び、妙な真似をしたらその瞬間に爆散させると言い含めてロープを解いてやった。
すると白い毛並みの大型犬は人間らしき姿形へと変身する。
その姿は、まんま五歳くらいのお嬢ちゃん。
長すぎて足の踝まで届く白髪がどうにも胡散臭く思われ、あるいは穢れを知らなそうな、純真無垢を形にしたような白いワンピースを身に付けた立ち姿が逆にあざとさを際立たせている。
ジトッとした目を向けるルナに対して精霊ちゃんはドンッと黒い箱を差し出した。
「これは?」
「うん、預言書。……家庭用のゲーム機、据え置き型筐体って言えば分かるかな?」
「分かんねーよ」
精霊ちゃんはドヤ顔だが、ルナとしてはバッサリ切り捨てるしかできない。
「色々と接続しなきゃいけないから、ちょっとだけ待ってね」
さっきまでの怯えた様子はどこへ行ったのか。
彼女は天真爛漫といった笑みを浮かべると黒い箱に何やら細いコードを繋ぎ始める。
筐体に張り付いているボタンを押せばニュッと黒い舌が出てきて、そこへ裏面は虹色の光沢を、表面には妙な絵の描かれたラベルの張り付いた薄っぺらい円盤を乗せた。
「ええと、……あ、映った」
すると宙に四角い板面が出現。同時に筐体内でキュッキュッキュと微かな駆動音があって、板面の色合いがコロコロと変化する。
呆気にとられているルナに、精霊ちゃんは両手で抱えるにしては小さすぎる塊を手渡した。
「はい、コントローラー」
「ええと?」
「これで操作するんだ。このボタンが肯定、こっちがキャンセル。十字になってるボタンで矢印を動かす、と。プレイ中はボクがレクチャーするから何も心配しなくて良いよ」
「はあ……」
儂は一体何をやっているんだろう?
銀髪お嬢様はつい天井を見上げてしまうのだった。
「――それじゃあ説明するよ。これは預言書、厳密に言えば“乙女ゲーム”と呼ばれる物で、こことは違う世界で作られた。本来は遊具なんだ」
「おとめげえむ? 遊具って……?」
「結論から言うと、ここに含まれている内容はほぼ君の暮らしている環境と一緒。違うのは舞台が10年後だってこと。魔法学園に入学した主人公が君に嫌がらせされながら男達を籠絡していくって内容さ」
「えらいザックリした説明ね。というか男達を籠絡って、その主人公とやらは好色なの?」
「それはプレイする側の問題だね」
精霊ちゃんはそう言って表示されたタイトル画面を目端に捉えつつボタンを押すよう促す。
ルナは渋々ながらそれに従った。
――預言書。別名で乙女ゲームと呼ばれる代物は、タイトルを“蒼い竜と紅い月”といって、要するにロマンス小説に絵を貼り付けた代物である。
略して“蒼紅”などと呼ばれているらしいが、操縦者の選択次第でどんどん未来が変化していく、いわゆるマルチエンディング方式なのだとか。
内容は、確かに彼女の言った通りだった。
グランスヴェール魔法学園に入学してきた主人公マリアは男爵家令嬢で、庶民あがりの貴族モドキの分際で高位貴族の男達に馴れ馴れしく話し掛け、あまつさえ取り入って玉の輿を狙うとかいう下劣にも程がある内容だ。
ここに登場する人物はおよそ6名。
主人公マリアは、まあ良いとしよう。
品行方正な王子「アベル」
兄への劣等感からかちょっと捻くれている第二王子「カイン」。
騎士団長の息子「ダルシス」。
宰相の息子「ヒューエル」。
それから魔導の国家機関“グラデュース王立魔法省”から送り込まれてきたという謎多き少年「ロディアス」。
男共はどれも美少年でキラキラした風貌である。
ルナとしてはちょいとイラッとしたものだが、まあそこはいい。
問題は内容で、浅ましい女マリアが次々男達に言い寄り籠絡していく中、物語最終日に行われる舞踏会にて決まって断罪される娘が居る。
ルナ・ベル・ディザーク侯爵家令嬢。
そう、ルナである。
ルナの最期はエンディングによって変わる。
国外追放ならまだ良い方で、悪くすると何者かに暗殺されたり、反社会的組織に攫われて売り飛ばされ変態貴族の愛妾になっていたり、はたまたシャブ漬けでスラムに放置、汚らしい男共に口では言えない事をされて最終的に自ら舌を噛んで自害。とか。
どれもこれも碌でもない結末だった。
「――ボクがここへ来たのは、君の身に降り掛かる諸々の運命を、どうにかして回避させてあげたいと思ったからなんだ」
一通りプレイした後で、幼女の顔をした精霊ちゃんが笑顔で告げる。
ルナは疲れ切った顔で「取り敢えず、少し寝させて」と返した。
閉め切られたカーテンの隙間から入り込んでくる陽の光に「なんて無駄な時間を過ごしてしまったんだろう」なんて思いつつ、覚束ない足取りでベッドに辿り着くと気絶するように眠りへと落ちたものである。