031:女神と金獅子⑬ 通商条約締結
宰相ヴィンセント・ハイマール氏がアルフィリア王国と蓬莱帝國との通商条約の条文作成に着手し始めてから一週間。
ようやっと王国側から提示するブツが完成したからと港町の沖合に停泊していた空母までひとっ飛びしたルナ。
航空母艦は喫水が深すぎて専用に作られているワケでもない港町では桟橋に着く前に座礁して転覆しちゃう公算が高かったので、船足が速く喫水も比較的浅い駆逐艦“神風”に乗り込んで貰って港町まで誘導することとなった。
「そう言えば今更ですけど、スメラギさん? に事のあらましを伝えなくて良かったのですか?」
甲板上にて、宙に浮いて周囲を警戒しつつの隊員達を見上げながら、ふと疑問に思った事を聞いてみる。
少女の隣に居並ぶ後藤田艦長は好々爺とした笑みを返し答えた。
「それならば問題ありません。既に本国に報告は行っておりますし、皇より“良いように計らえ”との言葉を頂いております。……そも皇とは神官の長、即ち人と神とを繋ぐ役職でありますから現人神がお住まいの國との国交ならば、これを拒絶する理由など有り得ないのです」
ふむ、つまり私が居るから多少の不利を飲み込んででも国交を樹立せんとしているのか。
ルナはほんのり複雑な心境になった。
「では仮に、聖導教会の側に私の様な者があったとして、それらが我が国と開戦するとなった場合にはどちらに肩入れする方針なのです?」
やんわりと聞いてみたが、実はこれはハッキリさせておかなければいけない案件だった。
聖導教会と正面切って争うともなれば、アルフィリア王国に対して周辺国の全てが一斉に攻撃を仕掛けてくる、つまりは世界大戦に発展する可能性がけっこう高い。
そして、ルナの知らない神が現れて加担する可能性も全くのゼロとは言い切れないのだ。
この時に蓬莱がどう動くかで戦況は丸っきり違ったものになる。
故に線引きは正確性を要する。
敵ならば討つ。味方なら協力を要請する。どっちつかずのコウモリには相応に対処する。
この辺りは外交という分野では当然と言えよう。
後藤田艦長は「ふむ」と暫し考え込む素振りを見せてから答えた。
「状況次第ではありますが、基本としては静観を決め込むでしょうな」
教会側にも現人神が在籍しているのなら、それはもはや神々の闘争でしかない。
ならば神を畏れ崇める人の子の國は座して見守るほかに術を持たない。
これが蓬莱帝國のスタンスなのである。
「分かりました。ではそれを念頭に置きましょう。……まあ、とはいっても。実際に戦になれば九割九分が早期の終戦となるでしょうけれど」
ルナは現状で聖導教会という組織団体を世の中の悪を煮詰めたような碌でもない代物と認識している。ならばこれに与する人間は、善行を重ねていようと悪行に身を窶していようとも関係無く地獄に落とすべき罪人であると定義していた。
であるならば周辺各国が軍事同盟を締結しアルフィリアに襲い掛かったならば例外なく民間人ともども主要都市を地図上から消し去る考えであっても然程おかしな話じゃあない。
一度切り結んだならば降伏も撤退も認めない。
老若男女に関わらず最後の一人になるまで戦って死ね。
それが今も昔も変わらぬルナのスタンスなのだ。
或いはそれは極端なまでの苛烈な思想なのかも知れない。
だが少なくとも前世ではこの考えにより天寿を全うすることが出来たのもまた事実。
まあ、故に最期の瞬間は誰にも看取られることなく一人孤独に苛まれての臨終となったワケだけれども。
神に挑みこれを撃破した者ともなれば、一切の情を捨てて悪鬼羅刹にならねばならぬ時がある事だって嫌と言うほど理解していた。
「――ああ、見えてきましたね。それでは私は一足先にあちらと合流しますので、そちらも諸々の準備に取り掛かって下さい」
「はい。ああ、ルナ様」
艦長に呼び止められて、その身一つ宙へと舞い上がろうとしていたルナが振り返る。
「我々は、可能であれば貴女を本国にお連れしたいと考えております。もちろん貴女様がどちらに住まわれるかなど我々が決められる事ではありませんが、それでも当国に嫌気が差したならば是非、蓬莱で暮らすことをご一考ください」
「……そうですね。この国の人々に嫌気が差したなら、それもまた一興。ですが私はまだ遊び足りないのです。その辺りはご理解して下さいね」
ルナはふんわりとした微笑みを手向け、己が身を空の人へと転じた。
これまでの遣り取りを見るに蓬莱にて暮らす人々は総じて信心深いように思える。
それ故に神が現れたならば誘わずにはいられないのだろう。
本音では喉から手が出るほど渇望しているに違いない。
しかし同時に神というものの恐ろしさも理解している。だから無理強いはしない。
神は祟るのだ。聖導教会で言うような一方的に人間を教え導く存在などではない。
礼を失すれば祟り、故に人は礼を尽くし畏れ敬う事で加護を賜る。
これが人と神との正しい関係性であると彼らは知っている。
故に彼らは神の名を唱えながら虐殺や強姦や略奪に興じたりはしない。
それらを行う時には己が矜恃として行うのだ。
根底にある思想はルナと似通っているのかも知れない。
だから共感できた。
「ではまた後ほど」
