020:レイナと試練の洞窟⑨ カイン王子の場合
カインはずっと劣等感を抱え込んでいた。
いつでも比べられるのは第一王子アベル。
実の兄。歳が変わらないのは半年しか誕生日が違わないから。
けれどその半年の差が恐ろしいまでに遠くに感じられていた。
兄はあらゆる事象に対して天才的な才能があった。
そして将来的にカインが欲しいと思う物の全てを手に入れる事が分かっていた。
アルフィリア王国の玉座も、聖拳六派の一角に数えられる光帝流剣術の継承も、絶世の美女となることが確約されているルナ侯爵令嬢との婚姻についても。
そしてアベルの弟として生まれてしまった自分は何も持ち合わせていなかった。
天武の才も無く、顔の善し悪しについても一歩届かない。
王族に連なる者だからと兄と共に魔法学園に入学したまでは良いが完全に添え物扱いだ。
この二年間、アベルは母の指導を受けてメキメキと頭角を現していた。
生来の天才が更に努力すらしているのだから当然だろう。
自分もどうにか追いつこうと死に物狂いで努力したが、それでも兄に勝てた試しが無い。
涙が出るほど情けなくて、悔しくて堪らない。
だから、巨大な黒狼へと先陣切って突っ込んでいったダルシスの気持ちは痛い程よく分かったし、彼が獣の前足で叩き潰され息も絶え絶えに転がる光景を目の当たりにしても、憐れみや同情よりも悔しさが先に立った。
才能の無い人間はいくら努力しても無駄であると目の前に突き付けられているように思われたから。
「カイン!」
灰色髪の青年は自分を呼ぶ声で我に返る。
目を向ければアベルが剣を正眼に構える姿勢のままこちらへと目配せしていた。
「アレはきっと生半可な攻撃は通用しない。大技を放つから時間を稼いでくれ」
「分かった」
手に持っている剣に目を落としてからカインは返した。
得物としている剣は諸刃の直刀で、ダルシスのと比べると長さも厚みも控えめ。
彼の武器が巨狼の体毛に阻まれ肉を切り裂くに至っていない所から察して自分の攻撃も届かないかに思われる。
渾身の一撃を比較的体毛の少ない部位に撃ち込んでさえ掠り傷を与えるのがせいぜい。致命傷には遠く及ばないだろう。
であるならば攻撃は兄に丸投げして自分は防御と時間稼ぎに徹するより他に選択肢が無いのもまた事実なのである。
と、理解はしている。
けれど心の奥底でモヤッとしてしまう。
カインはそんな自身の本音を女々しい男の泣き言と蓋をした。
「いくぜっ!」
そして剣を手に駆け出す。
防御主体なら盾を持ってくれば良かったとちょいと後悔しながら、それでも無い物ねだりは余計に自分を惨めにするだけだと割り切って、巨体なる黒狼目がけて突進する。
攻撃魔法は、きっと通用しないだろう。
カインの得意属性は闇だが、ダークジャベリンを放ったとして手合いにダメージを与えられる気が全くしない。
だが、攻撃性能だけが魔法ではないのだと自分に言って聞かせた。
「――夜の帳、深遠なる闇の彼方。行き先を惑わす暗幕を此処に降ろさん」
得意属性であれば呪句の詠唱は無くても構わないのだが、抵抗は間違いなくあるだろうし、より効力を増すためにと呪文を口ずさんでおく。
魔術回路を幻視し実体化させる事が無詠唱の基本だが、それ系のスキルでも保有していない限り発動スピードは早いが効力が薄っぺらくなるとかいうお粗末な結果になる。
なのでカインは意識の大半を術の方に割くことにした。
ヒュォ、ドガガガガッ!!
黒狼が大きく裂けた口を開けば、喉奥から黒々とした塊が射出され疾駆する青年の近くの床に着弾、床板を陥没させる。
ダルシスが戦っている時は細かい所まで見えなかったが、対峙してようやく理解する。
フェンリル君とかいうデカブツは、大口を開けた内側、喉の奥にて魔術回路を生成、闇魔法をぶっ放しているのだ。
つまり、巨狼の攻撃というのは魔法なのである。
(ってことは、魔法抵抗能力だって桁違いに強いって事じゃねえか。しかも得意属性が被ってやがる。……これはマズいぞ?!)
