046:教皇⑨ その頭上に絶望を
「……さてと、あとは総仕上げだな」
他に誰の気配も見当たらない神殿の奥で、三対6枚の純白翼を背中から生やしたまんまのルナが呟く。
踵を返し来た道を返す途中で一度だけ振り返った先、半ば崩れている石の玉座に誰の影も見当たらないのを確認して以降はもう振り向くこともしない。
純白ドレスのスカートの裾をヒラリヒラリと揺らして入り口まで戻ってきたルナお嬢様は、それから逃げ出す事も諦めて固唾を飲んでいたモヒカン頭の教会関係者どもを一巡見回し、降り立った時と同様にカーテシーなど披露すると自身のまだ幼くも麗しき肢体にて宙へと躍り出る。
女神モードの格好もそのままに間もなくファナゴリア大神殿の直上400メートル地点に到達した。
「さ、神罰のお時間だ。神に刃を向けた以上、キッチリと落とし前つけさせて貰う」
掌を天に向けた。
聖皇国の首都に辿り着いたら教皇を暗殺する。
そこまでは、アルフィリア軍の計画となる。
けれど、これで勝利したぜわ~い! なんて幕引きにする考えは最初から無かった。
聖皇国はルナを神として崇め奉る女神教の総本山ともいうべき町に諜報員のみならず暗殺任務を負う刺客まで送り込んできたのだ。
これを教皇だけの責任であると言って良いのかと問われたならば否と。
断じて否であるとキッパリ言い切ってしまえる。
この咎は教皇だけじゃあない。聖導教会に属する者ども全てが負うべきであると断言できた。
人々の中には善人だっているかも知れない。
だがそんなものは関係無い。
町の中で己が手を汚さずのうのうと暮らしている一般信者どもにしたって、殺戮と奪略を行ってきた人々と同等の罪がある。
罪は裁かれなければいけない。
神様は貴族やマフィアと同様にナメられたらお終いなのである。
「罪深き、欲深き、業深き罪人共よ。女神アリステアの名において、お前達に罰を与える。未来永劫、地の底で這いずり回っているがいい!」
声は思念として首都の全域に拡散された。
数秒間の静寂の後に地響きを立て始める地表。
そこかしこで上がる悲鳴が風に乗って少女の耳に入ってくる。
ズゴゴゴゴゴゴゴ――。
鳴り止まない重低音。
その内に首都の外縁部がまるでくり抜かれるように裂ける。
濛々と舞い上がる土埃。逃げ惑う愚かな民。
しかし女神様は赦さない。
「沈め! 薄汚い略奪者ども!!」
――ドゴンッ!!
天に掲げた手を勢いよく振り下ろしたのと同時に歪な円形に割り開かれた都が丸々真下へと落ちた。
地中の土を押し退けたせいで、都から切り離された平野部が勢いよく隆起し火山の火口部のように切り立った崖になる。
反して内側が一気に下へと降りていく。
栄華を誇った町と、そこに住まう住人達を乗せたまま。
女神による報復であるのと同時に周囲に向けた見せしめの意味があった。
女神アリステアの機嫌を損ねる事は即ち逃れ得ぬ死であると、行き先は例外なく地獄であると周辺各国に知らしめること。
だから手加減も容赦もしない。
全員揃って地底の奥深くに堕ちろ。
これがルナから他に向けたメッセージなのである。
ズゴゴゴゴゴゴ――。
地下数百メートルまで沈下した首都ファナゴリア。
住民達は、しかし死なないよう落下速度を調整しておいた。
足腰が弱い老人であれば尻餅をついてしまうかも知れないが、その程度の衝撃で終わるよう細心の注意を払ったが、これは慈悲でも何でもない。
一国の首都ともなれば十数万人の人間が居て、つまりは絶えず食料が供給されなければ飢えてしまう。だが都は丸ごと地中深くへと落ちてしまった。
するとどうなるのかと言えば、備蓄されていた僅かな食料を巡って略奪と殺戮が横行するなんて話になる。
これまで異分子や異教徒たちに向けていた刃を今度は自分たちに向けて振るうのだ。
最終的には数えるだけの人間が生き残り、これ以外は全て死に絶えるだろう。
時間的には一ヶ月もあれば半数以上が淘汰されるに違いない。
異教徒と見れば奪い、犯し、殺してきた薄汚さを教理という綺麗事で隠し続ける野蛮人どもにはお似合いの最期であると、上空でご満悦の女神様である。
「……作戦終了。個人的な報復も良い感じに済ませた。あとは帰るだけ、だな」
独り言ちて悦に浸っていると遠くの空から黒い点々がやって来るのを見つける。
そう言えば敵の航空部隊と接敵したところで部隊を残してきたんだっけか、と思い出す。
合流しようとそちらへと飛んで行くと、一番乗りで迫った聖女マリアが有無を言わせず胸元へと飛び込んできた。
「お姉様!」
「マリア、無事だったようね」
「はい!」
目を上げると遅れて追いついてきた部隊員達が純白翼と金色髪が眩しい女神娘の出で立ちにギョッとして、けれどすぐさま理解して恭しく一礼する。
航空戦闘部隊エンゼル・ネストは、だから“天使の巣”なのだと明確に理解した瞬間である。
「では帰ろうか諸君。だが忘れるな家に帰るまでが戦争だ!」
「「「イエス、マイロード! いと尊き天界の女神様っ!!!」」」
翼を引っ込め髪色も衣装も元に戻ったルナお嬢様が大声を張り上げれば、上空400メートルであっても一糸乱れぬ唱和が返ってきた。
お、おう、とちょいと引いてしまうお嬢様である。
――こうして一つの戦いが幕を下ろした。
アギュストフ聖皇国は教皇ギゼル・ハイラントが失われ、首都ファナゴリアが丸ごと消失したせいで瓦解。
デュラント帝国が「大昔は領土だったからその奪還である」との大義名分を掲げて攻め入るのは三ヶ月ほどが経ってからとなる。
また聖皇国の崩壊と共に聖導教会は一気に衰退し、取って代わるように拡大した女神教が今度は彼らを追い詰める立場となった。
聖導教は実際の思惑がどうであったにせよ首都が丸ごと地の底に沈められたことから悪魔崇拝の代名詞となり、それ故に少数の原理主義者を除いては女神教に鞍替えしたもので、これまでの恨み辛みも手伝って女神教信者の聖導教徒への当たりはめちゃくちゃキツくなるなんて事だって当然と言えばその通り。
何にしても女神アリステアの名と恐るべき逸話は大陸中に鳴り響き、なのでアルフィリア王国を包囲し領土を切り取ろうと画策していた周辺各国の王達は出した兵を引っ込めたっきり恐々としていた。
女神様の怒りを買えば物理的に即日断罪されちゃうからだ。
王国に寄せられた和睦の親書は中身を一読するにどれもこれもが「女神様の不興を買わないよう取り持って欲しい」なんて思惑が透けて見える内容で、アルダート王に至っては「どこかのご令嬢は王様より偉くなってしまったらしいな」なんて愚痴を垂れる始末。
その奥さんともなれば「これはもう絶対に手放すわけにはいかないわね」などと、成り行きながら息子の婚約者になっているルナに満面の笑みを手向けたもの。
う~ん、これは……。
と複雑極まる顔の女神様であったそうな。