044:教皇⑦
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ――。
大聖堂の最奥、石造りの玉座を視界の奥に据えて対峙する少女と男。
一撃食らった後の教皇ギゼル・ハイラントは羞恥心など最初から持ち合わせていない、それどころかもっと見ろと言わんばかりに筋骨隆々とした体躯より恐るべき闘気を迸らせ厳めしい面構えで構えを執る。
「もう油断はせぬ。貴様に勝ちの目など一分たりとも与えぬと知るがいい」
「……ふんっ。図体だけが取り柄の木偶の坊がイキがるな」
一方のルナお嬢様だって負けてはいない。
気炎を吐くギゼルにはあくまで涼やかかつ冷酷な薄ら笑いを手向けつつ防具らしきものは両腕に填めた手甲のみといった出で立ちにさえ気にした様子もなく構える。
白鳳流闘仙術と桜心流氣術。
それぞれ時代に一人あらば英傑の名を欲しいままにしたであろう魔技の使い手が、同じ時代、同じ処に会し互いを屠らんと牙を剥いている。
それは言うなれば神の気まぐれで起きた悲劇。
運命とは斯くも残酷な代物である。
「ふっ!」
――白鳳流闘仙術、仙孔閃っ!!
「しっ!」
――桜心流氣術、獅子吼っ!!
二つの闘気がある瞬間を境に静から動へと切り替わる。
靴裏にて床を踏み砕き、残像を残して突っ込んでいった二人は手の届く距離から攻撃を繰り出す。
片や貫手にした手で串刺しするように突きを放ち、片や対空氣術にて応戦。
互いの攻撃を見切って躱す両者は矢継ぎ早に蹴りを放った。
ボンッ!
二つの蹴り足が空中で交差し、空気が弾け床の石面が跳ねて飛ぶ。
それでも勢いは止まらない。
蹴りの反動を転化した突きを男が放てば少女は僅かに身を沈めて躱し、肩のすぐ上を通過した拳に腕を巻き付け関節を極めようとする。
「チィッ!」
慌てて拳を引いたギゼル。
この隙間に差し込む格好でローキック。
男の足に想像を絶する衝撃が走る。
「ぬぅ!」
止まった動き。
ルナの双眸に光が灯る。
「そこだぁ!」
放たれた貫手が男の肋骨のすぐ下にめり込んで、内側で指を曲げる。
ボキリと骨の折れる感触が手に伝わりニヤリとした少女はしかし次の瞬間に横殴りの拳を側頭部に受けて真横に吹っ飛ばされる。
五メートルもの距離があった壁まで簡単に吹っ飛ばされ、壁面を陥没させたかと思えばまるで思い切り投げつけたゴムボールが返って来るようにギゼルの前に現れた少女がお礼替わりに脇腹めがけて膝を打つ。
上体が傾ぐ筋肉男。
だが倒れはしない。
腕を伸ばすと手に収まる大きさしかないルナの頭をむんずと掴み上げ、体全部を持ち上げたかと思えばもう片方の手で殴りつけたじゃあないか。
如何に柔軟で素早い動きをする肉体であっても地に足が付いていなければ躱せまいと踏んだのだろう。
「ぬるい!」
しかし少女は足が床に付いていないくらいで簡単に攻撃を受けてあげるようなお人好しでは無かった。自身の頭を掴んでいるゴツい指を左右の手でガッと握ると本来曲がるはずのない方向へとねじ曲げたのだ。
どれほどの豪腕であっても五指の内の二本を折られてなお物を掴める人間など居やしない。
握力が緩んだ隙に男の手首を掴まえて我が身をグルンッと一回転。迫り来る拳を難なくやり過ごすと引こうとする腕の上に着地して男の肩へ。
相手が躱す時間も与えずにフックを打つ動作にて顔面に拳を叩き込んだ。
「ごぁ!?」
流石に堪えきれず後ろに向けて倒れ込むギゼル。
ルナは男の肩から飛び退いて無事に床へと着地した。
「それで、誰が神だって?」
攻防を制したルナお嬢様がニタァと笑んで床に倒れる男に問い掛ける。
