011:ルナ様の女優業
「――シーン32、アクション!」
パチンッ、と小気味良い音を立てるカチンコ。
音が鳴ったのと同時に映写具の前に居た人々が一斉に動き出す。
「メリッサ嬢、なぜ彼が事件の犯人であると?」
「ええ、犯行が行われたとされる午前5時20分、この時点で現場に居合わせることが出来たのは彼だけだから」
「それはどういう意味――」
「つまりカーター氏にはアリバイがあるという事ですわ、騎士様」
『微笑探偵メリッサ』は今から半年ほど前に始まった推理ドラマである。
更新は基本週一だが撮影の関係で数日ズレ込む事もあった。
主役になるメリッサはルナが演じていて、憲兵二人を引き連れた騎士というか助手的な役割をマクレガーという舞台役者が演じている。
音響や音楽にはリカルド・シューベルという壮年ながらここ最近になってポップスなるジャンルを生み出して知名度急上昇中の作曲家が担当し。
また企画を作ったのはラブルス商会でも上から二番目に偉いとされるブラッド・ピッグ氏。
即ちドラマ制作にあたり資金を捻出しているスポンサーは王都でも指折りの大店たるラブルス商会なのである。
何のためのドラマ制作かと言えば、ルナお嬢様の魅力を王都の人々に知らしめたいといったブラッド氏が語った話もあるのだけれど、これ以外の思惑として単体のCMではなく作中にさりげなく商品を提示した場合に売れ行きがどうなるのかデータを取る社会実験としての意味合いがあり、また今後そういったドラマを作成するにあたっての役者達の育成が挙げられる。
今回撮影に協力して貰っているのは『黄金の夜明け歌劇団』という普段なら舞台で歌って演じてを行う人々だ。
その座長ウェストコット氏が送り込んだのは看板役者のマクレガー氏をはじめとする一流どころ。こうして世界初の推理ドラマの撮影が始まった、というのが顛末で。
今では都内のあちらこちらに映写装置が設置されているが王都広場に設置された最初のスクリーン、つまり王家が大々的に始めた映像施設ではルナが出演しているCMや今回のドラマがメインで放映されている。
だって未来の王妃様だからね。
しかも現王妃のエリザ様はルナちゃんが大のお気に入りで下手すりゃ息子達よりも余程惚れ込んでいる節すら見受けられる。
これは絶対逃がさないぞ的な意味合いすら含んでるだろと。ルナでなくても簡単に察することができた。
「アリバイだって? カーター氏、それは本当か?!」
「いや、その……」
舞台で演じるのとは違った見せ方に戸惑いつつも彼らとて演劇でメシを食っているその道のプロとして日々研究を重ね、今では演技だって堂に入ったものだ。
だがそんな彼らでさえルナお嬢様の演技には舌を巻くばかりだった。
「カーターさん、貴方はこの時、王都の西部、とある貴族家のお屋敷にいらっしゃいましたね」
「っ?! なぜそれを!!」
殺人事件の犯人と思わせておいて実は無実の人を演じるのはアレイスターという猿顔の男性で、彼は目を剥く勢いで驚愕する。
そこで名探偵ルナちゃんもといメリッサ嬢は意味深な微笑みを手向けるのだ。
「色々と漏れ聞こえる声はあるのですよ、ミスター。確かに“かのご令嬢”はお美しいですものね」
「うぐぐ……」
「まあ、そんなワケでカーターさんにはアリバイがあります。そうなると同じ時刻に殺人現場に居合わせることができたのは、被害者であるスミスさんと、そしてもう一人、貴方だけといった話になりますよね。違いますか?」
「くっ……!」
犯人役の男性がガクッと膝から崩れ落ちる。
憲兵二人が彼の両脇を抱え上げて連行していく。
「流石ですメリッサ嬢。全く以てお見事としか言い様がありませんな!」
「真実はいつも一つきり。私はただ過去を暴いているに過ぎませんわ」
感心した声で称賛する騎士に探偵メリッサは微笑んで返す。
編集後の映像ではここからエンディング曲と共にスタッフロールが流れる筈だった。
「――カァァット! 素晴らしい! 完璧な演技です!」
