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032:女神と金獅子⑭ 大司教の末路


 聖導教会アルフィリア支部の所在地は王都メグメルではない。

 いや王都にも神殿はあるし一国の首都ともなれば壮麗な佇まいになっているのだが、支部となる大神殿ほどの敷地面積ではない。

 大神殿は小高い丘とも山ともつかない場所を丸々陣取って立てられていた。


 民衆から御布施の名目で巻き上げたお金と権勢にて広大な土地を買い取り半ば国権から独立した格好になる教会支部は、アルフィリアの法律に縛られない治外法権で、なので大量の兵隊を抱え込んでいようと暗殺者集団や破壊工作員を裏で操っていても王国に対しての報告義務を負ってはいないのだ。


 王都メグメルから付かず離れずの距離にあってそれら王国領土を睥睨する位置にある大神殿とは、とどのつまりが教会の意にそぐわない王権であれば速やかに民衆を扇動、領土の全てを火の海に変えるぞといった脅しの意味があって王都から離れた位置に建立されているのであった。


「ぐぬぬ……」


 そんなアルフィリア支部(大神殿)の一室、神殿の運営に関して書類作成などを行う為の執務室にて、見るからに高級そうな重厚なる木製机に突っ伏し唸り声を上げる男が一人。


 大司教アマデウス・ヒッツァー。

 禿げ上がった頭と清貧を美徳とする教団内にあって豚のように肥え太った体型が特徴的な男は、手元にある紙切れを鋭い眼光で睨み付けている。


 女神教の総本山となるラトスに送り込んでいた工作員たちが或る日を境に連絡を絶った。

 しかも聖導教会の総本山となるアギュストフ聖皇国、そこにある大神殿(本部)から派遣されてきた極星十二神将も内の三名が殉教したとの報告があった。

 十二神将は聖導教会の粛正部門であるイスカリオテとは系統を違える処刑人達を指しており、その特異な能力により自由裁量が認められた豪傑達である。

 その十二神将の内の三人を返り討ちするともなれば、即ち恐るべき武力を有していると考えなければいけない。


 極東の島国である蓬莱帝國に親書を送ってそそのかし――これは教皇猊下の策謀だったが、アマデウスは帝國の武力を利用して王都を火の海にするよう猊下から命じられていた――王都を爆撃させる事で王権を失墜させようと目論んでいたがこれも失敗に終わっている。


 対して女神教の信者はと言えば日増しに勢力を拡大しており、既にアルフィリア国内においては聖導教会信者こそが少数派マイノリティーとなりつつある。

 そのせいでこちら大神殿はもとより王都にある神殿にさえ訪れる人間の数が激減、御布施が明らかに目減りしていた。


「これは由々しき事態だ。……斯くなる上は信者どもを集結させてラトスを攻め落とさねばなるまい」


 聖導教会は他の神を一切認めない。

 異教徒は地獄の苦しみを与えて殺し、それらが持っている金品を強奪し、女は陵辱の限りを尽くさなければいけない。

 それは表向きには善行であるからだと教えているが、本当のところは民衆どものガス抜きの為だった。

 奴隷のように搾取され続けていればストレスが溜まって遂には教会そのものに怒りの矛先が向くかも知れないといった危険を回避するための方策なのである。

 なので女神教を悪魔の群れであると定義づけることで信者達を団結させ、無敵の殺戮者集団を成す。


 問題なのは女神教成立の以前と後とでは信者の数が丸っきり違っていると言う事。

 過去にラトスに押し寄せた時には十万の信者を動員――と、これは広報部が話を盛ったせいでそんな数になっているが、実際には凡そ一万弱であった――した時には王国軍が立ち塞がったしラトスの女神教に鞍替えした者どもの気勢に臆して撤退するに至った。


 だが、だからといってこのまま指を咥えて座視していれば教徒は減少の一途を辿り遂には瓦解する恐れすらあった。

 そうなれば教皇から無能と断じられ大司教の椅子から降ろされる可能性すらある。

 今の贅沢な暮らしを失うなど到底認められない。

 贅をこらした料理を貪り、抱きたいと思った女を洗礼の名の下に抱く。

 この支配者そのものといった生活を諦めるなど断じて受け入れられない。


 ならばどうするかと自問し、男は一つの答えに行き着いた。


「だったら、王都の信者に反乱を起こさせて軍を足止めしておいて、その間にラトスを攻め落とせば良い。拝むべき女神とやらが居なくなってしまえば信者だってまた増えるに違いない」


