017:婚約者と書いて勇者と読む⑥ アベルの決意
“王子殿下に出来る事などは一つとしてございません”。
婚約者に言われた言葉が何度も何度も繰り返し脳裏に響き渡る。
アベル・ルーティア・ド・アルフィリア。
アルフィリア王国の第一王位継承権を持つ13歳の王子様は深い絶望と失意に大きな溜息を吐く。
途轍もない美貌と実力を兼ね備える少女は、自分と同じ13歳であるというのに全く同年代という気がしない。
一番最初に見たのは彼女の12歳の誕生日パーティーで、母上に連れられ乗り込んでいった先で何やら得体の知れない物を見つけた気分だった。
母エリザは自分と結婚させて我が物としたい様子だったが、アベル自身は気乗りしなかった。
得体が知れない。理解できない。
見てくれこそ可憐な乙女ではあるけれど、ちょっとでも観察していればすぐに気付く。
アレは別物だと。
だからアベル個人としては、できれば彼女とは関わり合いになりたくなかった。
次に会ったのは彼女のデビュタント・パーティーで、この時も美しい少女はその言動でアベルの度肝を抜いた。
12歳のまだあどけない女の子が、友人を救いに裏組織のアジトに乗り込んでいってそこにいるゴロツキ全員をぶちのめしてしまうなどと言われて誰が信じるというのか。
だが彼女はいとも容易く、さも当然といった顔でやってのけたのだ。
そこまで聞けばさぞや頭の悪い粗野なご令嬢であると思うだろう。
だが実際に面と向かえばそこにある優美な物腰と知性を感じさせる言葉に驚きを隠せないだろう。
しかも話はここで終わらない。
魔法省と話を付けて映写具を借り受けたかと思えば自身の魅力を映像という形で残して堂々公開したのだ。
確かに貴族家の一員である事を周知させるというパーティーの主旨を思えば、これ以上ない策謀であると言える。
今でも瞼を閉じれば鮮明に思い浮かべる事が出来るのは自分だけでない筈だ。
それから彼女は映像の有用性を説き、データを取る意味合いで商家で新開発された調味料の宣伝映像を作成し、王との広場にて大々的に報じた。
結果は推して知るべし。
商品は恐ろしいまでの売り上げを記録し、商会を大陸でも屈指の豪商へと押し上げたじゃあないか。
それら一連の流れを仕組んだのは12歳の女の子なのである。
一体誰が信じられようか?
ルナ・ベル・ディザーク侯爵家令嬢は、ただの女の子じゃあない。
知力も武力も統率力も政治力も魅力でさえもが他の追随を許さない。
神童などと持て囃されていい気になっている自分など足下にも及ばない傑物なのだ。
彼女と稽古と言いながら木剣を交えてアベルはようやく理解した。
自分は光帝流剣術を極めた母上の指導の下で一年間を修行に費やしている。
母が至った領域には及ばずとも、多少なりとも腕に自信があった。
持ち前の才能をひけらかし、不出来な弟と比べられることに優越感すら覚えていた。
けれどルナは、そんな自分が放った渾身の一撃を余裕で受け止め、いなし、或いは躱して自尊心ごと簡単にへし折って見せたのだ。
彼女を幼い少女であるからと見くびってはいけない。
確実に、自分では届かない遙か高みに立っている人間だ。
たぶん母上であっても易々とは倒せないであろう。
まるで夜空に浮かぶ月のような、どれだけ恋い焦がれて手を伸ばしても決して届かない存在。
気付けばそんな彼女に強く惹かれていた。
欲しいと。不甲斐ない自分がそれでも手に入れたいと欲する女性。
それがアベルにとってのルナという少女なのである。
(僕は嫌われていたわけじゃない。ただ、欠片ほども期待されていない。感心を持たれていないだけだった……)
彼女が自分との婚姻に乗り気ではない、もっと言ってしまえば本気で嫌がっている節があるのは理解している。
ナヨナヨとしたモヤシなど男として認められないと言われて、だから彼女が眠り続けているあいだ修練に励んだし、少しは男として立派になったと自惚れてさえいた。
