021:女神と金獅子③ 一ヶ月後の惨状とそのタネ明かし
「お疲れ様でしたお姉様」
「うん。疲れた。凄く疲れた……」
アザリア要塞にて宛がわれている一室にて同じベッドに潜り込んだルナとマリアは互いの体温を感じながら囁き合う。
ルナ達ディザーク侯爵家ご一行様が到着してからの一ヶ月間、特にルナにとっては試練の日々となっていた。
連日に渡る宣伝映像撮影で身も心もボロボロになって、今では半ば抱き枕と化しているマリアちゃんと身を寄せ合っては組んずほぐれつ抱き合う格好で眠る。
朝になったら執務室で打ち合わせをしてスタッフに連れられ撮影施設入り、延々と撮影を行う。
閉鎖された環境というのはどうしたって閉塞感が付きまといストレスだって青天井。
片時も離れずくっついてきてくれるマリアの存在だけが唯一の癒やしとも言えた。
「……その、だいぶんとお疲れのようだね」
「……」
ゴッ。
撮影の合間で颯爽と現れたアベル王子の頬を無言のままぶん殴る。
盛大に吹っ飛ばされた少年はワケが分からずキョトンとした面持ちで、殴られた頬を手で押さえていた。
「話し掛けてこないで下さいます? 私、今、物凄く気が立っておりますの」
勿論充分に慎重に手を抜いての暴力行為だとは金髪王子にだって分かる。
本気で殴られた日にゃ頭蓋骨が爆散しちゃうからね。
でも話し掛けただけで殴られている時点で理不尽にも程がある。
文句を言いそうになった少年はしかし、蛆虫でも見るような冷たい目で見下ろされてしまって何も言い返すことが出来なくなった。
たまたまその現場に居合わせていたエリザ王妃様は「ルナちゃんてば早速尻に敷いているのね、やるじゃない♡」などと意味不明な供述をしており、ってな感じだ。
「お姉様、落ち着いて」
言いながら駆け寄ってきてルナに抱きつくマリアちゃん。
するとルナお嬢様の眉間に刻まれていた皺がスッと解れて無くなった。
「アベル王子殿下、お姉様は働き過ぎで精神的に不安定になっているのです。婚約者であると言うのなら少しは気を遣って頂かないと困ります!」
「そ、そうか。そうだね、すまない……」
殴られた上に謝罪までさせられてしまう王子様であった。
それでも仕事は降ってくる。
それでも時間は過ぎてゆく。
昇ったお日様が西の空へと沈んでいっても撮影施設に灯された照明の光は絶えることが無く、関係者各位が解放されたのはとっぷり夜も更けた頃合い。
働き過ぎてヘロヘロになったルナはマリアを伴い遅すぎる夕食にありついたものである。
「体力的には全然大丈夫だけど精神的に結構クるものがあるわね……」
皿の上に盛られた極厚ステーキを咀嚼しつつルナがぼやく。
一週目は何ともなかった。二週目、三週目に至ってもちょっと疲れが溜まってるかなと思う程度だった。でも四週目に入った頃から動きにキレが無くなってきたように思う。
あと一週続けるとちょっとヤバいかな、と漏らしたお嬢様。
「お姉様、……もう見ていられない!」
マリアが泣きそうな顔をして立ち上がる。
「どこへ行くの?」
「直談判してきます! このままだと過労死しちゃいます!」
冷静な声で制するルナに、専属聖女ちゃんは怒りを露わにする。
「お姉様がボロボロになっていくのをただ見ていることしかできないなんて、そんなの辛すぎる……!」
激昂するマリア。
ルナは「ふぅ」と溜息を吐くと、そんな瑠璃色髪少女の腕を捕まえ無理矢理に座らせる。
「マリア、あなたは何か誤解しているようだから言っておくけれど、私は別に連日遅くまで撮影しているから疲れてるわけではないのよ?」
「お姉様……!」
マリアは愛しのお姉様が強がりで言っているものと思った。
しかし、そうではないことを次の瞬間に知る。
「ご機嫌よう、良い夜ね♪」
部屋の扉が開いたかと思えば、なんとルナがアリサを伴って入ってきたじゃあないか。
「え? え?!」と思わず二度見三度見しちゃう聖女ちゃん。
そう言えばこの一ヶ月間、アリサ様とはとんと顔を合わせていないなと今ごろになって思い至るマリア嬢である。
「説明しておくとね、桜心流に“双覇転陣”という技があって、要するに分身の術ね。それで折角だからと思って連続で何日間分身したまま過ごせるか試しているの。撮影だけに一ヶ月も取られると部下達の修行が進まないし、それで捻り出した苦肉の策ってところかしら」
