010:魔法とは⑥ レイナの授業風景(見せつけられ)
――魔法学園敷地内にあるドーム状の訓練場では、私が放った炎の鳥の圧倒的火力を前に生徒達のみならず外周観覧席で見守っていた教員数名も含めて興奮状態というか熱気冷めやらぬとでも言おうか。
そんな中で名前を呼ばれて進み出たのは艶やかな瑠璃色髪が学園制服に映える聖女マリア・テンプル。
そう、乙女ゲーム“蒼い竜と紅い月”の主人公。
そして正史であれば初期魔力値3,000くらいだったはずの彼女の実際の魔力値は70,000!
何をどうやったらそんな魔王をワンパン撃破しちゃいそうな化け物級になるというのか。
私だって血の滲むようなパワーレベリングの果てにようやっと27,000に到達したってのに……。
「リベリア先生、一つ確認したいのですが」
「はい、どうなさいました?」
進み出る途中で一度だけ足を止めたマリアが青紫髪の女性教員へと問い掛ける。
「要は魔法にて案山子を攻撃すれば宜しいのですね?」
「ええ、その通りです」
何故今更そんな事を聞くのか。
怪訝そうな面持ちながら頷いたリベリア女史にニッコリ笑んでマリアは鎧を着せられた案山子の前に立つ。
計測不能と出たルナ侯爵令嬢を別とすればアルファ・クラス内、いや学園生徒の頂点に立つに違いない聖女マリアが何をしでかすものかと面々揃って固唾を飲むばかり。
「では、……いきます!」
――桜心流氣術、双覇転陣!
ヴンッ、とマリアの輪郭がブレたかと思えば全く同じ形が二つになった。
え? と思う間もなく、彼女は前後に別れてそれぞれに腰を落として構える。
「お姉様ほど上手くはできないし長い時間も保っていられないけれど、一撃だけならこれで充分っ!」
前方のマリアがまるでバスケットボールを抱え込むような、後ろのマリアが両手を合わせて標的めがけて何かを放たんとするような構え。
その掌の表面に光の魔術回路が成形されていく。
「お姉様から教わりました! 魔法とは重ね掛けするモノであるという事を! そして絶え間ない修練の果てに私は知ったのです! 一つ一つの魔法が初級であっても二つを合わせれば中級魔法をも凌駕することを!!」
何やら説明臭い口上を述べつつ、ツインマリア(?)の魔法が発動を開始する。
無詠唱なんて当たり前ですかそうですか。
私は自分の苦労を簡単に飛び越えて遙か高みにある初代主人公に嫉妬の念を覚えた。
「あ、ヤバ」
彼女が強烈な光魔法を行使する。
そこから導き出される数秒先の未来をいち早く感知した私が術を発動させるのと化け物聖女の魔法が顕現するのはほぼ同時の事。
――《光弾》、重複っ!!
ギュバッ!!!!!
視界一面が真っ白い光に染まった。
数秒もすれば誰も彼もが「目がぁ~!!」と顔を押さえて蹲る阿鼻叫喚へと様変わり。
私だって自分に闇属性の魔法《遮光》を掛けていなければ目を焼かれていたに違いない。
《遮光》は本来は標的を盲目状態に陥らせるデバフなんだけど、自分に対して発動させる事もできるし、対自分の方が抵抗が無いぶん即座に効力を表す。
光が収まったタイミングで術を解いた私の前には、当然ながら視界を奪われもがき苦しむ生徒達の図が広がっちゃう次第なのだけれど、そんな中で平然と立っているのは一人きりに戻ったマリアの他に悪役令嬢ルナ、紅髪のアリサ嬢、地味で大人しそうな黒グレー色髪のクリスティーヌ嬢、あと名前も知らない存在感の薄い極黒髪の子、兄弟王子やダルシスもだし、……え、と思ったのはそこにリベリア先生が含まれていること。
先生はそれまでの天然のんびり屋さんといった面持ちから一転して、何を考えているのかも推し量れない鋭い眼光を眼鏡の奥に灯している。
「はい、こんな感じで如何でしょう?」
分身からの魔法の重ね掛けとかいう前代未聞の離れ業をやってのけたマリアがあっけらかんとした音色で振り返ると、阿鼻叫喚の地獄絵図になんて目もくれず猫まっしぐら的にルナの所まで駆け寄る。
「お姉様、場を暖めておきました!」
褒めて褒めてと甘えたい盛りの子犬のように悪役令嬢へとじゃれつくマリア嬢。
続編主人公の事なんて眼中にも無いって事かしら……!