 いや、女神とやらは話を聞く限り13歳と幼いもののたいそう美しいらしい。

 ならば隷属の首輪でも嵌めて毎夜可愛がってやるというのも一興だ。

 アマデウスは口元に獣欲に滾った笑みを浮かべた。


「た、たいへんです大司教!!」


 己が尽きる事なき欲望の赴くままにペンを手に取り信者達へ向けた命令書を書き殴っていた所へ、教団幹部が血相欠いた顔で駆け込んでくる。

 何事かと顔を上げた豚の前に一枚の書状が差し出された。


「ぬう? ……これは?!」


 送り主はアルダート・ルーティア・ド・アルフィリア。

 アルフィリア王国の国王だった。


 彼の名で送りつけられた書状にはこうあった。

 自分たちは貴殿らが暗殺者を送りつけた事実をもって聖導教会を敵性組織であると認定し、これに宣戦布告する。

 差し当たってはアルフィリア王国領内に置かれている聖導教会の関連施設を接収し、教団に属する者どもを排除する。と。


 あまりに一方的で問答無用の通告。

 アマデウスは一転して憤怒の形相になった。


「血迷ったか! 教会に監視されている犬の分際で……!」


 書状を脂ぎった手で握りつぶしてワナワナと震えていたかと思えば今度はストンッと表情の抜け落ちた顔で席から立ち上がった。


「いや、いい機会です。教会かみに楯突いた愚か者が如何なる末路を辿るのか、しっかり躾けてあげなければいけませんね」


 そして神殿内を走り回ったせいなのか肩で息をしている幹部に対しては宥め賺すように声を掛けた。


「由々しき事態です。彼らは神に弓を引いた。ならば迷える者どもに神罰を与えなければいけません。全ての信者達に向けて“聖戦”を発動する事を、ここに宣言します」


 聖戦、というのは絶対的な命令権。

 非常事態なので、国内外に関わらず、如何なる状況であっても例外なく神の使徒として刃を振るい敵を打ち倒せという最上位の命令だった。

 幹部は「なるほど」と納得して口元をニヤリと笑ませる。

 一度発動した“聖戦めいれい”は神の敵とした者を一人残らず排除しない限り解かれることは無い。

 つまり大虐殺を行えと、そういった意味合いになる。

 本来なら教皇から発令されるものだが、命令の権利そのものは各支部を取り纏めている大司教にも与えられている。


「国王勢力も、女神教の信徒どもも、まとめて消し去ってしまえば良い。そうすれば私どもの安寧は約束されるのです」


 アマデウスが嗤う。

 幹部も嗤う。

 権力に酔い痴れる者どもの姿は端から見ればまさしく彼ら自身の曰う悪魔そのものなのだが本人達は気付かない。


 だが、この目論見が完遂されることはなかった。

 なぜなら誰も彼もが等しく声を聞いたからだ。


『――ありもしない神の名を借りて奪う事しか知らぬ愚かなる者どもよ。お前達は己が欲望に溺れ神なる者に弓を引いた。ゆえに裁きます。お前達の全てを霊的に生まれ変わらせて差し上げましょう』


 脳内に響いた声は天上の音色かと思われる程に涼やかで美しい。

 アマデウスはしかし全身に悪寒が走るのを止められない。


「神の名を語る不届き者め! 正体を表せ!!」


 己が声が震えている事にさえ気付かずに叫ぶ。

 そんな男の言葉に応えるように視界が目に痛いばかりの光に覆われた。


『女神アリステアの名において、あなた達をその欲望に相応しい姿へと変えて差し上げましょう。自ら喧伝するように清い魂を持っていればその災厄は避けられましょう。是を以て神罰と致します』


