020:女神と金獅子② 契約
普通に考えるならルナに商品宣伝のマスコットガールとして出演して欲しいといった話は13歳の娘の母であるサラエラに、というかディザーク侯爵家に持っていくべきだし、受諾するもしないも侯爵家で決めるのが筋なのだ。
なのになんで直接的な繋がりの無い王妃に出演依頼を出して、しかも無断で仕事を受けてんだ。
そう、ルナは言いたい。
「――とは言え、私は侯爵家の娘ではありますけれどその辺りの線引きはどうなっているのです?」
アザリア要塞の応接室で、ちょいと不機嫌そうな顔を貼り付けてルナが反撃に転じる。
侯爵という爵位を持っている、言い方を変えるなら王と直接的な主従関係にあるのはジルであってルナではない。
だから王家にはルナに直接命令する権限は無い。
まあ、家に対して命令された時点で従わなきゃいけなくなるのだけれども……。
「そりゃあルナちゃんはウチの子の婚約者だからね。私の思ったように動いて貰わないと」
耳にした言い回しを正しく理解したようで王妃様はフフッと笑んで答えた。
それは侯爵への命令ではなく、王子の婚約者、即ち将来家族になる人間に対する指示であると。
既に正式に取り交わされてしまっている婚約を盾にされるとルナとしても返しようが無い。
「私が王妃閣下の立場であったとしても同じように考えるでしょうけれど、馬車馬のようにこき使うというのならこちらが納得する物を提示して頂かないと話にもなりません。というか、そもそもの話として、王妃閣下と私との間にそういった取り決めはしていない筈ですが?」
一方的な搾取は認めないとルナは圧を掛けて微笑む。
王妃が取った仕事をルナが実働にて消化する。
この態勢を合法とするには、まずは書面にて契約を交わす必要がある。
なぜなら国内に籍を置いているとはいえ他家となる商会の長が発注した仕事を、金銭の遣り取りを前提として受けるのだから。
家の内側で独自の判断にて動くのとは意味合いが異なるためだ。
ならばとエリザ王妃は指を一本立てて切り返す。
「ええ、貴女ならそう言うと思ってちゃんと準備しているわ。まず一つは女神教を正式な国教とすることを約束するわね。そうなればラトスには女神が地に降り立った聖地として巡礼者が押し寄せる事になる。つまり収入源の確保と産業の活性化が見込めるってワケ」
次に彼女はもう一本指を立てた。
「それからもう一つ。貴女への報酬として王家が保有する施設の閲覧と使用を許可します。これは、仮に貴女が王子の婚約者という立場から外れても有効です」
それはルナがアベルの婚約者である事に不満を抱いている事を承知した上での特約だった。
ルナは「ふむ」と暫し考えてから一つ頷く。
王子の婚約者であるということは、即ち未来の正妃となる事である。
それ故に受けられるサービスは多岐に及ぶが、逆に言えば婚約者の席から外れてしまえばそれらの権限は失効するといった話でもある。
まあ、ルナ個人としてはそういった権力には欠片ほどの価値も感じていないのだから可能な限り早期に婚約関係が破棄されるよう王子を嗾ける算段ではあるのだけれど。
それでも現状で手に入れている権限が失われずに済むというのなら、それはある意味で破格の条件であり、断るのはあまりに勿体ない事と言えた。
「最後にもう一つ。これはとても重要な、仕事に関する条件です。依頼してきた商会が信用おけるかどうか。宣伝映像で題材とされる商材に関して有用性が認められるか厳しく精査する必要があります。評判の悪い商会や詐欺紛いの商品を宣伝したとあっては私のみならず家名に泥を塗ることになりますし。ですので仕事を受ける際にはまずは保留にして調査していただかないと。その上で仕事を受けるかどうかの最終判断は当家に委ねていただきたいと思います」
「ええ、勿論よ。ルナちゃんの立場を考えれば王家も他人事では済まされないからね。精査は可能な限り厳しくする考えよ。……さっきは130件あるって言ったけど、ここから篩に掛けるから実際には半分くらいまで減るでしょう」
にこやかに答える王妃様。
いやお前、実数で物を言ったんじゃないのかよと安堵半分、苛立ち半分のルナお嬢様である。
「分かりました、では今仰った条件で契約を交わしましょう」
「理解が早くて助かるわ」
ルナが条件を飲んだところでエリザ王妃は手を叩いて人を呼ぶ。
扉を開けてやって来たのは宰相ヴィンセント・ハイマール氏で、白くて長い顎髭がチャーミングなご老体は何が嬉しいのか満面の笑みで紙切れを運んできた。
「手際が宜しいですこと」
思わず嫌味など漏らしてみるものの相手は一向に気にした様子も無く書面をテーブルの上に置いた。
