028:女神と金獅子⑩ 皇国の艦隊Ⅲ
空母“天城”の甲板あるいは滑走路の上を歩くのは恐らくは海軍制服であろう白い衣服を身につけた稲垣氏であり、面構えを見た感じ誠実に思われる彼の背中を追い掛ける格好でルナやマリア、魔法省から出向してきた形のアーシャ女史、他二名の隊員たちとで管制塔の内側に足を踏み入れる。
艦内の廊下は思っていたよりも広く、大人三人が並んで歩ける程度だった。
カツカツと鉄の床を靴裏で叩き続けること暫し。
稲垣が立ち止まり鉄製扉をノックして「入ります」と告げた。
「ようこそ、空母“天城”へ。艦を預かっております後藤田と申します」
注釈しておくと蓬莱では、その国土内に存在する全ての存在(人も物も魂さえも)は神の所有物であり、八百万の神々からそれらを託されているのは皇で、人間代表として神々と相対する立場の皇が帝國臣民らにそれらを一時的に貸し与えているに過ぎないといった思想が深く根付いている。
だから船を預かっているというのは主語として皇もしくはその上の立場となる神々といった言葉が入るのだが、口頭挨拶など略せる場面では通常は省かれるものだった。
「狭苦しい場所で申し訳ないとは思いますが、なにとぞご容赦を」
通常の建物とは違って狭さというか圧迫感を覚える扉の向こうへと身を滑り込ませれば、そこに白い制服姿の男を見つける。
年齢は還暦を過ぎた頃合いのようで顔に深く皺が刻まれており、それでいて背筋をシャンと伸ばした立ち姿なものだからそこはかとなく若さを感じさせる。
肩幅も背丈も人並み。全体的に細身に思われるが体幹の安定感から察するに絞り込んだ筋肉質、つまり余計な肉を削ぎ落とした結果の体格なのだろうとはルナの見解だった。
「初めまして。私はルナ・ベル・ディザーク。ディザーク侯爵家の娘で、かつ航空戦闘部隊エンゼル・ネストを束ねる部隊長でもあります」
部屋は対面式にソファーが設置されており、二つの距離を良い感じに空けようといった目論見からなのかテーブルが置かれている。
ただしテーブルの脚には金具が据え付けられており、艦が波に揺られても大丈夫なようボルト締めで床に固定されていた。
艦長後藤田の勧めに従いソファーに腰を落ち着けたのはルナとその専属聖女たるマリアだけで映写具を肩に担いだままのアーシャ嬢は元よりボディーガードとして追従してきた隊員二名も突っ立ったままいつでも動ける態勢を崩さない。
「では早速ですが、本艦に対して行われた攻撃についての釈明をお聞かせ願いたい」
後藤田は自分もソファーに腰を落としてから咳払い、その後にこんな事を述べる。
ルナは「ああ、そう来ましたか」と言葉に出してから、涼しげな目を映写具にて対談模様を記録している魔法使いさんへと向けた。
「私の見解を述べる前に、まずは説明して差し上げます。彼女が肩に掛けているのは音声や映像を記録する魔導具で私どもは“映写具”と呼んでおりますが。今ここで行われる遣り取りは全て録画され、この後に港町に滞在しております国王陛下ご夫妻にそのまま見て頂く事となります。即ち、迂闊な言動は国際問題、ひいては両国間における戦争に発展する可能性があるとお考え下さい」
「……っ!?」
後藤田艦長が何やら言い掛けた言葉を飲み込み目を剥く。
ルナは見た目まだあどけない13歳の小娘だ。
老練なる艦長は子供が相手なら組みやすしと踏んで第一声から「お前が悪い」的な含みを持たせたようだが、そうは問屋が卸さない。
お前が舐め腐った事を言えばすぐさま全面戦争だかんな? 分かったかドサンピン。
そういった意味合いで男へ目を戻すと「ふふっ」と優雅に微笑んで見せるルナお嬢様である。
「ではこちらの艦船、ええと、天城と言いましたかしら? 私どもが攻撃した理由でしたわね」
ルナはそれから微笑みを崩さぬままに告げて指を二本立てる。
「理由は二つ。一つは我がアルフィリア王国に謀叛を企て、あろうことか国王陛下並びに王妃殿下の暗殺を目論んだ大罪人……の子飼いであるエイブラ伯爵が逃亡した先に貴艦があった事」
