006:教育
「て……てめぇ……女の癖にイキがりやがって!!」
足を払われ見事にすっ転んだアッシュ髪の少年。
勢い余って土の味を舌に感じたせいか、ぺっぺっと吐いて彼は立ち上がると目の前に佇む少女を殴りつけようと拳を振りかぶり頬を殴りつけようとする。
だがルナは、そんな少年の拳をもっと小さな手で簡単に受け止めると、可愛らしい指で握りつぶそうとした。
「いっ、痛い痛い離せこのクソ女!」
痛みに顔を歪ませ叫んだ少年。
ルナはその握り絞められた拳を解放すると同じ手で彼の胸ぐらを掴んで自分のすぐ目と鼻の先まで引き寄せる。
少年のアイスブルーの瞳と、少女の黒い瞳がガッチリと合わさった。
「さっきからキャンキャンと五月蠅いです。あなたは私を指してクソ女と仰いますが、ではあなたは何ですか? 大人にも男にもなれないただの甘ったれた子供じゃあないですか。そんな礼儀も倫理も知性もない、犬猫と大して変わらないガキが女を相手にイキがって見せても滑稽なだけですよ?」
「な……んだよぉ……」
ルナの音色には抑揚がなく。
自分に対して欠片ほどの感心も興味も無いのだと少年は悟る。
彼の瞳から急速に勢いが失われてゆくのが分かった。
「では折角ですので、私があなたを男と認めない理由を、そこに付いている極小サイズの脳みそでも分かるように説明して差し上げましょう。――鷗外!」
「はっ、ここに」
少年を突き放すように解放すれば尻餅付いて仰ぎ見るばかり。
この間隙で家臣の名を呼べば少女の背後にヌッと黒い影が出現した。
「鷗外、腕を捲って見せてあげなさい」
「はっ……、は?」
ルナの背後にて黒胴着に赤帯巻いた鬼の如き形相の男が、主君の敵だぶち殺してやんぜひゃっほ~ぃ!と気勢を上げつつ登場し、なのに告げられた言葉がどうにも要領を得なくて年甲斐も無くキョトンとした顔になる。
ちょいとイラァッとしながら、肩越しに顧みて全く同じ台詞を繰り返す鋼色髪少女。
「はぁ」
鷗外くんは、ちょっぴり嫌そうな顔をしながらも胴着の袖口を捲ってみせる。
そこには隆々として鋼の如き腕が覗いていた。
「参考までに教えておきますが、これが男としてあるべき最低ラインの腕です」
少女は尻餅付いたまま呆気にとられた顔のアッシュ髪少年と同じ目の高さになるよう屈み込んで真顔で説明する。
後ろで鷗外君がショックを受けたように眉根を寄せて目を閉じる。
「あなたの腕に自らを男と名乗るに値するほどの強靱さがあるとでも?」
まるで虫けらでも見るような冷たい目で少年を追い詰めていくルナ。
次に少女が執った行動とは、足下に落ちていた手の平サイズの石ころを拾い上げることだった。
「そしてあなたは先ほどこう言いました。“女のくせに”と。それはあなたが女性を下に見ているからこそ出た言葉です。ならば問いましょうか。あなたのどこが女性に勝っているのかを」
言って、ニタリと笑んだ。
言いながら親指と人差し指で摘まんだ石ころを、バキリと砕いた。
少年の顔から血の気が引くのはすぐの事だった。
「さあ、言ってご覧なさい。あなたが女性を愚弄し嘲る事を正当とする根拠を。出来ないというのなら謝罪し訂正しなさい」
「だ、誰がお前なんかに――、ヒィッ!?」
恐怖しそれでもなお勇気を振り絞ったのか反抗的な態度で突っぱねようとするアッシュ髪。
しかしルナ様は容赦しない。彼が台詞を言い終えるより先に手を伸ばし、ズボンは履いているものの開けっぴろげになっている股ぐらをガッと掴み上げた。
「ああ、あなたは男であれば無条件に女を侮辱して構わないと、そう考えているのですか? でしたら今すぐこの場で握りつぶして差し上げます。そうすれば貴方は二度と男を名乗れなくなるでしょうし、問題は全て解決するに違いありませんね」
「ま、待って、許して」
さすがの少年も泣きが入る。
「許して欲しければ言うべき言葉があるでしょう?」
けれどルナは許さない。
「ごめん……ごめんなざぃ、ぼぐが……悪かった……でず」
泣きながら許しを請う少年。
ここでルナはもう一押しとばかりに新たな台詞を追加する。
「謝罪は受け取りました。しかし貴方の根本的な思想が変わらない限り何度でも同じ事が繰り返されます。だから自分の口で宣言しなさい。“女性は無条件に尊く、ゆえに誠意を持って接します”と」
目に力を込めて少年を凝視する。
すると彼はもう反抗する気概なんてこれっぽちも残っていなかったのか、あっさりと要求を飲んだ。
「女性は、尊くて、僕は誠意をもって接します」
「よく言えました。素直な子供は好きよ?」
飴と鞭。
股間を掴んでいた手を離すとそのまま少年の頭を良い子良い子と撫で回す。
ついでに能面顔から一転、天使のような微笑みすらサービスしてやった。
「ルナ……さん……」
少年の顔に悦びの色が浮く。
絶望に光彩を失っていた瞳にキラキラとした光が宿る。
ルナは一仕事終わったぜと言わんばかりの良い顔で立ち上がった。
「ウチの子に何をなさっているのかしら?」
ここで逆襲してきたのは金髪夫人。
ビキビキとこめかみに青筋が立っているかに思われるが、それは演技だ。
彼女の予想では恐らく、ルナがやり過ぎたと我に返って謝罪する筈だったのだろう。