だが、彼女が求めている所とは、最初からそんなレベルではないのだとようやく理解したかに思われた。
弟カインと順繰りに、明け方まで行われた打ち込み稽古。
あれは、つまりは兄弟二人を相手にしてさえ彼女自身の修行には足りていないといった意味だ。
現に夜が明けた頃合いで自分たちは力尽きて卒倒したが彼女は然程の疲れも見せていなかったらしい。
準備運動として行われた長時間の駆け足にしたって、彼女は自分たちと同じ距離を走っているというのにだ。
そういった諸々から考えるなら、自分は、城の者どもから神童なんて呼ばれていい気になっている王子様は、彼女が全く期待できないほどに軟弱でお話にもならないお子様としか見られていないって事になる。
僕は充分に強くなっていると。
すでに彼女を妻とするのに相応しい男になっているんじゃないか、などとお花畑全開な事を考えていた。
けれど、彼女は自分の事など眼中にすら入っていなかったのだ。
絶望しかない。
絶望しているのに、それでも諦めきれない。
そんな自分が心底から情けない人間に思われた。
「兄上、酷い顔してるな。ルナさんに何かキツい事でも言われたのか?」
同じテントにいる弟王子がどこか憐れむような顔をしてほざく。
「五月蠅いな。放っておいてくれ」
いつになく厳しい声色で返すと、彼は肩を竦めて頭を振るばかり。
弟は才能こそ兄に及ばないものの、それでも課せられた修行によく食らい付いて強くなったし自負心も芽生えたかに思われる。
けれど昨晩ちょっぴり生意気な態度を執ってしまったが為にルナ侯爵令嬢に再教育と称して躾けられてしまったのだ。
おかげで彼の芽生えかけていたプライドは木っ端微塵に打ち砕かれ、また女性を無条件に尊いとする紳士的な少年へと戻ってしまった。
……あれ?
そこだけ聞くと良いことのように思われる不思議。
“男は常に紳士的であれ”とは日常的に受けている教育でも聞いた言葉だ。
ルナさんは、遣り方が苛烈なだけで言ってることは至極真っ当であるらしかった。
「カイン、どうやら僕は彼女に全く期待されていないらしい」
暫しの重苦しい沈黙に耐えかねて、つい漏らしてしまう。
すると弟は「期待されない、必要とされない、ってのは案外にキツいものがあるよな」などと知った風な口を利く。
ああ、いや、彼は知っているのかこの辛さを。
兄王子は思い直して、また自己嫌悪に陥った。
今の今まで実の弟にそんな思いをさせてきたのか僕は、と。
「すまない。僕は自分で思っていたよりもずっと嫌な奴であったらしい」
つい謝罪が口を突く。
テント内に設置された簡易ベッドにそれぞれ腰を落ち着けている兄と弟。
しかしアベルは恐ろしくて弟の顔を見る事が出来なかった。
「分かってくれれば良い、俺は気にしちゃいないよ」
軽い調子でそう言われてしまえば、もうそれ以上を告げることさえできない。
ランプの光が照らし出す天幕を見上げて、少年は物憂げな溜息を吐き出すのがせいぜいであった。
「――敵襲ううぅっ!!」
テントの外で誰かの叫び声が聞こえたのはそんな折りの事。
顔を見られないなどと悠長な事は言っていられない。
アベルはアッシュ髪の弟と顔を見合わせると勢いよくベッドから立ち上がり天幕の外へと這い出した。
「殿下はテントから出ないで下さい! ここは我々が死守致します!」
天幕入り口を固めていた騎士が腰から剣を抜いた立ち姿で怒鳴る。
しかしアベルは男の意地として、安全な所で守られる事を良しとはしなかった。
「君たちはカインを守ってやってくれ。僕は戦わなければいけない」
「しかし殿下!」
思いも寄らない言葉に困惑の声をあげる騎士だが、彼の戸惑いは更に深度を増す。
「兄上、俺も出るぞ!」
すぐ後ろから声がやって来て振り返れば鞘に収まった二本の剣を手に携える弟が、内の一本を兄王子に差し出している。
「よし、行くぞ!」