企画から脚本から何でも一人で仕上げるだけでは飽き足らず監督としてメガホンを握るブラッド氏が絶賛する。
ルナはと言えばニッコニコで「ありがとう御座います♪」なんて頭を下げる。
一同が安堵の息を吐いていても彼女だけはいつでも笑顔を絶やさない。
「彼女には本当に華がある。一度でも視界に入れてしまったら、あっという間に熱烈なファンの出来上がりだ」
「ああ、演技だって申し分ない。是非とも歌劇団に欲しいくらいだよ」
「勧誘はするなよ?」
「分かっているさ。俺だって不敬罪で素ッ首落とされるのは御免だ」
黄金の夜明け歌劇団の人々が囁き合っていても気付かないお嬢様。
ルナは自分が第一王子の婚約者である事を明言はしていない。
けれど公然の秘密とでも言おうか、全員ともが分かっていてなお知らない素振りをしているのだ。
そうしないと次期王妃様に無礼な振る舞いをしたとしょっ引かれる可能性まであるから。
……過去に行われたデビュタントで匂わせる発言があったし、何年か前にはルナがアベル王子の婚約者になったと王家は大々的に報じたけれど、情報化社会へと邁進しつつあるアルフィリア王国ともなればそういった話でさえ過去の物となるのに時間は掛からない。
でも覚えている人はずっと覚えているもので。
特に王都内で恐らくは最も知名度が高いに違いないルナお嬢様の事ともなれば、そう易々とは忘れて貰えない現実。いとかなし。
歌劇団の人々が少女一人を喉から手が出そうなほどに欲しがっていても決して勧誘しないのにはそういった理由があった。
「皆さんお疲れ様ですっ!」
「ルナちゃんもお疲れ様っ!」
ルナは本日の収録が全て終わったところで劇団の人々に笑顔で頭を下げに行く。
そんな鋼色髪少女を複雑そうな顔で追い掛けるのはリアル助手と化している聖女マリア。
瑠璃色髪のお嬢さんは敬愛するお姉様を斜め後ろから追い掛けつつ、スタッフ達にすらお礼と労いの言葉を掛けていく。
「けれどお姉様、お姉様は女神様なのだしそんな腰を低くしなくても良いのではないでしょうか」
歌劇役者や裏方が撤収していく様を見送ったところでマリアが物申す。
お姉様が笑顔を振りまき人々に頭を下げる様がちょいと気にくわないのだ。
そんな妹分の言葉にルナは優しげな笑みを手向けた。
「マリア、何に対しても言える事だけど一人で全てを完結できる話なんて無いわ。自分が何かを行おうとする時、必ず他の誰かが携わっているものなの。
であるならば笑顔を振りまいて良い印象を与えておくのは当然。
一銭のお金も掛けずに物事を円滑に進める手段があるのなら惜しむべきではないし、ここで与えた好印象が次へと繋がっていくものなの。
というか、最後までムスッとしてふて腐れたような子供なんて誰も相手したくないでしょ?」
「それは、まあ、そうなんでしょうけれど……」
ルナは歩きながら世間話の体で物申す。
けれどお姉様LOVEのマリアは納得したようには見えなかった。
「ルナお嬢様、ちょっと良いですか?」
二人が送迎の為にと待機していた馬車へと向かう道すがら、後ろから聞き覚えのある声で呼び止められる。
振り返って見ればさっきまでメガホンを手に誰を意識しているのかハンチング帽など被っているブラッド・ピッグ氏が早足で追い掛けてくるじゃあないか。
足を止めた二人の前にガッチリとしてそれでいて長身の、ウドの大木といった表現がシックリくる中年男性が立っていた。
「このあいだお見せした企画、どんなもんでしょう?」
彼は社交辞令だとか冗長な前置きは好きではなく、故に単刀直入に聞いてくる。
ブラッド氏の言う企画というのは、微笑探偵メリッサがそろそろ切り上げるのに良い時期に差し掛かっており、その次にと考えている作品の事だ。
タイトルは『お嬢様の日常』。
