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037:修羅道にご招待③ 極星の4人目


 午後のトレーニングが始まって早々、ディザーク侯爵家の旧邸宅脇にある修練場に呼ばれもしない客の来訪があった。


「……ほぅ」


 丁度ダルシス少年が腕立て伏せ200回目のカウントをしたところで、顔を上げた先にその隆々とした体躯を発見する。

 少年の頑張りを温かい目で見守っていたルナお嬢様が何やら感心したような声を漏らしたが、そこに含まれている意味を推し量る事は無し。


 珍入者しんにゅうしゃは短く刈り込んだ黒髪の男で身長二メートルを超える大男だった。

 肩幅は広くムキムキの筋肉質。下半身はズボンだが上半身は胸当てとマントだけで己が肉体を誇示するように半裸。腕には防具があるが手甲ほどの厚みは無く、装飾や防寒具的な意味合いなのだろうと察する事が出来た。


「我が名は“是空ぜくう”、極星十二神将が一人なり!」


 男は修練場内にて数歩足を進めたところで声高に己が名を叫ぶ。


「ここに女神を名乗る不逞の輩が在ると聞いてやって来た! 我と立ち合え!」


 めっちゃ暑苦しい筋肉男である。

 修練場ともなれば修行に汗しているのはダルシスばかりではない。航空戦闘部隊の隊員達だって武芸を磨かんと研鑽を積んでいる。

 そんな男達が是空とかいう無礼者を取り囲むのが見えた。


「ここがどこだか分かっていて吠えているんだろうな?」

「お前ただで帰れると思うなよ? ぶち殺すぞ!」


 台詞だけ聞いていればどちらが悪役なのかも分からない。

 しかし他人の、それも貴族家の家宅に押し入ってきたのは是空とかいう大男の方で、つまり間違いなく言われている方が無作法。問答無用でボコられたって文句は言えない立場なのである。

 それでも臆した様子も無い男は、腕に覚えがあるからなのだろうと誰も彼もが確信していた。


「木っ端どもは黙っていろ! うぬら如きが我と対等と思うな!」


「んだとコラァ!」


 挑発の言葉に易々乗っかる隊員たち。

 強盗は悪即斬されても文句は言えない。そう考えて一斉に飛び掛かる男達である。


「ふんっ!」


 ――光明真拳、絶影ぜつえい


 しかし彼らは飛び掛かった次の瞬間にはもう吹き飛ばされていた。

 突きなのか蹴りなのかも判別できない攻撃を返されて無様に石床の上に転がされていたのだ。


「ふんっ。他愛も無し!」


 是空ぜくうは鼻を鳴らすと周囲を見回し、駆け寄ってくる屈強な男どもなど捨て置いてルナの方へと歩み寄ってくる。


「貴様が神の名を騙る愚か者か。小娘。オレと立ち合え!」


 一目見て何かを感じ取ったらしい。

 豪胆な物言いながら足取りに隙は無い。


「どうやらご指名のようだ」


 傍目には奇異な光景に映った事だろう。

 豪傑という言葉を体現したかの如き筋骨隆々たる武人が、まだ幼い手弱女たおやめに対し他の男共などまるで眼中にも無いといった気勢にて挑戦状を叩き付けているのだから。

 腕立て伏せを中断した少年が「おいどうすんだよ?」なんて聞けば、少女は鋼色をした艶髪を細い指で掻き上げる仕草の後でニッと笑んだ。


「もちろん応えるさ。売られた喧嘩は全力で買うのが桜心流のかたなんだから」


 それから踵を返し、思い出したように顧みて少年へと告げる。


「これから見るものをよく憶えておくと良い。修羅道に堕ちた人間の末路というものを、今から見せてやる」


 ゴクリと唾を飲む紅髪の少年。

 ルナお嬢様は目を落として自分が動きやすい胴着姿であることを再確認したら、後はもう手合いに向けて歩き出すばかり。


「名を、聞こう」


「桜心流のルナ。お前をあの世に送る者の名だ」


 ルナは、というか武人ともなれば屠る事を栄誉であると思える相手にしか自分の名を明かさない。

 即ち、是空とやらはその全身より放たれている闘気によって少女のお眼鏡に適っているのだ。


 無人の野を征くが如く足を前に出す二人は、互いの拳が当たる距離まで近づくなり言葉もなく拳を放った。


 ズドンッ!


