021:レイナと試練の洞窟⑩ カインが得たもの
「――レイナ嬢、もし君が何らかの治癒の手段を持ち合わせているなら、彼を回復させて欲しい」
「は、はいっ」
アベル王子は魔法のようで魔法ではない術でフェンリルなんて呼ばれていた巨大狼を消し去ると、疲れ切ってもう動けないとでも言わんばかりに膝を突き、蒼白になった顔から大粒の汗を垂らしながら私に告げるとそのまま意識を失い昏倒。
ぐったりとして動かなくなった王子様が気絶する直前に出した命令はダルシス君の治療で、私は弾かれたように駆け寄っては彼に魔法を掛ける。
――私、レイナ・アーカムは蒼紅Ⅱの主人公で、家系の都合から魔法適性が高い。
けれど魔法と言いながら魔法とは似て非なるもの、つまり神聖系魔法と呼ばれている技術大系は扱えない。
これは全属性への適性を得るスキル“魔導の極み”を持っていても変わらないの。
物語では途中で覚醒イベントがあって、神聖魔法が使えるようになってから聖女呼ばわりされるみたいな流れなんだけど、亡命して物語開始時点から舞台を降りてしまっている私なので覚醒イベントは起こり得ない。つまり神聖魔法は最後まで使えない筈だった。
「ふぅ……。これで一先ずは大丈夫、かな?」
なので私に出来る事と言えば、せいぜいが新陳代謝を限界以上まで高めて傷の治りを早くする水属性魔法と安価で低品質ながらここぞという所では欠かすことの出来ないCランク回復薬――Aランクのポーションは財力のある貴族家が作成できる薬師を抱え込んでいて市場に出回ることは殆ど無いし、ごく稀に流れてきてもめちゃくちゃお高いのです――の合わせ技で凌ぐ事くらい。
というか、この先に居るマリアの実質的なレベルを考えれば死者の蘇生だってお手軽簡単に行えるはずなので、私としては傷の手当てを理由にここで彼女達が戻ってくるのをジッと待っているのが上策であろうと考える。
(ま、アベル王子は気絶してるし、カイン王子だって武器が無いから戦えない。ダルシス様も行動不能となれば動きようがないんだけどね……)
一瞬、三つの棺桶を引きずった勇者が教会の神父さんに「おお、○○、死んでしまうとは情けない」とか何とか嘆かれている絵面を思い浮かべてしまったけれど、すぐさま図案を投げ捨てる。
私は勇者ではなく貴族家の令嬢なので魔王を討伐するために旅に出るなんて有り得ない事なのだから。
……や、これはフラグでも何でもないんだからねっ!
ダルシス君は全身のあちこちを骨折しているようで、今は意識を失っているけれど目を覚ました途端に激痛に苛まれる事になるだろう。
それまでに蒼紅(無印)の主人公マリアが戻ってきて彼を回復させてくれたなら絶叫は起こらないのだろうけれど、きっと望みは薄いわね。などと達観した目で天井を見上げる私である。
◆ ◆ ◆
カインは暫しぼんやりとして戦いの余韻に浸っていたが、やがて仲間達の惨状を目にした頃合いで他にモンスターが居たら全滅必至であると堂内を警戒する事にした。
(……しかし、たった一戦しただけでコレかよ)
アッシュグレー髪の青年はちょいと辟易しつつ歩き回ってみる。
確かにアベルは天才で剣を持たせりゃ自分なんて相手にもならないくらいに強い。
でも、世の中にはそれすら簡単に上回る化け物が確かに存在しており、強者は必然的に他の強者を呼び寄せてしまうのもまた事実。
そして彼は大技を一発放った時点で氣力を使い果たして気絶してしまう、と。
今回は一撃で相手が消し飛んでくれたおかげで全滅しなくて済んだ。
でも大技だからといって必殺であるとは限らないのだ。
敵の数が多くて取り零してしまうだとか、防御能力や属性の相性の悪さから相手が死ななかった場合にはまず間違い無くこちらが全滅してしまうだろう。
自分はもっと強くならなくてはいけない。
それはその通り。
だが兄を後追いする形で修行に明け暮れても、できるのは劣化版のアベルでしかない。
ひょっとしたら向かうべき方向性を変えなければいけないのかも知れない。
光帝流剣術は恐るべき剣術ではあるが、どう転んでも自分が継承できないというのであれば目指すべき戦闘スタイルそのものを見直すべきではなかろうか、なんて思ってしまうのだ。
(フェンリルか……恐ろしい魔物ではあったが、そこに気付かせてくれた事には感謝すべきなんだろうな)
ふと思って一人笑んでしまう。
顧みると遠くに仲間達――床に転がされたアベルとダルシス、それから座り込んで何か魔法を発動させようとしているレイナ嬢が見えて、考え事して歩いているうちにドーム奥の扉付近まで来ている事に気付いた。
引き返そうと踵を返したところで不意に目端にキラリと光る物を発見する。
(ん? 何だコレ)
そちらへと近づいて行って床に墜ちているそれを拾い上げる。
それは黒くて丸い石で、大きさは手で握り込めば隠れてしまう程度。
何だろうと見つめていると不意にビリッと石球を持つ手が痺れてびっしり鳥肌が立った。
「っ?!」
呪われたアイテムとかじゃないだろうな。
などと思ったのも束の間、球体の表面に一本亀裂が走り、グニャリと歪んだかと思えば目のように見開かれた。
(え、ちょっ!!)
