018:婚約者と書いて勇者と読む⑦ 極星の2人目
――桜心流氣術、勁落掌。
それは己が体内にて練り上げた“氣”を敵の体躯に触れる事で注ぎ込み、その肉体を内部から爆発させ死に至らしめるといった恐るべき殺人技である。
本来は氣を注入したい部位に掌を押し当てるといった動作なのだが、慣れると殴りつけた拳からでも蹴りつけた足からでも氣を流すことができる。
という事は、例えば“流水蛇行”のような歩行方により押し寄せる敵兵の隙間をすり抜けながら通り過ぎるタイミングで蹴ったり殴ったりして敵を絶命させることだって可能であり。
それは即ち対多勢にと編み出された魔技なのである。
桜心流氣術、流水勁とは、つまりは大人数を効率よく屠る事を目的とした複合技なのである。
「ああ、こんなに身体を動かしたのは久しぶりだわ」
それはもうウッキウキで独り言ちるルナお嬢様。
肩越しに見遣れば数分前まで人間であったはずの塊が、今では原形を留めない血肉の塊と化して列を成している。
今でこそ神そのものになっちゃったけれど、元は神を屠らんと欲し幾多の術を編み出した桜心流の開祖。神に挑まんとする者が人間の群れ如きに敗北を喫するなどあるワケが無い。
ならばルナとて同じく。
剣を手に向かってくる人々が百だろうが千だろうともお構いなしの見境無しにぶち殺し物言わぬ骸へと変えるのみ。
勿論、己が身を敵と見做し刃を向ける者どもを後で復活させてやろうかなどといった慈愛は欠片ほども持ち合わせていない。
死した愚物どもの行き先などは地獄のみと相場が決まっているからだ。
「敵兵の皆さん、さあさ、命を賭けて挑んできなさい。私は逃げも隠れもしないわよ?」
二百か三百の敵を絶命させた頃合いから彼らの心に恐怖心が芽生えたようで遠巻きにジリジリと囲い込むような動きになっていた。
どうやら二人や三人で同時に斬り掛かったくらいでは倒せないと察したようで、ならば完全に囲んで四方八方から襲い掛からんとしているのだろう。
だが一見して可憐なる手弱女はただのご令嬢ではない。
万の兵力に匹敵する規格外の怪物なのだ。
少女一人を取り囲んだからと呼吸を合わせて斬り掛かった者どもは蹲る幼娘の姿を視界に捉え、そして次の瞬間にはこの世の地獄を拝むこととなった。
――桜心流氣術、鳳翼旋!
突如として発生した竜巻が兵達を余さず巻き込み吹き飛ばす。
空中に飛ばされた彼らの体躯は吹き荒れる烈風の内側で四肢をもがれ、胴体をねじ切られ、竜巻の消失と共に地面に落ちたときにはもう五体バラバラの肉片と化していた。
「あらあら、そんなペラペラの防具ではそよ風の一つにも耐えられないのかしら。なんともまあ無様なこと」
手の甲を口元に当てて哄笑してみる。
これぞ悪役令嬢ムーブであるとばかりに。
一定の時間を置いて断続的に夜空へと打ち上げられる聖女の光。
可愛い妹分の放つ照明に照らし出される地表は真昼の如く煌々としている。
ピタリと高笑いを止めたルナは「ようやくお出ましね」と独り言ちて腰に手を当て仁王立ち。
対する有象無象の衆の奥からユラリ、ユラリとやってくる輪郭が一つ。
「ほほぅ、女神の化身などと言うから如何ほどかと思えばまだ年端もいかぬ童女ではないか。これは嬲り甲斐があるというものよ」
耳障りな声で少女を挑発するのは細身の男で、闇夜に紛れるためなのか黒いローブを身に纏っている。
男はルナの前まで来ると構えを執った。
「我は極星十二神将が一柱、炎拳の烈明なり。童女よ、泣き叫び命乞いをするが良い。さすれば女としての悦びの後に冥府へ旅立たせてやろうぞ」
「……それって、どっちにしても殺すって事よね? 命乞いとかする意味無いのではなくて?」
烈明とやらの言葉にちょっと首を捻ってから少女は素で返す。
男はニタリとイヤらしい笑みを浮かべた。
「然り。即ち、どうあっても貴様に明日を拝む機会はないということ。諦めて死の国へと逝くがいい!!」
何やら無理くりな後付け説明などしてから男は大きく跳躍し襲い掛かってくる。
――光明真拳、焰腕!