立てていた指を一つ折る。
エイブラ伯爵は国王夫妻の暗殺は目論んでいない。
それを行おうとしたのは聖導教会の大司教アマデウス・ヒッツァーである。
だが句読点の打ち所が曖昧な台詞で、あたかも伯爵も加担しているかに思わせる言葉とした。
映写具に映像を記録している最中ともなれば明確に真犯人は誰それだとは言わないが、しかし国王暗殺未遂事件に何らかの関与が疑われている人間を匿っている艦船ともなると、どこをどう取っても犯人一味つまり誘致された外患であるとしか聞こえない。
ならば手合いとしては素直に伯爵を引き渡すか、もしくはしらばっくれるしか手が無い。
艦長は「ふむ」と頷き、口を開き掛けるもその前にルナが言葉を発する。
「第二に、アルフィリア王国の領海内に他国の船、それも飛行し尚且つ鉛玉を撃ち出すといった乗り物を搭載した軍艦が許可もなく停泊している時点で、それは宣戦布告しているにも等しく本来なら問答無用で拿捕もしくは撃沈すべき案件となります。その辺り、艦長殿は勿論分かってますよね?」
後藤田は目の前の少女を、と言うよりもアルフィリア王国そのものを未開の地として下に見ていた節がある。
だから見た事も無い鉄の船が沖合から大砲をぶっ放せば容易く混乱し、一刻も早く眼前の恐怖から逃れようと条約に調印するに違いないと考えていた。
だが彼の予想は簡単に覆された。
相手は航空戦闘機などに頼らずともその身一つで空を飛ぶ航空戦闘部隊を既に持っており少なくとも300名もの戦力がいつでも動ける状態にあるのだ。
そして管制塔から戦闘を見た限り、ゼロ戦を遙かに上回る旋回能力と速度を発揮し、簡単に自機を撃墜している。
あれでは同じ300機の戦闘機を揃えた所で勝てる見込みは無い。
しかも、しかもだ。
眼前にて微笑む麗しき少女は、己が身を弾丸へと変じたかと思えば今まさに発艦せんとするゼロ戦を上から叩き潰し、滑走路もダメにした。
滑走路の修理には資材だけでなく時間や人員だって必要になるだろう。
「さて、私どもの攻撃には正当性がありますが、貴艦の正当性は何処にあるのかお聞かせ頂けますか?」
ルナがスッと眼を細めて男を促す。
後藤田は背筋に冷たい物が走るのを感じながら口を開いた。
「何か誤解があるようですが。件のエイブラ殿に関しては現在別室にて拘留しております。日を改めて引き渡す所存でした。我々はあくまで蓬莱帝國を統べる皇より命を受け、貴国と通商条約を結ぶためにこの地に参った次第です」
「通商……国家間での商いに関する条約ですか」
「ええ、まさにその通りでございます。事の発端はこちら大陸にて圧倒的な権勢を誇っておられます聖導教会の教皇様より打診があった所から始まります。アルフィリア王国と平和的な友好を結ぶのが良いと」
「では商船ではなく軍艦、それも戦闘機を山ほど抱え込んだ空母で押しかけて来たのはどういった理由でしょうか?」
ここで口を挟んだのはルナの隣に座っている瑠璃色髪の娘さん。
「この子は私の聖女、マリアです」とルナが補足する。
後藤田は内心で舌打ちしながら幼い聖女へと目を向けた。
「本来、航空母艦とは敵地の制空権を掌握したり、町の主要施設を爆撃するとか戦術的な目的で運用される艦船です。そんな船を他国の領海内に伏せている時点で平和的な条約とやらの信憑性を疑われるのは当然ですよね?」
見るからに大人しそうな、清楚で可憐な面立ちからは想像つかないほど強い口調で詰めてくる。
男はぐうの音も出ない。
「貴方がアルフィリア王国をどういった国家と思ってここまで来ているのかは知りません。ですが戦闘機を王都の上に飛ばしてから迫る通商条約が、どう考えても不平等な内容になるだろうなんて子供にでも分かる理屈です」
聖女マリアが言い切ってから口を閉ざす。
いや、子供にそんな理屈が分かるわけないだろう。
壮年の艦長は今になって自分の迂闊さに思い至る。
この少女達は、年齢通りの中身じゃあない。
蓬莱にも異世界の記憶や知識を持った人間が何人か存在している。
