047:諸々のこと
周辺各国が軍事同盟を締結、アルフィリア王国に対して侵攻を開始したもののその言い出しっぺであるアギュストフ聖皇国の教皇が消息不明でかつ首都ファナゴリアが地盤沈下により丸ごと地の底へと沈んだことにより同盟が破綻し戦線が消滅した一件から半年が経過した。
教皇ギゼル・ハイラントは死体が確認されていない事から死亡ではなく失踪扱いになっており、また探し出すにしても首都そのものが隆起して切り立った山の内側で更に地の底へと消えてしまったともなると捜索するなんてどだい無理な話で。
求心力が潰えたことで縮小の一途を辿る聖導教会と、これと対立する格好の女神教が日増しに勢力を増していく状況を鑑みて、結論として“みんなニコニコ平和第一主義”が世に浸透してもそりゃあ仕方の無い話だろうよ。
一方で、教皇暗殺に際して直接手を下したルナお嬢様はその功績が公表される事も無く、故に勲章などを受け取る事もしなかったがそれはルナ本人の希望である。
魔神と呼ばわって差し支え無い程の強者であったギゼルを簡単にぶちのめしたともなれば救国の英雄と目されるに違いなかろうが、将来を見据えた時にこの肩書きは逆に足枷になると判断したからだ。
平和な世の中にあって必要となるのは民衆を夢中にさせる娯楽であり、この娯楽を提供するためには音と映像を映し出す映写具の普及は必須で。
映写具を普及させるためには広告塔となる何かが必要で、そう考えたときに思い浮かんだのは歌って踊れて芝居もできるアーティストの存在なのである。
まあ、要するにアイドル達を抱え込む歌劇団的な集まりが必要となるわけだけれども、現状でそういった組織団体は存在していない。
いや歌劇団といった物はあるのだけれども、それらは演劇を飯の種にしていて、舞台で演じる事に特化している彼らに依頼するのは少し違うように思われた。
そこで映像映えに特化したアイドル事務所を設立しようと画策したのだけれども、「これぞアイドル」ってな見本が無いと人を集めるにしても基準が分からない。
だからルナは自らがアイドルのお手本となるべく商会や商品のコマーシャルに出演したワケだ。
で、そういった裏側の事情を鑑みたときに、教皇暗殺を成した人物だなんて知れたら評価は逆に落ちてしまうとルナは考えた。
歌って踊れて芝居もできる天才的なアイドル様は怖がられてはいけない。愛される存在でなくてはいけないと。
だから聖皇国から出戻ったルナは王妃様に掛け合ってこの件に関しては大々的に公表はしない方向で話を進めたワケ。
もちろん人の口に戸は立てられないってのは百も承知だし、ルナが女神そのものであることだって世間様は見逃さないだろう。
けれどここで重要なのは“国家として公に認知しない”って事。
民衆がどれだけ確信を突いた噂話をしたところで、所詮は噂話の域を出ない。
言ってしまえば過去に冒険者を蘇生させたのと同じ状況を、今度は大陸全土に対して行おうといった話なのである。
ルナが女神の化身で聖導教会をぶっ潰したかも知れないという疑念が、大衆のルナお嬢様に対する関心を嫌が応にも惹きつける。
地の底に沈めたファナゴリアの住人達が脱出してきたとしても――実のところを言えば絶対に抜け出せないというものではない。首都である以上は物資は相当量ある筈だし大工などの職人だって多数暮らしていた筈なので、民衆が一致団結して街中の資材を掻き集めれば食料が完全に尽きてしまう前には脱出の糸口が掴めたはずなのだ。けれど実際には半年が経過した現在に至ってさえファナゴリアの住民が這い出てきたといった情報は入ってきていない。つまりはそういう事である――ルナが女神であるとは一言も告げていない、姿形さえ大神殿突入時にぶちのめした男共の生き残りくらいしか知らないので映写具による放映を世界規模で執り行っても何ら問題は無い。
こういった思惑に対してエリザ王妃は「本当にそれで良いの?」と何度も念押し――彼女としてはルナに英雄の肩書きを持たせたかったらしい――してきたがルナが自分の計画を吐露した事でどうにか納得してくれたもの。
この人はどうにも武力に頼りがちなきらいがあると辟易するお嬢様であった。
「……ふぅ」
昼日中の侯爵邸の庭。
庭師が渾身の力作だと胸を張った庭園の草花に囲まれて、白テーブルに置かれた紅茶で喉を潤すルナ侯爵家令嬢は戦争が終わってから今に至るまでを回想などして溜息を零す。