しかし少女は鋼色の艶髪を使わなかった方の手で掻き上げると、悪びれた様子なんて欠片ほども見せずにこう言い放った。
「何をしているのかなんて見れば分かるでしょうに。教育です。これが正しい教育です。貴女が怠った事を私が代わりにして差し上げたのですから、これは“貸し”です。知らない存じないとは言わせません。ご理解いただけますね?」
それから振り返って、まだ腕を捲ったままの鷗外の胴着で手を拭く。
なぜか剥き出しの腕にビッシリと鳥肌を立て汗びっしょりになっている黒胴着男ではあったが、少女の行動に気付いたのかあからさまに嫌そうな顔をした。
「ふ、ふふふっ……ええ、良いでしょう。今日の所は引いておきます。ですがデビュタントではこうはいきませんよ?」
金髪美貌のご婦人は肩を怒らせ踵を返し。
そんな彼女を慌てて追い掛ける少年二人。
悪は去った。世界の平和はこうして守られたのだ。
なんてナレーションが付いちゃいそうなほど颯爽と消えゆく背中を見送ったものである。
「本当に嵐のような人でしたね」
うそぶくルナ。そこへお母様がやって来て、頭頂部をワシャリと捕まえる。
「ルナ。お話があります。よろしくて?」
「あ、いえ、私には友人達と語らいあうという重要な使命が――」
「言い訳は聞きません。さあ、こちらへいらっしゃい!」
「ひぃっ」
こうして母に引きずられて屋敷内に引っ込んでしまうルナちゃん12歳。
なおアリサとマリア両名は、金髪美女が去ったところから感動と興奮のあまり駆け寄って抱きつこうとしていたけれど、サラエラ様の般若の如き形相に気圧されて足を止めたまま、やり場のない感情に身悶える始末であった。
◆ ◆ ◆
大層ご立派な黒塗り馬車の客室まで戻ってきた女は、それまでの怒りの形相を瞬時に引っ込め、今度は上機嫌になった。
「母上、僕はあの人はちょっと無理です」
神妙な顔で告げたのは女の向かい座席に腰掛けた金髪少年。
アルフィリア王国の第一王位継承権を持つアベル王子。
彼は本日の訪問に際して母から婚約者候補の人となりを見聞するよう言い含められていた。
アベルの隣に着座したアッシュ髪少年、第二王子のカインはしかし双子の兄とは対照的に頬を赤らめどこか陶酔にも似た顔をしている。
この対照的な兄弟を前にして金髪の夫人、エリザ王妃は口元をニヤリと笑ませていた。
「ええ、確かに貴方では役不足でしょうね、アベル」
「え、それはどういう……」
目を上げ不思議そうな顔をした金髪少年に母は黙って己が衣装の袖口を捲って見せる。
そこには鳥肌がビッシリ浮いていた。
「カインが彼女とじゃれている間、私、あの子にずっと闘気をぶつけていたの。普通の子供なら何が起きたのかも分からないまま失神し卒倒していたでしょう。並の武官であればお返しにと闘気を浴びせ掛けようとするものの私の氣に飲まれて身動きを封じられていたわ。……けれど、あの子はそのどちらでも無かった。私が放った殺気混じりの闘気を受け流したまま涼しい顔をしていたの」
気付けば恐怖の念に駆られていたのは自分の方だった。
膝の僅かな震えが一刻も早くあの場から立ち去るよう命じていた。
だからエリザは早々に踵を返し王族専用の馬車まで戻ってきた。
ルナが告げた“貸し”とはカインの失態にではなくエリザの無作法に対しての言葉だったのだ。
「私は最初あの子を見て規格外の怪物だと思ったわ。けれど、そんな生易しいものじゃない。底が全く見えなかった……あれは主君の器。いいえ、星を束ねる覇者の器よ」
思い返しただけでも身震いしてしまう。
あの時、もし仮に全身全霊を賭けて挑み掛かったなら、一体どちらが死んでいただろうか。
少なくとも自分の無残な死に姿だけは容易に想像できた。
こういう相手とは決して闘ってはいけない。それが長生きする秘訣であることを女はよく理解していた。
人は想像した現象を手繰り寄せる。
それが最良の出来事でも、最悪の出来事であったとしても、想像した事は現実に起こるのだ。
「アベル、カイン、私は彼女が欲しい。どんな手段を使ってでも、ルナ・ベル・ディザーク侯爵令嬢、いいえ、ウェルザーク公爵家の姫君を私にプレゼントしてちょうだい」
あの娘を手中に収めることが出来たなら、世界をこの手に掴む事すら可能になるかも知れない。
そう思わせる程に魅惑的な果実だった。
エリザは聖拳六派の一つ流派、光帝流剣術の継承者であり剣聖とすら呼ばれた女傑であった。
サラエラの使う皇神流は光帝流の派生流派、つまり分家筋の系譜となるが、それは置いておくとして。
ルナの流派が分からなかった。
常識的に考えれば皇神流を母から伝授されている途中である筈なのだが、体捌きは元より呼吸の一つを取っても皇神流とは全くの別物。
そして確実に母を超えた実力を有している。
欲しい。あの子が欲しい。
狂的なまでの欲望が女を駆り立てる。
しかし、とエリザは己が内側から湧き上がる気勢を制した。
「二人とも、けれどまずは城に帰って、みっちりと鍛錬して貰うわね。何をするにしても今のあなた達では何の成果も上げられないでしょうから」
「「……はい、母上様」」
母の、というよりは武人の気勢に飲まれた少年達は素直に頷くしか知らなかった。
平和の時代は、もう間もなく終わりの時を迎えようとしている。




