024:“極”という術
「やっ!」
「はっ!」
「せいっ!」
夕暮れ時の世界は淡くセピア色に染まり、飛んでいたカラスの翼に深い影を落とす。
石畳の上で組み手を行っているのは少々くたびれた感のある白胴着を身につける二人の少女。
片方は瑠璃色の髪を一本に括った聖女マリアで、もう片方は黒灰色の髪を三つ編みにしているクリスティーヌ。
二人は桜心流氣術を会得せんと励んでおり、勿論その師はルナになる。
アリサとシェーラはそれぞれに別の流派に属しており、なので修行に参加することはあっても桜心流を名乗ることは許されないし、ルナを指して師匠と呼ばわることはできない。あとダルシスも流派はと聞かれれば近衛騎士である父の剣術がこれに該当するので桜心流のスタイルを混ぜ込むことはあっても決して桜心流そのものにはならない。
「はぁっ!」
正拳突きを繰り出したクリスの腕を取って関節極め、そこから肩に乗っけて一本背負いするマリア。投げられたクリスは頭から石畳に墜落するかに思われたが、慣れた身のこなしで空いた手で床を叩いて己が体を丸ごと跳ね上げ、ついでに空中で一回転すると腕を力尽くで振り解く。
双方肩で息をしていてもまだまだ戦えるぞとばかりに戦意剥き出しで仕切り直し対峙する。
「――桜心流は“氣”を効率よく運用するための技術です。しかし氣を発するに適した体勢をと突き詰めればどうしたって武術的な動きになり、故に武術と呼んでも全くの嘘ではない。そして武術で言うところの“型”とは結局のところ戦いに於いて最も勝ちやすい定石を集めた一連の流れとなります。であるならば勢いを殺さず、常に水の流るる様を意識して動くことが重要となるのです」
息継ぎする二人に言って聞かせるように横合いから声を掛けるのはルナ様ご本人。
三人は今、王都にあるディザーク侯爵家別邸の修練場にいて、ちょっぴり反省会混じりの修行を行っていた。
昨日、試練の洞窟奥にある真ダンジョンを攻略したわけだけれど、この際に実戦が幾度と行われていた。
実戦は組み手などより余程濃密な経験が得られる。
それは双方が自身の命を賭け金に互いを屠らんとするからだ。
組み手やら型の演武がどれだけお上手でも、それで強くなったとは言えない。
命がけで敵の命を狩り取る所業にこそ得られる物があると、これがルナの主義主張ゆえに。
「マリアは仕掛けた後にほんの少しだけ動きが止まりますね。相手が頭の弱い愚図なら通用しますが一定以上の実力者では切り返しの攻撃で致命傷を負いますよ?」
「手厳しいですお姉様……」
「それからクリス。貴女は全体的に受け身が過ぎます。カウンターを合わせられないならもっと自分から飛び込んでいかないと防戦一方、良いのを貰ってしまうわよ」
「うぬぬ……はぃ、お師匠様」
クリスティーヌは元来は引っ込み思案な性質で、それが災いしているのかも知れない。
例えばアリサなどは真逆でちょっとは抑えろと思うのだけれど、彼女のアグレッシブさを分けて貰いなさいと言いたい所だ。
シェーラは常に冷静で防御も攻勢もそつなくこなすが、何というか型にはまった優等生といった感じで、だから意表を突く攻撃に弱い。
けれど少なくとも4人でバトルロイヤル形式で戦うのならシェーラが最後まで居残っているであろうとルナは判断していた。
「ああ、そうだ。折角だから面白い技を教えてあげる」
ルナは悪戯を思いついた子供のような笑みを浮かべて対峙する二人の間に立った。
