040:教皇③ その瞳に狂気を
――その夜のアザリア要塞は多忙を極め、特に各部隊との通信を一括管理する管制室では引っ切り無しの矢継ぎ早に飛んでくる最前線からの報告に対応するので大わらわとなっていた。
『こちら砲兵科! 砲弾がもう無い! それに砲の半分が動作不良を起こしていやがる! 戦闘の継続は不可能だ!』
『了解しました。砲兵部隊は一時後退して下さい』
『こちらネスト02、敵兵の撤退を確認しているが追撃を行うか指示を請う』
『ヘッドクォータよりネスト02へ。総司令より敵部隊の追撃を許可するとの連絡を受けている。ただし敵本隊を発見した場合は深追いするなとの事』
『ネスト02、コピー』
管制室での遣り取りを終始満足げに眺めているのは軍の総司令たるエリザ王妃であり、その傍らには熊のような大男キルギス総督が軍服姿で佇んでいる。
お澄まし顔で黙っていればお淑やかさ華やかさの際立つ国王夫人は、しかし希代の軍略家であり剣聖の二つ名すら持ち合わせる女傑。
そんな戦闘狂かよと疑ってしまうような女性から目を向けられると武勲第一主義の総督であっても借りてきた猫の子のように大人しい。
「総督、やはり戦争のやり方は今夜を境に根底から変わってしまいそうだわ」
「そのようですな」
アザリア要塞では新しい戦術の研究や新兵器の開発が行われてきた。
発端はルナお嬢様が航空戦闘部隊を独力にて育て上げたところ。
それまで長きに渡って世界では剣と槍と弓と魔法が戦場における武器で、それら古き良き時代の遺物をどのように活用するかが戦争におけるテーマだった。
しかし不可能とされてきた航空部隊の運用が叶ってしまった以上はいつまでも放置しておくワケにはいかない。
これまで平面の盤上に駒を並べて行う戦争の在り方では彼らの性質を十全に発揮できないのだ。
それ故に航空部隊をサポートする為の砲兵科を新設し、同時に航空部隊に観測手としての役割も負わせる事で相互に連携できるようにした。
地上と空、この三次元的な兵の運用はアルフィリア王国軍としては急務と言えよう。
なのでぶっつけ本番で不安の拭えない状況であってもテストケースとして敵の斥候部隊を叩いた。
砲や砲弾は蓬莱の技術をそのまま流用している。
未だ発展の途にあり肩を並べられる程は基礎学術が成熟していない当国ともなれば化石燃料によってピストンを回す、つまりはエンジンを製造する所まではまだ時間を要する。
しかし、サルベージされた巡洋艦の技術が全部とも解析できないワケでは無い。
それまで大砲と言えば砲に炸薬と砲弾を都度詰め込んでの射撃であり、あくまで騎兵や歩兵の突撃を補助する添え物的な役割しか担っていなかった。
だが炸薬を砲弾そのものに詰め込み、衝撃によって火花を発する雷管を引き金に連結されたハンマーで叩いて爆発させ弾頭部分を飛ばすというやり方はアルフィリア王国でも研究中の技術であったし、そうなると部分的にではあっても理解が及ぶ。
理解が出来れば製造し、量産することが可能なのだ。
とはいっても砲弾は作れるが砲の筒部分に関しては実戦に投入するにはまだ少々改良が必要と今回の試験運用で露呈したようだとエリザ王妃は思った。
「航空戦力による絨毯爆撃と、そこから戦車で押し潰し蹂躙する戦法。剣と槍を持ってワーワー言ってる未開人たちにはさぞや恐ろしい光景に映るでしょうよ」
薄ら笑う王妃様にキルギス総督は戦慄を隠しきれない。
(この方は全く新しい兵器であってもその運用法を既に思い描き実戦配備している。なんと恐ろしい方なのか……)
普通に考えて、これまでとは根本的に違う概念のもとに生み出された兵器など怖くて第一線になど出せた物じゃない。
なぜって戦争とは言うなれば大規模な命の削り合いであって、ほんの些細なミスで数千人、場合によっては数万もの命が散ってしまうのだ。
そこへ不確定要素の塊とも言える新兵器を惜しげもなく投入するなんてのは正気の沙汰ではない。
しかし一見して無謀とも言える戦略を平気な顔をして推し進めたのが王妃様であり、キルギスをはじめ軍部の人間達は当初誰も彼もが渋面を作ったもの。
だが結果は見ての通り呆気ないまでの快勝であり、敵軍は殲滅に近い格好で潰走し、対する手前どもはせいぜい砲の故障や爆発に巻き込まれて火傷などの重傷を負った人間が数名、それだって治癒魔法の使い手に診せれば立ち所に完治してしまうのだからほぼ無傷と言っても過言では無かろう。
これほどの大戦果は旧来のやり方からでは想像も付かない偉業であり、なのに王妃様は更にその先を見据えて軍事の見直しを行おうとしている。
軍内では彼女を指して傑物と呼ばわる者も少なくないが、キルギスの目には傑物どころかドラゴンにも比類する怪物そのものにしか見えなかった。
◆ ◆ ◆
「総員、傾注!」
ザザッ。
一方、時を同じくしてディザーク侯爵家の旧邸宅に隣接する修練場では、航空戦闘部隊エンゼル・ネストの隊員100名が夜も更けた頃合いに発せられた非常呼集により馳せ参じ慌ただしく身支度を調えた後に整列していた。
