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031a:ある音楽家の話


 ――王都メグメルの広場に設置されているスクリーンにはずっと一人の少女の姿が映し出されている。

 やれどこそこの大店おおだなでは不動産を取り扱っていて良い物件が揃っているだの、やれ新発売の牛乳プリンとやらが美味しいだのと。

 手を変え品を変え、あれもこれもと勧めてくる。

 けれど、スクリーンの向こう側に映し出されているのは大抵の場合が彼女、ルナ・ベル・ディザーク侯爵令嬢だった。


 いや、商品の宣伝に起用されている女の子という意味では他にも何人かは存在している。

 けれど売り上げから見れば、彼女と他の娘達とでは桁が変わってしまうのだとか。

 鈴を鳴らすような澄んだ音色と儚げでそれでいて優美な美貌は他の追随を許さない。

 圧倒的な魅力カリスマとは彼女を指して使うべき言葉であると嫌が応にも思い知らされる。


 そんな彼女がたった一つだけ、商品を宣伝していない映像がある。

 いや、デビュタントの模様を映し出した映像も含めるなら二本目になるのだけれど、最初その映像が放映された瞬間には誰も彼もが魂でも抜かれたように呆然として魅入ってしまったものだ。


 スクリーンの隅々までを使用して、彼女の溢れんばかりの魅力を描き出したプロモーション映像。

 時に可憐に微笑み、時に無邪気で無防備な姿を曝け出す。

 その姿に惹かれない人間がいるとすれば、そいつは生まれついての精神異常者に違いなかろう。


 現に、その制作に携わった彼でさえ、他の観衆と同じように視線を釘付けにしたまんま息をするのも忘れて魅入っているのだから、ルナお嬢様の魅力は本物だと認めざるを得ない。


「……本当に、信じられないな」


 呟いて現実から逃げ出すように瞼を閉じた男は、今度は鼓膜を愛撫されているかと錯覚する程の陶酔感に身を震わせる。

 ルナお嬢様の歌声はまさしくこの世のものではなかった。

 天上の音色。天使の唄声。

 ほんの数日前まで生で聞いていた事すら白昼夢でも見ていたんじゃないかと疑ってしまうまでに幻想的で扇情的で、そして魅惑的だった。



 男は名をリカルド・シューベルという。

 そこそこ名の売れている作曲家で、しかしここ数年は深刻なスランプに陥っていた。

 いや、スランプというのは正しくない。

 自分の表現したいもの、良いと思える旋律。そういった、引き出しに仕舞い込んでいたアイデアを出し尽くして空っぽになったと、そんな感じなのである。


 こういった業界でよく言われるのは、画期的で斬新なアイデアなんてものを思いつくのは二十代までで、以降はアイデアを延ばして延ばして誤魔化して引退までどうにか引っ張るというのが定石。なんて事である。