何だろうと小首を傾げるお嬢さん方を左右一瞥してから、鋼色髪は両手を前にかざす。
「これは直接的な攻撃や防御とは違う。端的に言えば戦闘能力そのものを数十倍に引き上げる技術です。ただし持続時間は数分間で、しかも効果が切れた瞬間に反動で身動き出来なくなるから本当に後が無いとき、これ以外に勝てる方法が思いつかない時にしか使っては駄目よ?」
ルナは言ってから左右の手にそれぞれ白と黒の塊を形作る。
「右手、利き手に氣を溜める。逆の手に魔力を溜める。比率は1対1、これは絶対条件でどちらか一方が多すぎても少なすぎても駄目。で、これをこうする!」
左右の手の上に浮かぶ二つの球体を向かい合わせにすると合掌するように間隔を狭めていく。
すると白黒の塊が反発し合い、次にグルグルと渦を巻き始めた。
「氣は肉体から練り出される動のエネルギー、魔力は精神から絞り出される静のエネルギー。両者は水と油のように非常に結合しにくい性質を持っている。でも、力任せに無理矢理に混ぜ合わせることで別の性質を持つエネルギーが生成される」
で、これを――。
ルナは一呼吸置いてから一気に手を合わせた。
バチンッ、と音がして、次に少女の輪郭から凄まじいまでの氣が放たれ始める。
「氣と魔力を合成し、掌握し、己が体内に取り込む。これを私は“極”と呼んでいます。成功したら全身の感覚が恐ろしく鋭敏になって、周囲の時間の流れがとても緩やかに感じられるようになる。失敗したら何も起こらずそれどころか単に疲労感だけが後に残る諸刃の剣。技と呼ぶほど大層なものではないけれど出来ない人は一生掛かってもできない類のもの。根を詰めて演練する程の事でも無いけど奥の手として隠し持っておくには丁度良いわよ?」
そこかしこで爆ぜる空気。
爆圧にも似た圧迫感に弟子達は吹き飛ばされそうになるのを必死で堪える。
数分ほどの後に効果が失われた時には双方2メートルほど離れた位置で尻餅をついていた。
「まあ、切った張ったとは無縁の一生を送るつもりなら別に出来なくても構わないのだけれど、そうでないなら練習の一つもしてみても損は無いかもね」
数分の後に術が消失してからルナは告げる。
丁度タイミング良くメイドのアンナがやって来て食事の支度が整ったことを告げた。
ルナはまだ尻餅をついている少女達に手を差し伸べ立ち上がらせると続きは明日ということで促して屋敷へと入っていく。
夕食前に身綺麗にしておこうと三人してお風呂に入って、割れた腹筋の躍動感と硬さを指先にて確認したり背中の流しあいっこなどしてから浴室から出たところでやって来たアリサとその母ミーナ夫人、学校からの帰りで早々どこへ消えたのか不在だったシェーラと鉢合わせ。
無駄に大きな食事部屋では母サラエラとも顔を合わせて皆で夕食を啄む。
食事も半ばと言った頃合いで、ルナはふと疑問に思ったことを声にしてみた。
「クリス。そう言えば貴女の家ってどうなっているの? あまりに当然といった顔でここに居るからそういうものかなって思ってたけど」
子爵家令嬢クリスティーヌはシュバルツ・シラヴァスク子爵の娘さんで、子爵家ともなれば王都に別邸を構えていて当然。
つまり同じ貴族街に彼女が帰るべき家があるといった話になる。
なのに思い込んだら一直線のクリスちゃんは押し掛け女房的な勢いでこちらディザーク家別邸にやって来て今じゃ当たり前の顔で同じ食卓を囲んでいる。
いや、それっておかしくないか?