ルナは契約書の隅から隅までを凝視して、そこに不穏な一文が隠されていやしないか確認する。
そんな少女の姿に感心したような声を出す王妃様。
「契約書に隅から隅まで目を通すなんて、とても13歳の女の子の所作とは思えないわね」
「契約は良くも悪くも人生を大きく変えてしまいます。下手な契約書にサインして身を滅ぼすなど考えたくもない愚行と言えるでしょう」
「ええ、まったくのその通りだわ。やっぱり貴女には次の王妃として国を支えて貰わないとダメね」
「そこは思っても口には出さない方が宜しいかと。私はまだ婚約者でしかないのですから」
ニンマリするエリザ王妃に、澄ました顔で忠告するルナ。
正式に婚約、即ち結婚する約束は結ばれている。
だが約束は約束。いつなんどき、どういった理由で破棄されるに至るかも分からないのだ。
ディザーク侯爵家としては本音じゃあ認めてないんだぞと暗に含ませつつの台詞。
一瞬だけ王妃様の輪郭から怒りを滲ませた覇気が溢れ出たかに思われたが、喧嘩なら喜んで買うぜとばかりに放ち返された闘気を前に気勢を引っ込めるエリザ王妃様であった。
「本当に、心底から惚れちゃいそう……」
王妃様の戯れ言なんぞは捨て置いて、差し出されたペンで契約書にサインするルナ。
何にしても契約は結ばれ、今後はルナのところに山積みされていた仕事が回されることになる。
ディザーク領に戻る頃には新しいお屋敷が完成してるんじゃないかと、ほんのり陰鬱な気持ちになってしまう鋼色髪の娘さん。
というか国王陛下は終始優しげな笑みに口元を緩ませているばかりだったが、気の利いた台詞の一つも言えやと思うのはルナだけでは無いと思いたい。
◆ ◆ ◆
――侯爵家の手勢がアザリア要塞に到着した当日は、後は入浴や食事、生活するに当たって必要な諸々の説明を受けただけで宛がわれた客室(客室の筈なのにルナやサラエラの専用部屋とされているのはどういった了見なのか?)にて就寝するに至ったが、翌日からは、それこそ撮影地獄が開始されていた。
「アクション!」
監督として声を張り上げるのは宰相ヴィンセント氏で、彼は半年前に成立し施行するに至った映像に関する法律諸々がちゃんと機能するか確かめる上でも何件かの案件に携わる必要があると考えていたようで……、というか必要に迫られてるってワリにはなんでそんなにノリノリなのか?
折りたたみ椅子に腰掛けサングラスとハンチング帽、それから黄色いメガホンを携えて商品の説明をするルナちゃんを眺めている。
「こちらは王都の老舗、ロンダル商会から新発売される健康器具です。ちょっと試してみますね♪ ……こ、これはなかなかに……腰が伸ばされるのが良く分かります。これ凄い……、お値段は小金貨三枚。ちょっとお高いと思われた方のために、今ならもう一つお付けします! お問い合わせは王都メグメルの○△番地へどうぞ!」
「カァァットッ! ……良いねえ! 実に良い! ルナちゃん最高ですじゃ!!」
宰相様は褒めちぎってないで自分の仕事をして下さい。
そう思いながらも“ぶら下がり健康器”を見遣る。
異世界の人が見れば体操服にブルマとかいう衣装に他ならない斬新な出で立ちで自分が宣伝している商材に「こんなの二つも要らないでしょ」とか思いながら、確かに有用性は認められてるから弾けなかったのよねぇと複雑な顔をしてしまう。
あと鉄棒にぶら下がった際に僅かだけどお腹が露出してしまったようで、ちょっと恥ずかしい。
と、これが一件目の仕事。
二件目は創業百年のパン屋で新開発された“焼きそばパン”なる物で、大陸の東側地域で食されているというソースを絡めて炒めた麺料理をパンの間に挟むとかいう画期的な調理方法から生み出された惣菜パンだった。
確かに美味いと言えば美味いのだけれど、食べ方にコツがあって失敗すると口の周りがソースで汚れてしまうという難点がある。
それでもどうにか終わらせた。
感想としては身に付けた衣装のエプロンドレスが可愛かったな、なんて事である。
三件目は商品というよりはお店の宣伝で、業務提携を結んでいる工房から直送で店舗に運び販売する形式の魔法具店が王都にあるよって事で、店舗の改装を機に宣伝を依頼してきたのだとか。
遠く離れた場所の宣伝ともなると普通に考えれば三日掛けて王都に乗り込んでいくものだがそこは航空部隊を率いているルナちゃん。
部隊に招集を掛けて映写具などの機材や人員を運搬させ、小一時間で行って、撮影を済ませてまた小一時間ほどで戻ってくるとかいう力押しで乗り切った。
「……この生活がまだ一ヶ月以上続くのね。地獄は本当にあったわ」
などと、ついぼやいてしまうルナお嬢様である。