 是空の巨大な拳が振り下ろされ、触れてもいない石畳が割れて陥没する。

 一方のルナが拳にて突いたのは丁度目の高さにあったヤツの土手っ腹で、しかし小さな手は男の巨大な掌にてキャッチされていた。


「……なかなかに恐ろしい真似をする」


「そいつはどうも」


 是空がニヤリとする。

 ルナが応える様に笑む。


 ルナが放った一撃というのは最初から手で受けられることを前提としていた。

 受けた手に虎砲をぶっ放し粉々にする算段だったのである。

 しかし男の手は砕けない。

 技が発動するタイミングに合わせて体全部で僅かに後退し瞬間的に発生した衝撃を逃がしたからだ。


 即ち、男は少女が何をするのか幾ばくか予想し、かつ咄嗟に正しい対応を執れるということ。

 見た目通りの強者であると分かればルナとしては悦びに口元を綻ばさずにはいられない。


 ゴッ!


 それから双方、互いの膂力を確認し合うように蹴りを放つ。

 激突するのは丸太の如き足と爪楊枝かとすら思われる細いお御足。

 普通なら少女の足はポッキリ折れてしまう筈なのだが、空中で交差した足は互いに一歩も退かない。

 二人の周囲の床が同時に陥没した。


「くくっ。見た目通りの小娘ではない、ということか。ならば全力で掛かるのみ!」


「いちいち暑苦しい男だな、お前。だが、まあ、良いぜ? 付き合ってやんよ」


 凄烈な笑みを手向け合う羅刹どもは、そして拳と蹴りの応酬を始める。

 常人であれば一発でも貰えば崩れ落ちるに違いない破壊力を秘めた一撃を、何発、何十発と繰り出し、或いは繰り出された凶器を躱し、いなし、反撃へと転じる。


 だが少女のしなやかな体は手合いの攻撃をかすらせる事すら許さない。

 だが男の体躯は鋼の如き強靱さとバネのような俊敏さで受けた打撃の勢いをいでしまう。

 両者の攻防は暫し続く。

 打撃の中に関節技を織り込み、伸びた腕を手首から掴まえ極めようとする。

 或いは捕まった腕を力尽くで振り解く。

 拳法という分野で見るなら史上最高峰の激突と言えた。


「鍛錬を怠らない動き。センスも申し分ない。死なせるには惜しいな」


 ズンッ、と少女が拳を手合いの脇腹に突き立ててから告げる。

 急に速度が変わったのだ。

 「ぬぅ?!」と目を見開いた是空。


「だが、幕引きにしよう。オレもいつまでもは遊んでおれん」


 瞬間、ルナの体が掻き消えた。

 少女の姿が出現したのは男から3メートル離れた場所で、その輪郭の跳ねた艶髪が肩に掛かる時には男の体躯が数百発にも及ぶ突きと蹴りを食らった後であり、半ば宙に浮く格好になった是空がそのまま床へと崩れ落ちた。


「な、なにをした……?!」


 呻くように声に出した男は受けたダメージも何のその。

 歯を食いしばって立ち上がる。


「別に何も。ただ、十倍の速さで動いただけだ」


「それが貴様の本気ということか!」


 どうにか立ち上がっても膝の震えが止まらない是空。

 そんな彼に、余裕の物腰で腕を回しつつのルナが告げる。


「……おいおい、冗談は顔だけにしてくれ。こんなものは本気でも何でもない」


 心外だ、とでも言わんばかりに少女は腰を落とし「はぁっ!!」と気合いを入れる。

 すると周囲の空気が爆ぜた。


「なら折角だし、ほんの少しだけ本気になってやる」


 コオォォォォ。

 少女の全身から恐るべき気勢が迸り始める。

 いつからか周囲で固唾を飲んで見守っていた隊員達も、床に座り込んだままのダルシスも、誰も彼もが視界に入れた途端に金縛りに遭い硬直してしまう氣の発露。

 空気さえもが灼熱に熱せられたかと錯覚する、その真ん中で。

 ルナの全身が紫電を纏い始める。


「桜心流は無敵! 桜心流は無敗! ならば貴様の如き有象無象を屠る事は容易いと知れ!」


 そして少女の全身が光に包まれ、稲光を尾に引き突っ込んでいく。


 ――桜心流氣術、雷甲らいこうっ!


