043:教皇⑥
聖導教会、聖導教とは唯一神エヘイエを崇める宗教である。
アギュストフ聖皇国が首都とするファナゴリア。この中心部に位置する大聖堂は“ファナゴリア大神殿”を正式名称としており、町は神殿の名をそのまま引用してファナゴリアと命名されている。
つまり通常の国とは成り立ちが逆なのだ。
神殿が始まりであり、ここに人が集まって町が出来た。
世界各地から人が集まってきて町の周辺に集落を作ったから国になった。
アギュストフが国家として成立する以前ともなると同所はデュラント帝国の領土内で、ゆえに帝国の立場から言えばアギュストフ聖皇国なんてものはクーデターを起こした謀叛人どもの国でしかなく事実として過去に何度か兵が送られている。
しかし聖皇国の兵どもは一兵卒に至るまでがキッチリ洗脳された死をも恐れぬ兵士で、特に聖拳六派の一つにも数えられる“白鳳流闘仙術”の使い手でもあった歴代教皇の戦闘能力は文字通りの神懸かり。悉くを挫いている。
そして周辺国の首脳陣が宗教に洗脳される頃には、帝国側も彼らを独立国家として認めざるを得ない状況になっていた。
これがアギュストフ聖皇国の成り立ち。
こういった背景があるのでアルフィリア王国包囲網として軍事同盟が締結、各国で兵を出すといった流れになっていてもデュラント帝国は消極的だったワケだけれど、それでも付き従う格好なのは先代も今代に至ってさえ教皇の武力が桁外れだったから。
そう、如何なる時代であっても、如何なる世界であっても力は正義なのである。
のほほんとした平和な現代日本ともなれば「酒を酌み交わせば分かり合える」なんてほざく救いようのないバカも存在するが、そもそも話し合いで解決できる世界というのはこの根底に「やり過ぎたら喧嘩両成敗的に淘汰される」という絶対的な支配力が存在しているからこそ成立する話であって、両者の首に枷が嵌まっていなければ片方がもう片方を一方的に蹂躙する陵辱劇になるか若しくは最後の一人になるまで殺し合う総力戦にしかならないワケだが。
弱肉強食が蔓延る慈愛なんぞ見当たらない残酷な世界の中で緊張感の欠片も無くのほほんと生活している老若男女などはその時点で搾取され弾圧され食い物にされるしか能の無い奴隷以下のクルクルパーでしかない。要約するなら滑稽で哀れな生き物だといった話になっちゃうのだけれど、まあ、そんな話は脇に置いておくとしよう。
ファナゴリア大神殿は景観は石膏から削り出したのかと疑うくらい白い全体像で、そのくせ所々に設置されている置物を見ればこういった宗派にありがちなマリア像や天使やら聖人やらを象った美麗な代物は存在せず、その代わりに地獄の鬼でも模したかの如き厳めしい羅漢像が設置されている。
「教皇とは神である! 故に! このギゼル・ハイラントは神そのものである! ならば小娘! 我が寵愛を受けることを無常の悦びと知れ!」
石の玉座から立ち上がりマントを床に落としたのは上半身裸の筋肉隆々男で、対する少女はどこ吹く風と手甲を填めた腕をグルグルと回している。
「能書きは良いから掛かってこい。儂はさっさとテメーをぶち殺して帰りたいんだ」
ルナお嬢様は侯爵家のご令嬢とは思えない言葉で手合いを挑発する。
ギゼルは少女の物言いにニヤリと笑みを深め、異様なまでの闘気を全身から迸らせ近づいて来る。
やがて山の如き巨躯が13歳少女の前に立ちはだかった。
「もう一度言う。小娘、我が物となれ!」
「何度も言わせるな。寝言は寝てからにしろ!」
常人であればオシッコちびってへたり込むに違いないまでの闘気を浴びてさえ平然と構えているルナお嬢様。
男は「そうか」と告げ、きっかり三秒間の沈黙。
それから唐突に。
――ゴッ。
大岩ほどの固く握り締められた拳を少女の頭頂部に向けて振り下ろす。
「レディーに暴力を振るうとは不てえ野郎だな」
凄まじい勢いで振り抜かれた鉄拳はしかし少女の小さな手に受け止められていた。
ただし勢いを完全に殺ぐには至らなかったようで、その御御足が数センチほど床にめり込んだが。
それでも平然と、否、薄笑いを浮かべる鋼色髪少女である。
「ぬぅ?!」
「……お前は自分を神などと言うたが、知らんのか? 儂はめちゃくちゃ強えぞ」
「ぬかせ!」
小馬鹿にしたような物言いをされて逆上したのか、高速で拳を打ち下ろしたギゼル。
しかし悉く少女の掌に受け止められてしまう。
「なんだ、芸の無い奴だな。じゃあ、本物の拳がどういったものか教えてやる」
ルナは告げた。
言い終えた瞬間に少女の輪郭が残像になり、何も無い空間を殴りつけた拳が勢い余って彼の全身を僅かに前のめりにさせる。
その懐にヌルリと滑り込んできたルナ。
この時には既に腰を落とし握り絞めた拳は引き絞られていた。
「ふっ」
ボグンッ!!!