慌てて投げ捨てようとするが全身が金縛りにでも遭ったように動かない。
黒い石球に出現した瞳孔と目を合わせている内に、声を聞いた。
“――力が欲しくばくれてやる! 我を求めよ! 我が名を呼べ!”
恐ろしい気配に全身を包み込まれているような。
逃げられない絶対的な絶望。死の恐怖。
心臓が早鐘のように打ち鳴らされているのを感じる。
(お前は……誰だ?)
疑問を口にしたつもりで、けれど声が出ない。
喉がカラカラだ。
“我が名はフェンリル。誇り高き魔狼の王なり!!”
頭の中に直接話し掛けてくる声。
名を聞いたところで全身を支配していた恐怖がスッと消え失せた。
理解、とは言えないだろうが。
何となく分かってしまった。
自分は今この瞬間にコイツと邂逅するために生き続けてきたのだと。
なぜそう思ったのかは分からない。
感覚がおかしくなっているだけなのかも。
だが、いずれにしたって、自分が今から弾き出す答えによって、全てが変わってしまうという事だけは確信していた。
遠くを見る。
床の上で身動きする様子も無い兄の姿を視界に収める。
これまで蓋をしてきた自分の想い。
嫉妬や怒り、理不尽さを思い返す。
(――ああ、俺は力が欲しい)
カインは黒球を掴む手に力を込める。
誰にも負けない絶対的な力。
自分には無い天才的な才能。
玉座も美女も。
これまで欲しがった全てに対して。
ただただ「欲しい」と願わずにいられない。
だから――。
「フェンリル」
その名を口にした。
金縛りで動けないはずなのに、その言葉は驚くほどすんなり口を突いて出た。
“――貴様の呼びかけに応えよう! 裏切りの王子カインよ!!”
その瞬間、視界が揺らいだ。
二重になった視界の中で、憎しみの炎が燃え上がるのを感じていた。
「くくっ……くくくっ……」
口元から自然と零れる笑みは嗜虐的な音色を孕んでいた。
青年はようやく手に入れたと思った。
「ああ、これだ。俺はコレが欲しかったんだ」
圧倒的で絶対的な力。
それを手に入れると今度は玉座やら権力といったものが無価値な物に思えてくる。
いや、美女の方は全く無価値には思わなかったのだけれども。
「まずはルナを俺の女にしよう。なに、一度か二度でも手籠めにすりゃあ従順になるだろうよ……アルフィリアなんぞは気に入らなければ滅ぼしてしまえば良い。全てを奪われる絶望をアイツにも味あわせてやらないとな」
くく、ふふふっ……。
愉快で愉しくて堪らない。
お前を悲劇の主人公にしてやるよ。この俺の手で!
青年はそんなことを考えて、それから気を落ち着かせようと深呼吸する。
今は気取らせるワケにはいかない。
表面上はいつもと変わらぬ第二王子であり続け、この間に暗躍し準備を整える。
気持ちが落ち着いた所で何食わぬ表情を作り、仲間達の所へと歩き始める。
手の中にあった筈の黒い石球は気付けば跡形もなく消え失せていた。
いやルナ様を押し倒そうとしてボコられるまでがワンセットなんですけどねw