004:レイナ・アーカム子爵家令嬢②
桜並木を通り抜ける風が、ピンク色の花弁を翻弄する。
本国トルメキアから遠く離れたアルフィリアの地で行われた入学式。
蒼紅Ⅱの主人公が無印の舞台で学園生活を始めようってんだから心境は複雑としか言い様がない。
一見して砦かよと見紛うばかりの校舎は三階建てで、正面にそびえ立つ門を潜り抜ければ外観から予想したよりずっと広々とした敷地が広がる。
私はつい観光客気分で「ふぁ~」なんて息を吐いてみたり。
周囲に見えている生徒達と同じ制服に身を包んでいるってのにね。
「きゃっ」
「おっと」
ぼんやり歩いていた私はすぐ目の前に現れた障害物にぶつかってすっ転んでしまいそうになる。
そこへ男性の腕が伸びてきて腰に回されたかと思えば私の身体を簡単に支えてくれた。
「怪我は無いかい? ――ええと」
イケメンボイスが私の鼓膜を震わせる。
慌てて目を上げれば、そこにはキラキラとしたエフェクトを纏っているのかとすら疑っちゃうほどの美形男子が。
金色の髪は短くしているというのにサラサラに見えた。
私の髪も金色ではあるけれどどちらかと言えばプラチナブロンドに近い色合い。
彼のは落ち着いた色合いの金髪だ。
優しげな、それでいて精悍さを感じさせる物腰。
数秒ほど見惚れた後、私は急に我に返って慌てて名乗った。
「れ、レイナ・アーカムです」
「ああ、君が……。話には聞いてるよ。色々と大変だったようだけど、頑張ってね」
「は、はぃ……」
「申し遅れたね。僕はアベル・ルーティア・ド・アルフィリア。同じ学園に通う生徒として宜しくね」
「は、はぃ……♡」
一瞬で心を持って行かれた。
ドキドキして、頭が真っ白になって。
それからハッとする。
この国で国名を名前に持っているのは王族だけ。
つまり彼は王位継承権を持つ正真正銘の王子様だってこと。
そして蒼紅(無印)に於いては主人公マリアの攻略対象。
柔らかく微笑む王子様。
ゲームのスチルなんかよりもずっと体つきがガッチリしていて、面立ちも凜々しい。
ホストクラブに居るような、ナヨッとした好青年気取りのガキとは違う、本物の男ってな空気感。
立ち眩みにも似た感覚を覚える。
フワフワと雲の上を歩いているような接地感の無い靴裏。
あぁ、わたし……一目惚れしちゃったかも。
そんなふうに思った。
「兄貴、そんなところで何をやっているんだ?」
と、そこへ深みのある良い声が掛けられる。
目を上げればアッシュグレー髪が神々しい筋肉質の青年が。
「その子は?」
「ああ、カイン。この人はレイナ・アーカム女史。例の子爵家のご令嬢だよ」
金髪王子様が笑みと共に新たな登場人物を迎える。
その気安い態度から兄弟なのは分かるし、ゲームをプレイしている立場から言えば彼が何者なのかなんてすぐに察する事が出来る。
王位継承権第二位の王子様、カイン様だ。
「お、お初にお目に掛かります、レイナ・アーカムと申します」
「ああ、俺はカイン、アベルの弟だ」
カイン王子は兄とは対照的に興味なさそうな顔で私を見る。
例のと呼ばわる所から私の家の事情は理解しているものと考えられた。
そりゃあそうよね。
王子様ともなれば貴族家の重要人物なんかはある程度頭に入っているだろうし、ウチのように他国から亡命してきたともなれば尚更。
それにしてもと思ったのはカイン王子はお兄様よりも体がガッチリしていて制服を着用していても分かるくらい筋肉質だってこと。
剣と魔法、魔物が跋扈するファンタジーな世界ともなれば、これがリアルな姿なのかなとも思うけど。
乙女ゲームと比べるならシュッとした男子が好きな女子にはちょっと抵抗があるかも。
……え、私?