「ごぁ?!」
山の如き巨躯が宙に浮く。
突然の衝撃と激痛にカッと目を見開く男。
筋肉の鎧に覆われた上半身は、しかし鳩尾の隙間に差し込まれた小さな拳に耐えること能わず。
だが歯を食いしばって床に足裏を突くと踏ん張ってどうにか堪えた。
「ほうほう、根性はあるようだな。……それでこそ虐め甲斐があるというものだ」
感心したような音色とは裏腹に少女の相貌には凶悪極まりない嗜虐的な笑みが浮く。
ギゼルは「このメスガキがぁ!」と吠えると丸太のような腕で薙ぎ払う。
その暴力的な塊は、しかし振り抜いても標的には当たらない。
攻撃が当たる寸前で拳を引き抜いたルナが身を逸らしつつ体全部で後ろに飛んだからだ。
「ぬっ?!」
上半身裸の教皇様は追撃しようと足を一歩前に出したところで驚愕の声と共に動きを止める。
「桜心流氣術、爆勁掌。相手の体内に撃ち込んだ氣を爆発させる事で体を内部から破壊する技だ。効くだろ?」
ルナは掛けた技の説明などしてみる。
これは余談になるが、鷗外に伝授した技は「勁落掌」だが、原理的には同じで、しかし勁落掌とは決定的に違う部分がある。
それは、拳で殴っていると見せかけておいて、実は指一本を手合いの肉体に突き立て筋肉の隙間に潜り込ませていること。
この突き刺した指の先に凝縮した氣の塊を作って相手の体内に置き去りしておくのだ。
つまり、どちらかと言えば過去にシェーラに対して行った“芯勁直”に近い方法で敵を体内から爆散させる技と言えた。
「桜心流……だと?」
だがギゼルは技の解説よりも流派の名にこそ反応を示す。
男は知っていたから。
聖拳六派の一つに数えられ、しかし随分と昔に失伝しているという幻の術の名を。
歯噛みして少女を睨み付ける。
「ぬかったか。そうと知っていれば最初から全力で仕掛けたものを……!」
アルフィリア王国の町ラトスに対しては間諜を数多送り込み様々な情報を抜き取っている筈だった。
だが、肝心のルナお嬢様の行使する術式がどういった武術に根ざした物かといった情報は含まれていなかった。
その怠慢が一撃を浴びるに繋がったものと思えば悔恨の念に絶えない。
とは言え、鳩尾に桜心流の一撃を受けて勝敗が決するという事でもない。
「ぬおぉっ! 我をナメるなぁぁ!!」
両手を広げたかと思えば己が胸板に突き立てたじゃあないか。
「ぬぅん!!」
そして怒声らしき唸り声を発し、体内にて爆発した氣を封殺する。
男はただのやられ役ではないし、個性無きモブキャラでもない。
同じく聖拳六派に数えられし“白鳳流闘仙術”の継承者なのである。
「ぜぇ、ぜぇ……くっくっく。なかなかに愉快なことをしてくれるではないか。我に! 教皇たるこの我に!! 許さぬ! 生意気な小娘に神罰をくれてやる!!」
愉快そうに嗤ったかと思えばすぐさま憤怒の形相を見せる。
精神的に不安定な奴だな。とはルナお嬢様の感想だった。