男の両拳にボッと真っ赤な炎が灯る。
炎に包まれた腕であっても男は火傷を負ったりといった様子は無く。
それどころか手合いを焼き殺さんとばかりに突いてきた。
「爆ぜろ、童女っ!!」
ヒュオ、と風が啼いたかに思われた。
拳に宿る炎が軌跡を描いて少女めがけて打ち下ろされ、その残像を貫通する。
「なにぃ?!」
鋼色髪少女はしかし、男が振り抜いたときにはもう彼の背後に居て、悠長に髪を掻き上げていたり。
「あなたの動きが遅すぎて思わず手が出てしまったわ。本当はどんな技か見るだけだったのだけれど。ごめんなさいね?」
涼やかな音色を耳にして慌てて振り返ろうとする男。
しかし彼の両腕は万有引力に逆らえず、ボトリと地面に落ちた。
「ギャアァァ! 俺の! 俺の腕がぁあぁっ!!」
「少しは黙れよ、やられ役」
突然の両腕切断による衝撃と苦痛に悲鳴をあげる男。
その背後では小さな少女が、腰を落とし握った拳を引き絞っている。
「もしも生まれ変わることがあったなら、次は大道芸人でも目指すといい」
――桜心流氣術、獅子吼。
少女の拳が放たれたかと思われた瞬間に、ボグンッと空気が爆ぜた。
コマ落ちしたフィルムのように、パッと、男の腰から上がスプーンで抉り取ったように消失し、残された下半身が断面からはみ出した腸もろとも崩れ落ちる。
“獅子吼”は本来は頭上から襲い掛かってくる飛行ユニットを迎撃するための対空技なのだが、身長差がある相手に対しても致命打を与える手札になり得る。
瞬き一つの時間で勝敗は決し、ローブ姿の男は呆気なく死の国へと送られていた。
「さて、……次は誰かね?」
淑女然とした言葉遣いがいつの間にやら男らしき口調に変じてしまっているけれど、少女は意に介した様子も無く振り返り、まだ居残っている敵残存兵どもへと目を遣る。
「悪魔だ……」
「十二神将が一撃で……」
「殺される……全員殺される……」
兵達の間を走り抜ける動揺は収まるどころか広がっていくばかりで。
ルナが身体の全部をそちらに向けて再び拳を引き絞ればそれだけで堰を切ったように回れ右して逃げ出した。
「一人として生かして帰すな」
ルナが言葉に出す。
「承知!」
返事は真上からやって来た。
少女が敵の注目を惹きつけている間に順々空へと舞い上がっていた航空戦闘部隊の面々が両手に鉛玉を握り絞めて待機していたのだ。
そこからは敗残兵の掃討。
敵兵たちを蹂躙する簡単なお仕事だった。
急襲部隊に対空攻撃の手段を持つ人間はいなかったようで、まさしく人間狩りの如き様相を呈する野営地。
蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う武装した兵士達は、次々鉛玉の餌食になってこの世とお別れしていく。
また他のディザークの騎士隊、もしくは近衛騎士隊も大活躍だった。
敵の首領が死亡したことで戦意を喪失した敵兵団は一気に押し込まれる格好で各個撃破されていって、新しい朝日が昇る頃合いともなれば周囲にそれらしき影は一つとして見当たらなくなっている。
周囲を見回しもう敵と呼べるものが見当たらないのを確認したところでルナは「さて」と声に出した。
「――志半ばで斃れた誇り高き勇者達よ、あなた達に今一度の生命を与えましょう!」
甲高い澄んだ音色に乗せて声高に宣うルナ。
最後の仕上げとばかりに行われたのは死傷者の復活である。
三対の純白翼を背に生えさせた女神モードのルナが味方の兵だけを完治させ或いは死の国から呼び戻した。
「生き返った」
「奇跡だ……」
「女神様……」
女神による死者蘇生のシーンを初めて拝むに至った人々は感極まって口々に唱え。
そして過去に同じ光景を目撃している男達にしても同様に大地にひれ伏していく。
奇跡が顕現した戦場に朝日が顔を覗かせた時にはもう、女神なる存在を疑う者など一人として存在していなかった。
「……とは言え、気がかりが一つ」
制空権を完全掌握。命令されたとおり一人として敵兵を生かしておかなかった航空部隊がルナの所までやって来て降り立った後、ルナは傍で傅く鷗外にこう告げた。
「アリサが見回ったときに敵影は捕捉できなかった。つまり敵には広範囲に認識阻害の魔法を掛けられる魔法使いが含まれていると、私はそう予想していた。
けれど、奇襲を掛けてきた兵団に魔法を行使する者は一つとして見当たらなかった。
ということは、魔法使いは一足先に戦線から離脱していたか、そもそも認識阻害などの魔法とは違った方法でこちらの目を欺いていたかのどちらかになる。
――鷗外、気を抜くなよ。
相手はまだ何か隠し持っていて仕掛ける機会を虎視眈々と窺っていると、そう考えた方が話の筋が通る」
「承知」
どこからどう見ても悪人面なのに気の良いあんちゃんである鷗外君は、まだ幼い少女が紡いだ冷涼な音色に神妙な顔で頭を下げるのだった。