それらと同類だ。
証拠に、自分の孫と同じくらいに違いない少女の口から「戦術」なんて言葉が飛び出している。
見た目通りの子供にそんな発想はできない。
彼女は間違いなく、空母がどういったもので戦闘機がどういった物かを知っている。
そして兵器として生み出された軍艦を他国の領海に浮かべることの意味を把握している。
これはマズいと、言い逃れできないぞと冷や汗を掻いた。
「ええ、確かに我が艦は仰るように戦闘機を搭載した軍艦です。しかしこれも貴国の教皇様の指示に従ったまでのこと。我々の目的は変わらず和睦であり、条約を締結させることです」
なのでここは知らぬ存ぜぬの一点張りを通す。
貴国の、と言ったのは教皇の率いる聖導教会がどれだけの国家にどういった影響を与えているか全容が把握できていないからだ。
そして確かに嘘は言っていない。
空母を旗艦に巡洋艦と駆逐艦をお供にしたのも、教会から提示された案……一部情勢不安な地域があるために戦闘が行える装備で来るのがよろしかろうと送られてきた書状にはあったし、最終的な決定を行った皇にしたって、この申し出をそのまま真に受けたに過ぎないのだ。
謀られたと思うのは威圧からの不平等条約を目論んでいたこちらの思惑とは違い、相手方は蓬莱を国家滅亡の首謀者に仕立て上げようとしていたということ。
教会は自分の手を汚さずアルフィリア王国跡地に傀儡国家を築こうとしていたといった話である。
「繰り返しますが国家転覆を目論んでいたエイブラは喜んで引き渡しします。その上で我らと通商条約を結んで頂きたい」
面倒な話を一足飛びにしてこちらからの要求を突き付ける。
聖女が激昂するように腰を浮かし掛けるが、ルナお嬢様はそれを手で制した。
「ではその条約の内容を提示して頂けますか?」
鋼色の艶髪を指で掻き上げ、白いブレザー制服然とした衣装を身に纏う少女が涼やかな声を奏でる。
後藤田が目配せすると閉め切られた扉がノックされ、先ほどの稲垣氏が入ってきた。
目配せしただけで人がやって来た事実を見れば、どこからか監視しているか、もしくはそれと気付かせないままに室内に兵を潜ませているかのどちらかになるのだが、ルナは敢えて追求しない。
「こちらになります」
男が差し出した書類を手に取って内容を一読するルナ。
顔を上げた少女は「ふふふっ」と笑んだ。
「ではこの書類を国王陛下にお渡しすることとしましょう。……それにしても貴方、本当に勇敢ですのね。我が国にここまで正面切って喧嘩を吹っ掛けるだなんて」
「なんですと……?!」
実を言えば後藤田が託されていた条約文は二通りあった。
相手国の国力が低く植民地にできそうだったらプランAを。そこそこ強い軍事力を保有していた場合にはプランBを、といった具合だ。
だが、蓬莱の軍事力を超える国力を保有している可能性については考慮されていなかった。
明かな失策である。
それでも当国の製造技術の一端であっても供与するとの文面なのだから、未開の地の野蛮人どもであれば諸手を挙げて喜ぶに違いないと考えていた。
要するに、戦闘機を製造する技術は渡さないが、整備くらいならさせてやるといった話だ。
それだけ譲歩してやっているにも関わらず「喧嘩を売っている」と断じられる理由が分からない。
どこか剣呑とした目になっている後藤田を見据えて、少女はポンと手を打った。
「あ、私、良いことを思いつきました。蓬莱は確か極東の島国でしたわよね? 今からちょっと行って海に沈めてこようと思います」
「……は?」
「ああ、いえ、貴方もこんな貧弱な戦争道具をちらつかせてまで大国に喧嘩を売らなければいけないというのは色々と大変でしょうし、その負担を少しでも和らげて差し上げようと思ったのです。貴方に命令を下したスメラギさん? その方を含めて国土の全てを海の底に沈めてしまえば貴方だって虚勢を張らなければいけない理由が無くなりますものね。我ながら良い案だと思いますわ!」
一転して破顔した少女の無邪気な笑み。
コイツは何を言っているのか?