「そんな張り切らなくて良いのに……」
「何を仰いますか! 専属聖女が女神様に恥を掻かせるだなんて言語道断! あとはお姉様がそのご神威を示されれば学園は手中に落ちたも同然! お姉様の天下ですっ!」
あらあら困ったちゃんねぇ。なんて複雑そうな顔をするルナに、マリアは跳ねる勢いで物申している。
というか二人の関係性がいまいち良く分からないと思うのはきっと私だけじゃあないはずだ。
……ピシリ。
と何処かで亀裂の入るような音を聞く私。
何だろうと小首を傾げている間にリベリア先生がルナを指名する。
「ではルナさん、次は貴女の番です。……貴女の実力を見せて下さい」
眼鏡先生の挑発するような物言いにルナは「はい」とニッコリ笑顔で答える。
何やら凄まじくイヤな予感がしているのは私だけじゃないと思いたい。
白線の所まで進み出たルナ・ベル・ディザーク侯爵家ご令嬢。
彼女は振り返るとどうにか視力が回復して覚束ないながら立ち上がっている生徒一同を見回し声に出す。
「最初に言っておきますが、私は魔法という学術体系がそれほど得意ではありませんし、それほど興味があるわけでもありません。
ただ、皆さんにお伝えすべき事は、魔法というのは上級とか初級とか区分けされているようですけれど実は根っこの部分では然程の違いがないということ。
過去に知り合った魔法使いの言葉を借りるなら、要はその場その場で最も理に適った術が選択できるかどうかといった話です」
何が言いたいのか分からない。
けれど言っている内容は分かる。
魔法というのは半詠唱方式が主流になってからというもの定型文を組み合わせる事に躍起になるような開発しかしなくなった。
けれど本当は、魔法というのは行使する環境に合わせてその場限りで構築していくものなのだ。
例えば手から炎を出す魔法を使用するにしたって、外気温や湿度によって効果は多少変化する。
水の中では使用できない(実際の火ではないので理論上はできるけれど水中で燃え盛る炎というのを想像できる人なんてそうはいないので結局は使えないって話になる)し、洞窟など密閉された空間では本来の火力に届かないなど不都合がある。
そうすると最終的に魔導士の優劣はその場ごとの環境で最適な魔法を選択できるかどうかで決まるってな話になってしまう。
だから絶えず勉強しなきゃいけない。
知っている魔法が多ければ選択肢の幅が広くなる。
選択肢が増えるほど生存確率が増すのだから。
とは言え個人の魔力量の兼ね合いがあるから知っている術式が多ければ良いといった話でもない。
重要なのは必要な局面で必要なだけの魔力を振るえるよう配分を考えなきゃいけないってこと。
高度な魔法はそれだけ消費される魔力も膨大になるから使いどころを間違えると一気に劣勢へと傾く。
そうならないために魔導士は考え続け選択し続けなきゃいけないのだ。
っていうか彼女の言葉を本当の意味で理解できる人間なんてそうはいないし、少なくとも傍聴する学生達はその大部分が何を言われているのかさえ分からないだろう。
これは実際にダンジョンとかに潜って命の遣り取りをしないと実感できない事柄だ。
少なくとも入学して間も無い生徒達に言って聞かせるような話ではないと思うのだけれど、何故このタイミングで彼女はそれを告げているのか私にはいまいち理解できなかった。
「もう間もなく、世界は大きな試練に直面するでしょう。それは逃れ得ぬ災厄。今この場に立っているあなた達だって例外なく、命の危機に晒される事となるでしょう。
ならばあなた達は死に物狂いで強くならなくてはいけません。絶対的な死と絶望の向こう側にある“生”へと手を伸ばせるよう己を磨きなさい。飽くなき生への渇望と修練こそがあなた達を本当の意味での魔法使いへと変えるのです」
盛大な演説をぶちかましてやがりますよこの女。
彼女はどうやら愚衆を扇動するのが得意な性質であるらしい。
ここへ来て私はルナの真意を理解する。
この女、注目される機会を利用して生徒一同を掌握しようとしている……!
マズい!
クラス全員が彼女の賛同者になってしまえばマリアが言ったように在籍中の二年間は彼女の天下になる。
そうなれば私が彼女から敵認定されたが最後、クラス全員から排斥されるなんて目もあり得るじゃあないか!
「何をテキトーなこと――っ!」
どうにかしてアイツの口を閉じさせないと。
私は妙案も思いつかないまま、とにかく彼女の勢いを止めようと声に出す。
なのにルナ・ベル・ディザークは私にそれをさせなかった。
「これがあなた達が目指すべき頂上の一つです! 刮目なさい!!」
握り絞めた拳を天へと掲げたルナ。
この頭上に6つの魔術回路が成形される。
上から光、火、風、土、水、闇とそれぞれ違った属性の魔術回路はどれもが一つだけを取り沙汰すれば初級の攻撃魔法だ。
けれど複数の魔術回路を同時に発動させるのは極めて難しく、魔導の奥義の一つとさえ言われている。
魔術回路の並列起動は、“マルチタスク”というスキルを保有していないと成し得ない。
私はスキルとして“魔導の極み”を持っているけれど、それでも並列起動には条件が付いてしまうから同属性魔法を二つ展開するのが限界だった。
それら魔術回路がゆっくり降りてきてルナの掲げた拳へと吸い込まれていく。
彼女の手が腕が真っ黒になった。
「黒拳。と、私は呼んでいますが、神でない者を葬る手段という意味では最上級の攻撃手法となるでしょう」
言ってから彼女は踵を返し、鎧案山子へと向き直る。
腰を落とし、黒く染まった拳を引く。
「しっ!」
そして拳が突き出された。
瞬間、世界がモノトーンに彩られる。
案山子が一瞬すら耐えられずに蒸発した。
このずっと向こうにあった訓練場の壁がまるで巨大な球体にくり抜かれでもしたかのように抉り取られ、壁の更に向こうにある学園敷地の景観とを地続きにする。
訓練場に施されているという高レベル結界とやらは何ら用を成さなかったらしい。
そして白黒の世界に再び色が戻った時、壁に空いた穴から流れ込んできた風に鋼色の艶髪を靡かせこちらを顧みる悪魔の如き大魔導士の姿を、私たちはその目に焼き付ける事となった。