内心で冷や汗を掻く。
カインの得意属性は闇で、相手の得意も闇。
しかも両者の基本性能を比べるなら圧倒的に向こうが格上。
するとどうなるのかと言えば、視力を奪うなどのデバフは殆ど意味を成さないといった話になる。
カインが準備しているのは闇属性魔法“遮光”で、例え相手が嗅覚に優れた獣であっても視界を奪う事で幾分かでも動きを鈍らせる事が出来るはずだと考えたからだ。
しかし魔法が高確率で不発に終わるというのなら、魔力をドブに捨てるぶん自分が不利になる。
(だったら……!!)
カインは即座に頭を切り替えると詠唱途中の魔法を破棄して新たに組み直す。
今度こそ発動させたのは土属性魔法だった。
――《硬度変化》!
カインは闇属性が得意で、言い換えるなら他の属性の魔法は扱えなかったり若しくは発動しても効力が弱い。
だが硬度変化の魔法は発動範囲を絞れば問題ないし、敵ではなく敵が立っている床を標的に指定すればレジストされる恐れもない。
硬度変化は物体の硬度を変化させる魔法で、調整は難しいが魔法としての構造は単純で、故に初級魔法に分類されている。
持続時間は数秒。
しかし術者が生粋の魔法使いではなく肉弾戦を主体とする剣士であるならその数秒間で充分なのだ。
黒狼の巨体を支えていた後ろ足が片方だけ床に沈む。
予想していなかった環境の変化に獣は一瞬ビクリと身を硬直させ、転ばないよう反対側の足で踏ん張る。
それは体幹を安定させようとする生物として当然の反応だった。
「そこだぁっ!!!」
鋭い声を共に加速したカインは体勢を崩している巨狼の股下へと滑り込み、踏ん張っている足の裏側を回転斬りにて切り裂いた。
『GAUOOOOO!!!』
素早い動きに対応しきれず簡単に足の健を切断された狼は苦悶とも怒りともつかない声で一鳴きすると、傾いだ上体もそのままに前足で薙ぎ払おうとする。
しかしこの時には狼の袂にカインの姿は無く攻撃は空を切る。
「ぜはっ! ぜはっ! ぜはっ!」
死にそうな息を吐きながら、アッシュグレー髪の第二王子は離脱と同時に投げ捨てていた己が剣へと目を遣る。
床に転がっている得物はへし折れていた。
斬り付けた部位は体毛が薄く、だから斬れるはずと見込んでの攻撃だったが、それでも相打ちとばかりに鉄製剣はただの鉄塊へと変わっている。
しかしカインは満足げにニヤリとして目を落とした。
空いた両手で抱え上げているのはそれまで黒狼の足下の床に転がされるばかりだったダルシスの体。
半死半生の彼はそれほど仲が良いワケでも無いが、ルナお嬢様の弟子であると自ら公言している以上はそう簡単に死なせてやるワケにもいかないのだ。
コイツが死んでしまったら彼女が悲しむ……いや舐められたと怒り狂うかも知れないが、どちらにしたって彼女の不興を買ってストレス発散にぶち殺されたのでは洒落にならない。
だからダルシスの遺体――まだ死んでない――を抱えたまま限界をも超えた膂力にて大きく飛び退き少なくとも前足が届かない位置まで退避したワケさ。
「兄貴!」
そして攻撃手段を失ったカインが次に見遣ったのは実兄である。
第一王子にして光帝流剣術の継承を約束された天才。
金髪も凜々しい兄上殿は手に持った剣を胸の高さまで持ち上げたまま、弟の方を見ようともしないで声を出す。
「ああ、こちらの準備はできた」
コオオォォォォ……。
青年の輪郭から青白い闘気が溢れ出している。
今のところ彼が使える大技は一つきり。しかも完全に習得もしていない未完成の代物。
だがそれでも現状を打破できる可能性を秘めていた。
「いくぞ……」
小さく呟いたアベル王子は、次に全身から凄まじい闘気を迸らせる。
――光帝流剣術。奥義、桜花封神。
ギュバッ!!!!
円柱型闘技場の真ん中に、光の柱が突き立つ。
柱は黒狼の巨躯を飲み込み断末魔の悲鳴を上げるそれが音を失うまで光を浴びせ続けた。
やがて技が終了すれば、そこに怪物の姿は無く。
ただ生き残った人々の輪郭が床に影を落とすばかり。
戦いはこの様にして幕を下ろした。