先ほど己を神などと呼ばわったことに対する意趣返しとでも言おうか。
対する男は少々荒い息を吐いたが、ボンッと体躯を浮き上がらせ己が靴裏にて床を踏み締めた。
「なるほど、これが桜心流か。確かに恐るべき武術だ」
神妙な顔で嘯く教皇ギゼル・ハイラント。
潰れた顔面が自ら盛り上がり元通りの相貌となった。
折れた肋骨と指先がゴキリと音を立てて修復される。
ならば、と男は言葉を紡いだ。
「小娘、貴様に褒美をくれてやろう」
すると男の全身から更なる闘気が放たれる。
「我は白鳳流闘仙術の継承者にして、神の領域へと足を踏み入れた者! 教皇などといった肩書きゆえにではない! 白鳳流を極めた事こそが神へと至った証明であるという事を見せてやろう!!」
闘気が黄金へと色合いを変じた。
隆々とした体躯の背に漆黒の翼が一対生えだした。
翼は彼自身の身を包み込み、衣装へと形を変化させてゆく。
手にのっぺりとした白磁の如き面具が現れて、己が顔を覆う。
すると男の輪郭が急速に巨大化していった。
二メートルを超える程度だった身長が、倍以上に膨張したのだ。
大聖堂は天井が高かったおかげで破壊されずに済んだが、しかし両者の体格が巨人と小人ほどまで差を広げたのは確かな事実であった。
「……なんだお前、そんな特技を隠していたのか」
それなのにルナお嬢様は不敵な笑みを絶やさない。
偉そうにふんぞり返って仁王立ちしたまんま微動だにしない。
「強がるな虫けら」
巨大なる教皇が持ち上げた足の裏を少女の上に落とす。
ズンッ、と堂内に振動が伝い、ルナの体がぺちゃんこに――
ならなかった。
「だららららららららららららっ!」
最初はくぐもった微かな音色。
ドガガガガガ、と絶え間なく肉を叩く音が鳴り響く。
何だろうと踏みつけた足を覗き込む男。
足の甲がボコリ、ボコリと形を変える。
「ダララララッ、ダラアァ!!!!」
気合いの声があった次の瞬間に、教皇の足の甲から血肉が舞い上がり風穴が空いた。
「ぬぅ?!」
驚愕の声をあげた神ギゼル。
その砕け散った足の甲から細っこい腕が這い出してきて、我が身を持ち上げよじ登る。
足の上に立つ少女は血塗れで、しかし男の血はサラサラと空気に溶けて塵へと還っていった。
「ああ、なるほど、そういう事か。……お前、なり損なったのか」
麗しき相貌にどこか憐れむような笑みを浮かべ。
眼光には凍てつくような光を灯らせ少女が囀る。
教皇は理由は分からずとも恐怖と思しき感情を覚え、振り払うようにルナを足の甲に乗せたまま勢い任せに手近にあった柱に蹴りつける。
蹴られた柱は折れて砕けたが、少女の身体はもうそこに無く、慌てて目で追えば蹴ったのとは逆方向にて悠々と歩いているのを見つけた。
「――宇宙に遍く流れる聖神力。コイツを許容量を超えて我が身に降ろすと肉体が崩壊し、再構築される。これが儂らが神なんて呼ばわる者の正体だ。だから自分が神そのものになったように錯覚するが、そうじゃない。実際には聖神力を管理する“輪廻の輪から外れた存在”になったに過ぎない」
白い女子用ブレザー制服らしき衣装で、スカートの裾を揺らめかせ歩く少女は謳うように告げる。
「だが、神性がその身に満ちている事に変わりは無い。……ギゼル・ハイラント、お前は運が悪い。お前の前に立っているのは神を殺すためにと編み出した桜心流氣術の開祖だ」
ボンッ、と空気が爆ぜる。
鋼色の艶やかな長髪が歩調に合わせて弾んでいる。
手甲を填めた腕の先、握り絞めた拳に光が宿った。
「神ごときが神殺しに勝てると思うなよ?」
少女が凄烈な笑みを手向ける。
白磁の面具の奥で、男の双眸が恐怖に見開かれていた。