と、ルナは思うわけさ。
シラヴァスク別邸にだって食事の支度をするメイドやら執事はいる筈だし、場合によっては家族が帰りを待っているかも知れない。
マリアだって似たような流れでちゃっかり家に居着いては居るけれど、この子の場合は王都に別邸どころか馬車すら持ち合わせていない貴族とは名ばかりの男爵家の生まれだし、その上に専属聖女とかいう肩書きで我が儘を押し通されてしまえば否やとは言えずってなもんだ。
一方のクリスは貴族家にありがちな諸々を完全無視して余所の家でお風呂入って晩飯食って、朝はそうとう早い時間にやってきて馬車に相乗りしてるという……。
ご家族は心配じゃあないのかと問いたくて仕方ない。
「あ、大丈夫ですお姉様。家族にも家の者たちにもルナお姉様が私のお姉様だってことは言ってますし、姉妹の契りが血縁よりも尊いって事だって滾々と説明していますから」
するとクリスはニッコリと笑んで答える。
尚、クリスは目が悪いのか授業中などでは眼鏡を掛けていて、今も見るからに大人しそうな眼鏡っ娘と化している。
「そう……」
ルナはちょいと呆れつつ、屈託無い笑みを見つめ返すばかり。
世界は平和だな、とか何とか思ってみたり。
「それはそうとルナ、あなた確か冒険者登録してたわよね?」
「はい、お母様。……それが?」
一児の母とは思えない、ともすればルナの姉を名乗っても遜色ない美貌のサラエラが娘に声を掛ける。
何かと目を向けると、銀色髪の母はちょっぴり瞳を揺らして仰った。
「今日お城の方から連絡があったのですけれど、王都の東にあるダンジョン近辺で魔物の目撃情報があったらしいのです。わざわざ情報として回してくるくらいだからある程度まとまった数と見て良いでしょうね。それでスタンピードの可能性があるからと騎士団が調査に乗り出したと、ここまでが連絡の内容です」
食卓の雰囲気が一転して重苦しい物になった。
「ああ、つまり魔物の異常発生が確定となった段階で冒険者ギルドに依頼がいく予定なのですね?」
「念のためにとギルドの長に問い合わせたところ、既に話は通っているようでした。というか、そもそも目撃情報の出所がギルドで依頼を受けた冒険者なのですからそちらから報告が行われたと考えるのが正しいでしょう。スタンピードが始まれば国家の危機という話になるから貴族家からは兵を出さなくてはいけませんし、色々と面倒なのです」
サラエラは最初にルナが冒険者という立場か否かを聞いてきた。
それは即ち、いざ事が起こった時に貴族家の娘として兵を率いて出陣するか、一人の冒険者として現場に赴くか、どちらを取るかといった話になる。
ルナが率いているのは航空戦闘部隊エンゼル・ネスト。
王都のみならずアルフィリア王国全土の空を駆ける、いわば主力の兵団である。
ネストはこの二年間で千人規模にまで膨れ上がり、今も新兵の育成は行われているワケだが。
本当は国軍じゃなくてディザーク侯爵家が保有する私設軍隊なんだけど、王国軍としても配備の必要性を感じており、色々と議論を重ねた末に一時的に各部隊から見込みのありそうな人間を見繕って教育部隊を編成、彼らが一人前になったら戻すといった方向で話がまとまった。
まあ、この場合の運用方法としては直接敵陣地を叩く攻撃隊というよりは哨戒任務の方がメインになるだろうけれど。
攻撃部隊として運用するにはどうしたって頭数が必要になるから。
「ふむ、一個の英雄として戦場を駆けるのも悪くはありませんが、空を飛んだ方が知名度は上がりそうです。ですので部隊を率いる事にしましょう」
ルナが抜けた場合、ネスト&教育部隊は鷗外が率いることになる。
マリアとアリサはあくまでルナ個人に付き従っているだけだから。だがそうすると指揮官が少なすぎて、部隊がまとめられなくなる。
どんなに兵士が優秀でも指揮官が適切な指示を出さなければ彼らは能力を発揮できない。
それを思えば冒険者として拳を振るうなどは論外と言えた。
「分かりました。では貴女の兵達にはその様に話を通しておきます」
「はい、お母様」
何やかんやあった結果とても複雑な立ち位置にある航空戦闘部隊。
母は娘のサポートに徹する構えのようだ。
……元は儂の護衛として作られた集団なんだけどなぁ。
なんて思いはしたもののおくびにも出さないルナお嬢様であった。