 ギュバッ!!!


 まさに一閃。

 瞬き一つする間に少女は男の体躯を貫通し、その背後数メートルの位置にて佇んでいた。

 軌跡を辿るように紫電が走っている。

 是空はきっちり一秒間の後に、遅れて駆けつけた衝撃破に飲まれるように吹き飛ばされ全身を粉々に打ち砕かれる。

 後に残されたのは血肉の塊と焦げ臭さ。

 戦いの呆気ない幕切れに観客達は呆然とするしか知らない。


「是空、か。……極星なんたらの中では一番強かったぞ」


 ちょいとご満悦に呟くと、ルナは何事も無かったかのような軽い足取りで少年のところまでやって来た。


「見たか小僧。あれが戦いというものだ」


「ああ、見た。見ちまった。……なあ、俺をアンタの弟子にしてくれよ」


 それまでの剣呑な顔から一転、キラキラと尊敬の目で少女を見上げていた。


 ダルシスは、その恐ろしい光景を美しいと思った。

 心を、魂を鷲掴みされてしまったような、凄烈で鮮烈な、この世の物では無い魔性の美に魅せられてしまった。

 だから少年には教えを請うしか能が無い。


オレの弟子になれば漏れなく修羅道に堕ちることになる。高潔なる騎士の剣術を極める事を目的とするならお前のお父上に教わるのが一番の近道だ。それを分かっても尚、師事を求めるのか?」


「ああ、そうだ。俺は、あんたに教わりたいんだ!」


 十代の少年少女なんてものは責任感が無く心変わりだって簡単にする。

 だからダルシスの言葉に畏敬の念が含まれていたって、それは今だけの事と断じて構わないだろう。

 ルナは彼を信用なんてこれっぽっちもしていないが、しかし刷り込みを行う切っ掛けとして利用しようとは思った。


「良かろう。ならばオレの技をくれてやる。だが努々(ゆめゆめ)忘れるな。我が征くは修羅の道。死屍累々の連なるおかとそこから垂れ流された紅き海の只中ただなかを突き進む所業。一度足を踏み入れば逃れることあたわず。路傍にて名もなき鬼となるまで戦い続けるのみと知れ!」


 名もなき鬼とは鬼籍。即ち死する時を意味する。

 ならば修羅の道とは殺される瞬間まで戦いに明け暮れるだけの人生といった意味となる。

 それを行う人間ともなれば、もはや平穏や安寧なる生活は望めない。

 それ以外の生き方などはできないのだ。


老師せんせいと、呼ばせてくれ!」


「ならば貴様は馬鹿弟子、といったところか」


「バカはひでぇな……」


「なんだ貴様、自分は頭が良い人間だとでも思っていたのか?」


「いや、そこまでは言わねえけど」


「では一言一句として間違えていないではないか」


「そうだけど! そうだけど!」


「師に口答えする暇があるなら体を動かせ! ホレ、腹筋200回やらんか!」


「お、鬼だ……」


 ダルシス少年を徹底的に躾けて真面目で勤勉な弟子へと改造してやれば、例えば預言書(乙女ゲーム)の断罪シーンのような事案が発生したとしても決して裏切る事は無かろう。

 ダメそうなら“師が道を踏み間違えた弟子を正すため”といった大義名分を掲げることで誰憚ること無くぶち殺すことができるだろうし。

 方策としては決して悪手ではなかった。



 元気の有り余っている少年ダルシスは、この日を境にルナの弟子となる。

 彼は生家が高名な騎士というか剣士の家系であり、つまり家で行う修行の合間を縫ってディザーク家を訪れ師匠ルナに教えを請うといった形になるのだが、彼の戦士の血筋は伊達では無かったようでそこからメキメキと実力を伸ばす事となる。


 そして彼が堕ちたのは恋路ではなく修羅道である事は疑いようのない事実であった。



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