今回の推理モノに然程の手応えを感じていない様子――視聴者の数だけ見れば確かに都民の大半をカウントする事ができる。けれどそれはほぼ全員ともが国民的アイドルとも言うべきルナお嬢様のお姿を拝見したい即ち役者推しでしかないと監督は過去に漏らしている。いや彼自身がルナのファン第一号だから何も問題ないのだけれどね――だったブラッド監督は、次に貴族家ご令嬢の視点から描くコメディーを作ってみたいらしい。
主人公はマリーという名前で勿論のことルナが演じるのだけれど。
子爵家生まれで常識知らず、そのくせ何でもこなしてしまう万能超人のマリーちゃんが家族を驚かせ、他家のお嬢様方と交友を深め、時にはライバル令嬢から嫌がらせをされて逆に返り討ちにしてみたりの日々を送りつつ、最終的には王子様と結ばれるといった玉の輿というか女性の憧れるようなシチュエーションを匂わせつつもコメディー色が滲み出るような話。
この話の肝は、ルナの取り巻きお嬢様役としてマリアやアリサといった実際にルナをお姉様と呼んで慕う子たちを抜擢するといったところ。
つまりドラマにかこつけてマリア達を女優デビューさせちゃおうと、そういった企画なのである。
数日前にこの企画書を同氏より送りつけられて、もちろんルナは目を通しているけれど。
まだ細かい諸々がほぼ何も決まっていない段階でルナに直接お伺いを立てるのは順序としてどうなのさと思わなくも無い。
「悪いとは言わないけれど、実際の貴族家の令嬢を引っ張り出す以上は台詞回し一つ取っても余程気を遣わないと揚げ足を取られますわよ」
聞かれたので答えた、とでも言わんばかりにルナお嬢様が返す。
確かにマリアやアリサを出演させるだけなら簡単だ。
問題なのはマリア、アリサ、クリスティーヌといった面子は実際の貴族家で、ディザーク侯爵家の養子になっているシェーラは当家の者として扱えるけれど他の子達は軽々しく扱えない。
いや当人達の家族は大丈夫だろうと思う。
問題なのは何の関係も無い他家の者が「貴族にこの様な台詞を言わせるとはけしからん」と難癖付けてくる可能性が非常に高いということ。
或いは「あの子達は出演しているのにどうしてウチの子は出して貰えないの?」なんて方向性のクレームかも知れない。
ここで折れて言いなりになれば莫大なお金を毟り取られる羽目になるだろう。
かといって抗えば命まで取られかねない。
忘れてはいけない。貴族とは権力者側に立っている犯罪組織でしかないということを。
いずれにしたってブラッド氏の企画は通らないだろう。
仮に通ってもあれやこれやと条件を付けられるか。
都内のスクリーンに映し出される映像作品は全て検閲が行われており、特にルナの出演している映像に関しては国王様が家族だけでなく宰相などの重鎮も交えて厳しく精査(?)している事を踏まえるなら、後に禍根の種になりそうな企画はそれだけで蹴られる公算が高いと言えた。
「あぁ、やっぱりそうかぁ……」
ガックリ項垂れるブラッド氏。
本人的にも同じ結論は持っていたようだ。
このままトボトボと帰すのも忍びなく思えて「ただ……」とルナは続ける。
「例えばですけれど、私のように歌って踊って演技もこなす女の子達を一纏めにした歌劇団のような物を設立して組織同士の契約といった形にしてしまえば部外者からのクレームは格段に減るでしょうね」
貴族家の娘さんをそのまま出演させればカドが立つ。
だったらそういった仕事を請け負っている、といった格好にすれば「仕事としてこの役を請け負いこういった台詞を口にしています」と言い訳が立つんじゃないか、というのがルナの考えたプランである。
まあ、ルナとしても将来的にそういった組織団体を立ち上げる腹づもりなので、ここでその旨をちょっぴり滲ませても構わないかと思った次第だ。
「つまりアイドル事務所を作れば良いってことか……」
ルナの思惑はかなり正確に伝わったようで、ブラッド氏は神妙な面持ちで二度三度と頷いた。
「そのアイデア、持ち帰って詰めてみようと思います!」
肩を落としたところから一転して何やら気力の漲っているブラッド監督。
やや勢い込んで会釈したかと思えば意気揚々踵を返した彼に苦笑を禁じ得ないルナとマリアであった。