 キィィィ……ン。

 そこかしこで鳴り響く甲高い音色。

 男は目を開けていられずに瞼を閉じ床に蹲る。

 何かが爆発したかに思われる轟音が鼓膜を震わせのたうち回る。

 苦しい、苦しいと手を伸ばそうとする。


「あ、が、……があああぁァァァァアアッ!!!」


 喉から絞り出した筈の呻き声が途中から獣の唸り声になっていた。

 全身を焼き尽くすかの如き熱を感じ、指一本を動かすことさえ出来ないままに男は気を失うのだった。



「……?」


 やがて辺りに静寂がやって来た。

 浮かび上がってくる意識で目を閉じるが真っ暗闇で何も見えない。

 身じろぎして、立って歩こうとしたものの夢の中を漂っているような感覚しか得られない。


「キャァァァ!」


 その内に誰かの悲鳴が上がった。

 首をそちらに向けた筈なのに一向に暗闇が晴れることがなくてアマデウスは狼狽を隠せない。


 一体何が起きたというのですか?!


 そう言葉に出した筈なのに自分の声を聞くことさえできなかった。


「何事ですか!」


 ドタドタと駆け込んでくる靴音が数名。


「スライムが……!」


 恐らく悲鳴を上げたであろう女の声。

 スライムだと!? ここは聖導教会の大神殿だぞ! 絶えず結界が張られている神殿内に魔物が入り込むなどあってはならない事だ!


 男は焦って周囲を見回すものの、やはり暗闇は晴れることがない。

 その内に神殿内のあちらこちらで悲鳴が上がったのを耳にする。

 何が起きたのか。

 報告を聞かなければいけないし、場合によっては神殿に配置されている常備兵達に呼集を掛けて応戦しなければいけないだろう。

 そう思っていると、突然に後頭部を殴られるような鋭い痛みが走った。


「このっ! 邪悪なスライムめっ! ここは神聖なる――」


 男が怒声を放っておきながら途中で声が失われる。


「い、イヤアアァ!」


 先ほどの女が再び悲鳴を上げた。

 なんだろう。何をそんなに怖がっているのだろう。

 ああ、それにしても腹が減った。

 喰いたいな。喰いたいな。その女を喰いたいな。

 喰いたいくいたいくいたいクイタイクイタイクイタイクイ――。


 やがて思考が失われた。

 大司教として贅沢を極め己が欲望に忠実だった男は、その身をスライムへと変えられていた。

 数日の後ともなればスライム駆除の依頼を受けた冒険者達が大神殿に押し掛けそれらは余さず狩り尽くされることになるのだが、知性など欠片ほども残されていない彼らには自身の未来を予想することもできなければ、逃げ出す術も持ち合わせてはいなかった。




 ――空からやって来たルナは、毎度お馴染み女神モードで神殿敷地内の全てに強烈な聖神力を浴びせ掛けた。


 するとどうなるのかと言えば、許容超過により彼らの肉体は崩壊し、適合するよう最適化された形へと再構築される。

 この時に神への反発心を持っていたならば不完全な形へと再形成、つまりは魔物へと変じてしまうのだ。

 しかし魔物としての因子を持ち合わせていない人間種ともなれば、その姿形が固定化されることがない。

 即ち、結果として無形のスライムになってしまうといった話になる。

 脳みそもまとめて崩壊しゼリー状になるから思考能力は無く、また感覚器官だって痛みや空腹など生存本能に根ざしたものしか残らない。


 聖導教会アルフィリア支部に居合わせていた者どもは、幹部も一般信者も関係無く神の洗礼を浴びて大部分がスライムと化した。

 そして十数名ほどの、スライム化を免れた人々はしかし空腹に耐えかねて食料を求めるスライムどもの餌食になる。


 大教会から逃げ出す事が出来たのは三人の少女たちで、しかし最寄りの集落に辿り着いたときには女神アリステアに絶対の忠誠を誓う眷属となっていた。

 三人の背にはそれぞれ純白の翼があって、つまりは投射された周波数により身体と心を造り替えられた者はどちらに転んでも人間という種としての最期は迎えられないといった事実だけが残る。


 保護された三人は女神教の神殿へと送られそこで死ぬまで世のため人のためにと奉仕し続けるワケだが、彼女らは終始幸福に満たされた面持ちであったという。

 


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