 まさしくその通りだと今の年齢になってからしみじみ思う。


 若く活力に満ち溢れていた頃は何でも出来ると思っていた。

 貴族家と期間契約を結んでいたからお金にも困っていなかったし、社交パーティーにおける背景音楽のみならずダンス曲だってお手の物と指揮棒を振っていた。


 ところが三十路半ばを過ぎた頃から何かが違うと感じ始めて、その内に新しい楽曲が思いつかなくなってきて、遂には音感さえ狂ってきた。

 役立たずは要らないと貴族家から一方的に契約を破棄されたのも記憶に新しい。


 それからは貯めていたお金を切り崩しての生活だった。

 ボロい借家で酒に溺れ、過去の栄光に縋るばかりの惨めったらしい日々だ。

 天国と地獄を味わって、自ら命を絶とうと思った事もしばしば。


 自分はこのまま老いぼれて誰に顧みられることも無く野垂れ死ぬんだろうな、なんて失意に暮れていたものさ。


 そんな日々が唐突に終わりを迎えた。

 一週間、ほんの一週間前の事。

 屈強な男達が突然に家の扉を蹴破ったかと思えば問答無用でリカルドを拉致、いずこかへと連れ去ったのだ。


 俺なんかを誘拐したところで身代金を出してくれるような間柄の人間は居ないし、まだ辛うじてだが借金にも手を出していないのに。と思った。

 拉致される心当たりなんて一つも無かった。

 当然ながら逃げだそうとは思ったのだけれど、空を飛んでの移動ともなればおいそれと暴れるわけにもいかなかった。

 昔から高い所は苦手だったし……。


 それで我が命も風前の灯火と観念したリカルドの前に、美の女神が現れたのだ。


『あなたの力を貸して下さい』


 その少女は息を飲むほど美しい音色でそう告げた。

 艶やかな、銀色と呼ばわるには金属質な光沢を放つ長髪。

 まだ幼さあどけなさを残しながらも女性としての魅力も垣間見える、儚げで可憐な面立ち。

 酒に浸されていた意識が急に覚醒したかに思われた。


 男はしかし一度であっても栄光の日々を謳歌した身で、だから簡単には頷けない。

 そこへやって来たのは国王陛下。

 アルフィリア王国の王様は、自分なんて逆立ちしたって会うことすら叶わない雲の上の御方は気安い調子で少女に協力するよう頼んできたのだ。


 リカルドは、そこまでされてしまえばもう反抗する気概なんて無かった。

 言われるままに居合わせていた聖女様の唄声を全神経を研ぎ澄ませて聞き入り、楽譜に落とし込んだかと思えば今度はその譜面を使える形にしていく。


 今の世で音楽と言えばオーケストラであり、歌詞のある音楽と言えばオペラが主流。

 酒場に行けば弦楽器を掻き鳴らす吟遊詩人の声を聞く事もあるが、あんなものは音楽とは言えない。あくまでうたの朗読に合いの手を入れているだけなのだ。


 しかし要求されたのは、そのいずれにも該当しない未知の音色だった。

 要するに吟遊詩人の謳う調子に合わせて音楽(・・)を奏でる。

 詩と音楽を極めて高いレベルで融合させたもの。

 聖女様はそれを『ポップス』と呼んだ。


『使用する楽器はピアノとドラム、ベースギターとアコースティックギターです』


 使用する楽器まで注文を付けられた。

 ピアノは理解できる。だが太鼓ドラムでリズムを刻み、ベースの低音を下地にアコースティックギターと歌声とでハーモニーを形作るなど、普段のリカルドであればそんな音楽は理解できないし想像すらできなかったに違いない。


 しかしこの時の彼は神懸かっていた。

 理解も想像でもできていた。


 これこそが自分の求めていた新しい音楽の形であると、本能が、全身が叫んでいるかに思われた。

 無我夢中、一心不乱に五線紙に音譜を刻み続けたった一晩で完成させた曲。


 楽器はすぐに届けられた。

 奏者だって王都で名の知れた者達が集められた。

 全員とも最初こそ戸惑ったものだがいずれもそれでメシを食っている連中だ。

 すぐに順応して、曲を曲として完成させてしまった。

 ただこの時点では気の抜けた感じがしてどうにも締まらない。

 ルナお嬢様の歌声がこの上に乗ったときにはじめて曲に一本の芯が通る。


 奏でられる音楽は、それだけでは未完成なのである。

 彼女の歌声はそれ自体が一つの楽器であり、他の楽器が奏でる音というのは、つまりは彼女の個性たり得る音色を最大限に際立たせるための脇役に過ぎないのである。

 完成し録音された新しい音楽。

 表題をどうするのかと聖女様に聞けば、迷いなく淀みなく、この様に返された。


『“蒼い竜と紅い月”というタイトルです』と。


 十代少女の恋に恋する淡く切ない心情を表した歌。

 それはリカルドにとって初めて触れるジャンルであり、若かりし頃の初恋を想起させるには充分な内容だった。



 リカルドと他に呼び集められた奏者の面々は一様に報奨金を貰って王都に返された。

 現場では曲は映像に添付する物であると説明を受けたが、肝心の映像に関しては見ないまま。

 そして今に至っている。


「ああ、そうか。私がやりたかったのは、こういう事だったのか……」


 広場に設置されたスクリーンにかのご令嬢の姿が映し出され、同時に彼女の歌声が響き渡っている。

 歌と音楽、そして艶やかな彼女の輪郭。

 全てが渾然一体として完成された芸術作品と化している。

 リカルドは自然と目頭が熱くなって、気付けば頬を濡らしていた。


「これこそが神が私に与えた天啓。ならば生涯を捧げよう」


 リカルドは自身に誓う。

 自分の死に様なんて分かりやしない。

 病気で死ぬのか、事故で死ぬのか、それとも家に強盗が押し入ってきて殺されてしまうのか。未来の事なんて誰にも分からない。

 ただ、息を引き取るその瞬間までは、そこにある時間は全て自分の物だ。

 ならば作り続けよう。彼女や彼女を追い掛けて走り抜ける少年少女のために。

 彼ら彼女らが空を舞うための翼を。歌という名の翼を作り与え続けよう。


 男はそう決意して踵を返す。

 家に戻ったらすぐさま五線紙と格闘だ。

 酒なんて飲んでいられない。

 胸の奥に燃えたぎる炎が、そんな悠長にしている時間は無いと急き立てている。


 男は名をリカルド・シューベルという。

 ルナ・ベル・ディザーク侯爵令嬢との邂逅を切っ掛けにポップスという新しいジャンルの音楽を開拓、齢七十五才で天寿を全うするまでに765曲にも及ぶ膨大な量の楽曲を世に送り出し、遂には“ポップスの神様”もしくは“音聖”の二つ名で呼ばれるに至る。

 彼はポップスと出会ってから死ぬまでの間、一度たりとも飲酒しなかったという。



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