母君のような達人の域には到底及ばない。
それでも並みの兵士が相手なら互角以上に戦えるだけの研鑽を積んできたつもりだ。
ならば安全な所で守られているだけなど許されるわけが無い。
何より、天幕の内側で怯えるばかりの軟弱者なんて、彼女は絶対に男として認めてくれないだろう。
だから征く。
道が無ければ敵を斬り伏せ無理矢理にでも推し通る。
それこそが漢であると、この時の王子様は信じて疑わなかった。
兄弟で各々剣を抜いて駆け出す。
敵を見つけるのは簡単だった。
自分たちを見て襲い掛かってくる者は全て敵で、そうでない人間は味方。
これ以上なく分かりやすい。
「であぁぁ!!」
気合いの声と共に振り上げた切っ先を叩き降ろす。
すると襲い掛かってきた敵兵は一刀両断され左右別々に地面に落ちた。
「次だ!」
だが所々に焚かれた焚き火や篝火の光だけでは敵兵力の全体像が掴めない。
周囲を見回した限り結構な大人数に思われるが実際にはどうなのか。
視界が利かないというのはそれだけでも結構なストレスになる。
側面から飛び掛かってきた敵を後ろにつけていたカインが斬り伏せたが、闇夜の中での戦いというのは距離感も掴めないしどうにも遣りにくさを感じていた。
「兄上!」
ここで弟が叫ぶ。
カインが叫んだ理由はアベルにも分かった。
空に光の塊が打ち上げられたかと思えば、地表を真昼のように照らし出したのだ。
「マリアか」
マリア・テンプル男爵令嬢。
ルナに見初められた後は大聖女の名で知られるようになった少女は光属性魔法を使うことが出来るのだと過去に聞いたことがある。
夜空を切り裂いた光は彼女の仕業であろう。
「案外に敵が多いな」
そして視界が開けたことで敵の兵力が見て取れた。
およそ一千。こちらの倍近い数だ。
これはちょっとマズいぞ。
思って冷や汗を掻いてしまう王子様。
けれど少年は、そんな中に異様な光景が混じっているのを目撃する。
「……あれは、ルナさん。なのか?」
少年達が遠目に見つめる先に、恐るべき光景があった。
全身に返り血を浴びて、それでもなお狂ったように舞い続ける鋼色髪の少女。
敵兵はまるで吸い寄せられるように集まってきて、しかし一人として彼女を傷つける事ができない。
それどころか小さな少女に殴りつけられただけで、或いは蹴り上げられただけで大きく吹っ飛ばされて地面に墜落したかと思えば身体が爆発飛散していく。
朱に濡れた彼女の背後には死屍累々、血と肉片の道が連なっていた。
「カイン。……僕はあの光景を見て恐ろしいと思った。けれど同時にとても美しいとも思うんだ」
やや呆然としたアベルの言葉に背後の弟が困惑を隠せない。
兄王子の言葉は、このように続いた。
「彼女はたぶん、お伽噺にある魔王を倒す勇者のような男で無ければ花嫁になってくれない。けれど僕は何が何でも彼女を妻にしたいと思っている。だから。だからさ、僕は勇者にならなきゃいけないんだって、伝説の勇者になって彼女を娶る事が僕のすべきことなんだって分かったんだ」
「え、ちょ、兄貴、頭大丈夫か?!」
普段はアベルを兄上と呼ばわる弟が、この時ばかりは素で心配の声を告げていた。
「失礼な奴だな。僕は彼女の婚約者として相応しい漢にならなきゃいけないって話なのに、どうして頭の心配をされなきゃいけないんだ?」
言いながら正面から襲い掛かってきた敵を「邪魔だ!」と切り捨てる。
「いや、うん。悪かった。頑張ってくれ」
何やら妙なスイッチが入ってしまった兄王子を前にどうにも気まずい顔で励ますしか知らないカイン君。
どうやら兄は13歳にしてこじらせてしまったらしい。
王子二人が見つめる先で、更に更にと死者を生み出す苛烈にして可憐なる乙女は、無尽蔵の体力と氣力を武器に一千の兵ですら易々踏み潰しちゃいそうな勢いだった。
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