この半年間は恐ろしいまでの過密スケジュールだった。
山のように寄せられていたコマーシャルの出演依頼をこなしつつ、そろそろ本格的になってきている王妃教育にも果敢に立ち向かい。更に千人規模までの増員が予定されている航空戦闘部隊の訓練にも顔を出して……。
うん、これ過労死するヤツだ。と思わずげんなりしちゃうお年頃。
椅子に腰掛けているルナのすぐ斜め後ろでお茶のお替わりをと準備している専属メイドのアンナさんに目を向けるに彼女はお澄まし顔を崩さない。
もういっそのこと分身して役割分担でもしちゃおうかしら、なんて愚にも付かない事を考えていると真っ青な空に小さな点が見えて、それは速度が出ているのか徐々に大きくなってきた。
「お姉様! 来ちゃいました!!」
空を飛んで来たのは大聖女の肩書きを持ちながらこれっぽっちも威厳を感じさせない専属聖女のマリア嬢。
首の後ろで一本に括られた瑠璃色髪と熟れてきた感のある法衣といった立ち姿で同い年の娘さんは地表に降り立つなり駆けてきてルナに抱きついてくる。
「日に日に遠慮がなくなってきたわね……」
「遠慮してたら他の子に取られちゃいますから♡」
何を? とは聞かない。
この状況で主語が何なのか分からないなんてのは鈍感を通り越して白痴である。
ルナは頬ずりしてくるプニプニの感触に眼を細めつつ、相手が落ち着いてきた頃合いを見計らって引き剥がす。
「……ほら、マリアも席に就きなさいな。アンナ、彼女にもお茶を」
「畏まりましたお嬢様」
傍らに控えるメイド嬢に声を掛ければ彼女はやっぱりお澄まし顔で答える。
赤毛を三つ編みにしているアンナは目の前にモフモフでもちらつかされない限りはデキるお姉さんなのだ。
目を戻したルナお嬢様はマリアの神妙な顔と出くわした。
「お姉様、お疲れですか?」
「何ならマリアも王妃教育を受けてみる?」
王妃教育を受けるということは、つまり王子様の結婚相手を所望するという意味になる。
マリアはブンブンと頭を振って、ちょいと肩を怒らせる。
「お姉様、冗談にしても笑えません」
「真顔で言われるとヘコむわね……」
王子様の婚約者という立場が碌でもない代物であると言われているように感じて、現在進行形でアベル王子の婚約者になっている我が身を憂いてしまう鋼色。
ルナちゃんは王家だの権力だのにはこれっぽっちも興味無いし、件の王子様にしたって全然好みのタイプじゃあないのだ。
……というか男として生きた前世の感覚がまだ残っているせいで彼を異性として認識できていない節がある。
もっと言ってしまえばナヨナヨとしてキラキラとした少年なんぞ友情どころか見ただけでぶちのめしたくなってくる。
ルナの好みのタイプと言えば、例えば目の前で花のような笑みを浮かべているちょっぴり大人しめの女の子などが当てはまっていた。
「けれどこう見えて忙しいのよ? コマーシャル撮影と王妃教育、合間を縫って部隊の訓練も見なきゃだし……」
「というかお姉様、よくそんなスケジュールこなせますね? あんまり無理すると倒れちゃいますよ?」
「その辺りは大丈夫なんだけどね~……、精神的にクるものはあるのよ」
「心中お察しいたします」
専属聖女様がぺこりと頭を下げて、その仕草が妙に可愛らしく思われてつい笑みを零してしまう。
なんだかんだ言って幸せだなぁ、と思う昼日中である。
なお、神様となっているルナは本当なら睡眠も食事も必要としていない。
ただ人間だった頃の習慣を残しておかないと精神構造的に神の方に引っ張られてしまいそうで、なので一日三食きっちり食べるし睡眠に割り当てられそうな時間では仮眠らしきものを摂る。
というか美味しい物を食べる幸せは今なお色褪せることが無かった。
「ねえマリア」
「はい、お姉様」
「この後ちょっと膝枕して貰えないかしら?」
「唐突ですね。けど、構いませんよ」
脈絡も無く行われた提案にマリアは二つ返事でOKする。
ルナとしては別に同い年なのに自分をお姉様と呼んで憚らない妹分とイチャイチャしたかったわけじゃなくて、ふと膝枕ってどんな感じだっけ? なんて思ったから勢い任せに提案しただけなのだが。
据え膳食わねば何とやらで相手が了承しているにも関わらず恥じらって辞退するなんて糞ダサい童貞野郎みたいな真似はしない。
というわけで庭園の丁度木陰になっているところで聖女ちゃんの膝を枕にその柔らかさを堪能したルナお嬢様であった。