言い残して航空部隊の隊員達を引き連れてラダークに向かうルナは、彼らの進退に幸あらんことを僅かばかり願ったものである。
――こうしてアルフィリア王国と極東の島国たる蓬莱帝國は通商条約を締結させるに至った。
アルフィリアの要望としては技術供与があり、一方の帝國には外貨の獲得に重きを置いた条項が挙げられ、つまり関税を他の国々と比べて格段に低くすることでコストを押さえられるようにした。
また技術供与と言っても軍事の中核に迫るようなものは敢えて除外し、当面は庶民の暮らしに直結するような製品の製造技術を主軸に教わることとなる。
ただし、後の戦略に欠かすことの出来ない映像に関する技術は、両国間で共有すべきとして法整備を念頭に推し進められることになった。
アルフィリアの戦略は、アイドル文化をはじめとした娯楽を世界中に根付かせ民衆の当国への印象を良い物にする即ち“思想的世界征服”であり、まずは映像を共有する媒体を普及させるところから始めなければいけないとの観点から蓬莱にも映像技術を渡す事とした。
映写具など音声や映像に関する技術というのは軍事的技術にも一部抵触するので帝國は渋るだろうと踏んでいたが存外に快諾されてしまった。
彼らの言い分によると、帝國内における娯楽文化はまだ未成熟でいずれにしたって媒体の普及は必要になると考えていた事。
加えて国内外の映像を検閲することで危険思想を弾いたり、そういった映像に触発されて何らかの行動に移そうかといった人間達を炙り出すことができるという目論見があったところから両国間の利害は一致しているとの見解を示した。
後の世にある歴史書を紐解いても、この両国の間に結ばれた通商条約は大々的に記載されるほど重要な歴史の分岐点であり、国際社会において両国が極めて重要な立場に置かれる要因となるのだがその辺りの話は割愛しよう。
ただ、庶民の目線から物言えば、この頃を境に小麦畑に混じって稲穂が揺れていたり味噌や醤油といった調味料が一般に普及し始める。
また異世界でいうところの自動車やバイクの原型とも言えるような乗り物を乗り回すことが貴族たちの嗜みになる事も付け加えておこう。
エネルギーは魔力と電力のハイブリッド方式が主流になるが、それすらもまだ見ぬ未来の話であった。
「――では、これより旗艦“天城”は本国に帰還致します」
「くれぐれも皇殿に、宜しくお伝え下され」
「ハッ!」
アルダート王の前でビシリと敬礼した後藤田艦長は、こうして颯爽と踵を返し駆逐艦に乗り込んだ。
彼の軍艦である空母は沖合に停泊しており、そこまではルナたち航空部隊が護衛する格好となる。
駆逐艦の足で二時間あまり。巨大な艦船に出戻った男はラダークで仕入れた水と食料を貯蔵庫に押し込むよう命じておいて去りゆく少女と固く握手を交わした。
「しかし娯楽で世界を席巻しようとは恐れ入る」
「ええ、夢物語と言ってしまえばそれまでですけれど、誰も悲しまなくて済む平和があるというのなら目指してみる価値はあると私は思うのです」
ルナは調印が行われた後、帰りの駆逐艦にて自らがアイドルとして舞台に立ち人々に夢と希望を与えることで世界を一つにするといった計画を艦長殿に漏らした。
そのあまりの壮大さに感銘を受けたようで、後藤田は個人としても推すことを確約。
見返りと言っては何だが出来たてホヤホヤのPVを複製して魔力を流すことで再生する魔導具に落とし込み彼にプレゼントしている。
――そう。ルナ・ベル・ディザークお嬢様のプロモーションビデオは既に完成しているのだ。
宰相殿が通商条約の条文作成に頭を捻っている間に聖女マリアちゃんが作詞作曲した――その道のプロを国王権限で半ば拉致に近い格好で連れてきてマリアがうろ覚えながら口ずさんだ歌を楽譜に落とし込ませた――曲を伴奏付きでルナが歌い、記録された音声を映像の上に重ねたワケだからどちらかといえばミュージックビデオに近い構成になったが、それでも完成した映像は国王夫妻や宰相殿の了解を得て公式発表に至った。
今ごろは王都の広場に設置されたスクリーンにルナの雄姿(?)がエンドレスで流されている筈だが、まあそこは置いておくとして、受け取った後藤田艦長は迂闊にも艦内娯楽室で放映しちゃって乗組員共々魅了されてしまう事となるのだが、そんな数日後の自身の末路にすら気付かずに無邪気に喜んでいたご老体である。
「機会があれば一度蓬莱に遊びに来て下さい。我々はいつでも歓迎します」
「そうですね、何年かした頃に遊びに行きますわ」
白い軍服の艦長は敬礼を。
白い衣装の少女はカーテシーにて別れの礼とする。
「では、またいずれ」
「ハッ!」
宙に舞い上がる少女の姿を帽子を振って見送る乗組員一同。
海上にて結ばれた両者の絆が如何なる結果をもたらすかは誰にも分からない。
ただ、帝國の軍艦が去って水平線の彼方に消えた頃合いを見計らって、海底に沈んでいた巡洋艦をルナが神様パワーで引っ張り上げてそのままラダークから程近い陸地に置いた事は確かで、数日後には技術開発局の研究員たちが護衛付きで押し寄せてきた事は紛れもない事実。
軍事技術の供与は条文に含めなかったアルフィリア王国ではあるが、「要らない」とは一言も告げていないのだ。
徹甲弾の攻撃を受けて撃沈した巡洋艦の残骸は、しかし王国に途轍もない恩恵をもたらすこととなった。