艦長は怪訝に思いながら「どうやって?」と問い掛けてしまう。
「あらあら、未開の蛮族ともなると神に対する礼儀すら知らないようですね」
ルナの口元に浮かぶ無邪気な笑みが、段々と口角を上げ凄烈さを増していく。
キィィィ……。
甲高い音色が響き始める。
少女の背に一対、また一対と純白の翼が生え出し。
黄金の光の灯った輪郭の頭上に数枚の光輪が顕現し始める。
後藤田は金縛りに遭ったように身を硬直させた。
両者から近い位置にあった稲垣などは腰を抜かして床に尻餅をついている。
ただしルナの隣にいる聖女マリアなどは「もうっ、お姉様ったら」なんて気安い調子で笑んでいるけれど。
「あなた達は不遜にも神に喧嘩を売りました。私は売られた喧嘩は全て買う主義です。なので、取り敢えず、蓬莱とやらを地図から消し去っておきましょうか」
少女の身がフワリと宙に浮く。
床から離れる靴裏。
後藤田は「現人神、だったのか……」なんて意味深な言葉を呟いた後、急に我に返ったように床の上に伏し、土下座する格好になった。
「お待ち下さい! 知らぬ事とは言え、大変な失礼を! どうか平にご容赦を!!」
男の脳裏に過ぎった故郷の風景。
壇上に佇む皇の姿。
愛する妻や子供たち、孫達。
それらの未来を守らなければといった使命感が男を突き動かしていた。
例えば、怨霊や悪霊を嗾けて本国を襲うといった話であれば、高名な陰陽師や魔導士だって在籍しているのだから打つ手はある。
だが神の怒りに触れれば、如何なる手段も用を成さない。
少女が生きながら顕現した神そのものであるというのなら、彼女と事を構えれば比喩でも冗談でもなく蓬莱とそこに住む民草の全てが滅びる。
それは絶対に避けなければいけない未来であった。
「あらあら? 貴方は巫山戯た約定を突き付けておきながら相手が格上と知った途端に尻尾を巻いてしまうの? ……こちらはヤル気充分なのだし、少しは楽しませてから滅びなさいな」
「ならば、我が命を以てお収めください!」
後藤田は何を思ったか制服上着を脱ぎ捨てると懐から取り出した小刀で己が腹を掻っ捌く。
苦悶の呻き声をあげて、艦長が床の上に転がる。
「自殺……ですか? ですが簡単には死なせてあげません」
ルナは今まさに絶命しようとする男の身柄を仰向けにひっくり返すと、腹に刺さっている刀を抜き取り瞬間的に全快させる。
「あ、うぁあ……」
無念の呻き声を漏らし男泣きに涙を流す後藤田。
そのノリに付いていけないルナお嬢さま(女神モード)は、取り敢えず男の顔に口を近づけて囁く。
「死ねば全てが赦されるなんて思うな。お前が死んだら蓬莱の人間は一人残らずこの世から消し去る。それらの業を全て背負わせ地獄に送る。……分かったか?」
ドスの利いた声色に、後藤田は目を閉じて頷いたものである。