着席しているマリアの背後でルナお姉様が軽い調子で嘯く。
マリアの隣でステーキを咀嚼するルナが言葉を引き継いだ。
「とはいってもこの技は精神がかなり削られるのよ。だってホラ、同時に別々の事を考えなきゃいけないワケだし。最近疲れてるのはそのせいで、撮影の疲れなんて殆ど無いの」
「だったら、早くその技を解いて下さい!」
「「え~? でもソレやっちゃうと私の修行ができなくなるし……」」
二人のルナお嬢様が本気で嫌そうな顔をする。
どうやら彼女はありとあらゆる方法で修行したい人であるらしいと、今になってようやく思い至るマリア。
けれど、と少女は反論する。
「お姉様は知らないかもですけれど、長期間働きづめだと自律神経失調症という恐ろしい病気になっちゃうんです。一度発症すると完全に治るまでに何年も掛かるから、そうならないよう適度に休息を挟まないとダメなんです!」
どこか必死さを漂わせる聖女の言い様にお姉様として無碍にもできず、「しょうがないなあ」なんて呟くと一人のルナへと戻った。
消えたのは意外にもステーキを食べていた方のルナで、彼女が手にしていたフォークとナイフが皿の上にカシャンッと音を立てる。
「……え、え?!」
「ああ、誤解しないでね。どっちが本物とか偽物とかそういうのじゃないから」
今の今まで一緒にいたお姉様は実は……!?
などとショックを受けそうだったマリアに慌ててフォローを入れておく。
桜心流氣術にある双覇転陣なる術は、氣を操作することで自分の分身体を作り出す所業ではあるが、本人が意識しない限りどちらか一方が主導側になることはない。
両方が本物で、同時に両方が偽物であると言えるような代物なのである。
(まあ、実のところは毎日部隊を引き連れて空を飛んでた方に意識がいってたから、そういう意味では撮影してた方が偽物って話になっちゃうのだけれど……)
もちろん、そんな野暮なことは口にしないお姉様である。
「けれどおかげで色々と分かった事があるわ。いえ、実を言えば実験も兼ねていたのよ。分身してどのくらい離れたら片方が消えるのか。少なくともアルフィリア王国の国土の全域はカバーできるってくらい離れても大丈夫みたい」
ルナ一号機がスタジオ内で商品宣伝の撮影に明け暮れていた頃、もう一方のルナ二号機は国境線まで飛んでいって帰って来ていた。また地図を見た限り一番距離が遠いであろう最南端の港まで行って部下達と一緒に海の幸に舌鼓を打つとかいう暴挙も敢行し、その帰りに地上からではそうそう見つからない高さで聖導教会の神殿の位置を確認もしておいた。
これで教会の信徒どもが雪崩を打って押し寄せてきても大丈夫。
報復に大量破壊術を神殿の真上にでも落としてやれば終わりだ。
いや、これで終わらないようなら聖導教会の総本山まで出向いていって、大神殿とその辺り一帯をまとめて地の底へと沈めてしまおうか。なんて物騒な事を考えているルナ様だったりする。
まあ、何にしても相手側の動き次第であろうとは現状を鑑みた上で出した結論ではあるのだけれども……。
「まあいいわ、今日の所はこのまま寝て、明日の打ち合わせでエリザ様に休みを取れるよう掛け合ってみましょう」
鋼色髪お嬢様は簡単に言うと着席者の消失した椅子に腰掛けて、皿に落ちたフォークを掴み上げると残っていたステーキを頬張ったものである。
マナーが悪いって? 細けえ事はいいんだよ。の精神であった。
今夜はマリアとアリサ、二人を左右に侍らせての就寝。
ルナお姉様が望んだわけじゃなくて二人がさも当然といった顔で同じベッドに潜り込んで来たものだから追い出す事も出来なくて、なんて経緯になる。
「けぷっ」
目を閉じて意識が失われようかといった頃合いで出てしまったゲップは、つまりは海産物とステーキが胃の中でシェイクされた結果なのである。
淑女にあるまじき無作法に恥じらい慌てて左右を見たけれど娘さん達は夢の中。
お姉様の粗相に気付いた様子は見当たらず人知れず安堵の息を吐いたものだが。
(お姉様、可愛い♡)
と、これは寝たふりで愛する女神様の寝姿を見守っていた専属聖女ちゃんの胸の内である。