精悍なる面構えをした男共の前で、壇上に立ったのは白いブレザー制服かと思われる戦闘服を身に纏う鋼色髪の少女であり、その細腕に填め込まれた手甲の表面が両脇にて焚かれた篝火の光を照り返し赤く威圧感を放っている。
口を閉ざしながらも異様にギラついた目で少女一人に注ぐ視線。
彼らにとってルナ・ベル・ディザーク侯爵家令嬢は単なる護衛対象などではなく、崇拝し敬愛する女神様なのである。
「――親愛なる戦友諸君。お仕事の時間だ」
傍らに立つ鷗外が場を静めたところでルナが一歩身を乗り出して可憐なる唇から天界の楽曲かと錯覚するまでの麗美な音色を弾き出す。
「つい先ほどアザリアから通信が入った。王国北にある、……ええと、何と言ったか? ピ……」
「ピジアン王国です」
斜め後ろに控える鷗外が小声で教える。
「そう、それだ。ピジアンとかいう国が越境して我が国へと攻め入ってきた。対する我が軍は戦友達の奮戦によりこれを退けたワケだが、後続の敵本隊およそ8000は未だ健在。我がアルフィリア軍であっても正面から迎え撃てばタダでは済まないだろう。加えて東のデュラント帝国も軍の編成を終えているとの情報もある。即ち我ら王国は滅亡の危機に瀕しているということだ!」
張り上げた声を一度区切って百名の精鋭達を一巡見回す。
誰一人として声を出さない。
少女は頷いて再び音色を奏でる。
「親愛なる戦友諸君。諸君らは今より私と共に空を飛び、王国を今在る状況に追いやった元凶とも言えるアギュストフ聖皇国、その聖都“ファナゴリア”に置かれた大神殿を直接叩く。以降、本作戦を【メテオストライク】と呼称するが、作戦の実施に於いては聖皇国も想定しており、迎撃せんと待ち構えている公算が高い。故に遂行は至難を極めるであろうと予想される。
だが諸君! 長らく私と共に空を駆けた歴戦の勇者達よ! 私と諸君らとであればこの難局を打破できると私は確信している! 我らの上に広がる空は果ての果てまでが我らの庭。ならば成せぬ事など一つとして存在しえないと! ならば諸君! 敬愛する古兵たる天空の支配者たちよ! いざ我と共に空を征こうぞ!!」
味方を鼓舞せんと気炎を吐けば男達は「イエス、マム!」「イエス、マイロード!」と猛り狂った音色で大合唱する。
少女は「よしっ」と大きく頷いて他に先んじて己が身を宙に浮かせた。
「征くぞ! 空に上がれ!!」
「「「おおおおっ!!!」」」
白服少女に倣って男達も空へと舞い上がる。
まだ朝日が昇るまでにかなりの時間があって空は闇の色に閉ざされている。
しかし月光が輝けば薄ぼんやりながら地表の輪郭は分かるし、視覚ではなく“氣”を感じる事で彼我の位置関係を把握する技能を身に付けた者であれば暗がりの中で戦闘を行うことだってできる。
この時ルナの専属聖女たるマリアは実家に帰っており呼びつけようか迷ったものの、飛行距離とその後の戦闘の熾烈さを思って結局は呼ばずにおいたのだ。
「お姉様! 私を置いていくなんて酷いですっ!」
なのに瑠璃色髪のこの娘さん。ルナ達がさあ東の空へと飛んで行こうとする直前になって西から飛んで来たかと思えば涙混じりに飛びついてきたじゃあないか。
「私はお姉様に付いていきますって、あれほど言ったじゃないですかっ!」
「ああ、うん、そうね。悪気は無いのよ」
勢いに押されてなぜだかしどろもどろになっちゃうルナお嬢様。
マリアは空の上で愛しの女神様をギュッと抱き締めてから身を離した。
「私はお姉様の聖女です。決して離れることはありません」
薄闇の中で覚悟ガン極まりな言葉を囁いたマリア。
そんな聖女ちゃんにルナは一瞬だけ優しい笑みを手向けた。
「ならば付いてきなさい。征く先は戦場。私たちは愛も慈悲も掃き溜めに捨て置いて、そこに地獄を顕現させるのです」
「はい。お姉様がそれを望むなら、私は全てを受け入れ死力を尽くします」
「良い覚悟ね。じゃあ、期待してるわね」
「はいっ!」
マリアは女神の従僕で、だから女神様がこうと決めたことに対しては異論を挟まない。
盲目的な信奉者と言えるのかも知れない。
けれど彼女はこの世界での己が役割を完全に決めているのだ。
仮にルナが何かを間違えて道を踏み外したとしても、自分は最期の最後までお供しようと。
乙女ゲームによく似ているだけの世界ではマリアは主人公ではない。
ルナのための聖女。それがマリアの生まれてきた意味であり矜恃であると、今では確信していた。
「征くぞ! 偽りの神を崇め享楽に耽る愚か者共に裁きの鉄槌を下すのだ!!」
「「「イエス、マイロード!!」」」
声高に気炎を吐く鋼色髪の少女に、雁行形態を執り矢の如く飛び出さんとする兵どもが威勢良く応える。
航空戦闘部隊エンゼル・ネストの、後に「女神に率いられた悪魔の軍団」などと呼ばれる男達の出立はこの様なものだった。