私的には全然アリ。
むしろこっちの方が好き♡
だって守ってくれそうじゃない。
それにしてもアベル王子、格好いい……♡
「兄貴、もうすぐ式が始まってしまう。新入生一同の代表が式に遅れたなんて言ったら示しが付かないぞ」
「ああ。分かっているさ」
カイン王子のぶっきらぼうな物言いにアベル王子が優しく笑んで返す。
美形の兄弟王子様。
「じゃ、またね」
「はぃ、アベル殿下……♡」
去り際に掛けられた声に私は恋する乙女の音色で答えてしまう。
数秒もすれば我に返って自分の痴態に内心で悶絶せずには居られないくらい恥ずかしくなってしまうのだけれども。
この時はただ、去りゆく二つの背中になんて絵になるのかしらと熱に浮かされたように見守るしかできなかった。
――入学式が執り行われたのは多目的に使えるよう建設された講堂で、例えば前世で言うところの学校の体育館と比べるならドーム状になっていて声が通りやすい造りになっていた。天井は高く、奥行きはあまり感じない。でも実際の面積はかなり広いはずだと思った。
「――当学園に入学された諸君。まずはおめでとうと言わせて貰おう」
講堂に集まった新入生一同は、およそ200名。
一段高くなった壇上にて顎から伸びた白髭が「これぞ魔法使い」ってな雰囲気を醸し出す老校長先生が何やら冗長な挨拶を行っている。
そんな中であっても私の目はさっきの王子様、言ってしまえばアベル殿下に目が釘付けになっていた。
王子様の目は当然ながら私の方なんて向いていなかったけれど、壇上に立つ先生の方も見ていなかった。
遠目ながら彼の視線の先を追い掛ければ、そこには五人のご令嬢達の姿が。
(え、うそ……なんで?!)
私は驚愕に目を見開いた。
蒼紅(無印)のヒロインである筈のマリア・テンプルが、すぐ隣に立つ少女と時折小声を交わしながら立っているじゃない。
何より驚いたのは彼女の隣。
アレは……ルナ・ベル・ディザーク。卒業パーティーで断罪される悪役令嬢じゃない!
互いに悪感情が見られないところから、二人は親密な関係であろうと容易に察する事ができた。
(どういうこと? マリアとルナがあんな仲よさそうに……)
そこまで考えてから気付いた。
ひょっとしてこの世界って、配役だけ乙女ゲームでその実、中身はグチャグチャなんじゃないかって。
そうでなければ子爵家が亡命してるなんておかしいし、私がこちらグランスヴェール魔法学園に入学するなんて有り得ない。
というかルナ侯爵令嬢って異様に存在感あるわね。
目を戻して王子様二人を見遣る。
(そうか、私と同じ転生者かも知れないんだ!)
唐突に閃いた解答。
そう考えれば辻褄が合う。
アベル王子が熱の籠もった視線を投げ掛けていることにも説明が付いてしまう。
きっとルナかマリアのどちらか、或いはその両方。
私と同じ世界からやって来た転生者で、だから二人は仲が良くて王子たちを虜にしてるんだわ!
間違いない!
だとするなら私はあの二人に見せつけなきゃいけない。
私の実力を。侮れない存在だって事を!
尚も熱っぽい視線を向けているアベル王子に胸の奥がチクチク痛む。
(そうよ、私の魅力でアベル王子をメロメロにしちゃえばいいのよ!)
マリアが転生者だった場合、こういった転生令嬢モノのお約束として出会いイベントは元より好感度上げのイベント回収なんてロクにやってない筈だ。
そう考えなければ彼女のルナに対する態度が逆に説明つかなくなる。
だったら本来彼女が行うはずのイベントを私がそのまま流用すれば良い。
二人の男女が結ばれる経緯というのは、つまるところがイベントの積み重ねなのだから。
そうしたらアベル王子の心は私に向いて、結果卒業パーティーでの断罪劇が発生する筈だった。
(見てなさいよ! 私だって主役だってこと分からせてやるんだから!!)
嫉妬じみた感情を抑え込むこともできないままに、私は王子様を無印ヒロインと悪役令嬢から奪い取ることを決意していた。