011:冒険者ギルド⑤(や、お前ら誰だよ……)
――世界の何処かに寺があった。
寺と呼ばわりながら仏道を極めんと欲し祈りを捧ぐ僧侶どもの巣窟ではない。
今にも朽ち果て砕け落ちんとする羅漢像が無数に鎮座し、或いは数百数千もの蝋燭が淡く揺らめき光を注ぐ修羅の間。
「かつて墜ちたる星が一つ、再び天に昇るか」
薄闇を切り裂く蝋燭の光に横顔を照らされ、呟くのは頭部を剃り上げた老夫。
老夫は座禅を組み瞑想の途にあったが急にクワリと目を見開き曰う。
「ならば我らも動かねばなるまい。神殺しは絶対の悪。かつて悪を成さんと欲したかの者の如き輩を顕現させるなど言語道断。断罪せねばならぬ」
次に言葉を放ったのは巨躯の男。
筋肉隆々とした体躯は闘者の衣装を纏い、手に鋼で作られた棍を携えている。
首から掛けた数珠は木片から削り出した珠を繋いだもので、辛うじて仏門の徒であることが窺い知れた。
「然れど時は未だ騒擾に非ず。――あぁ、もう! ってかいつまでこんな固っ苦しい喋り方しなきゃいけないのよ!」
もう一人、黒髪の女が言葉の途中でキレた。
老夫も巨躯男も何やら微笑ましげな目を向けフッと笑む。
三名は荒廃し今まさに崩れ落ちようとするかの如き寺院にて顔を突き合わせている。
と、そこへ、どこから迷い込んだのか巨大なる黒い狼がやって来た。
獲物の気配を察知したのか、低く唸り声をあげながら人間など一囓りで絶命させるに違いない巨大なる顎門を薄ら開き涎を滴らせている。
三名はこれを仰ぎ見て不穏な笑みを浮かべた。
「いずれにせよ、星は彼の地にて瞬いた。ならば我らが動くは宿業。古より定められし約定なれば動かぬわけにはいくまいて」
老夫は座禅を解いて立ち上がる。
迫り来る巨狼へと足を向けるも、先に棍を手にした巨躯が前に出た。
「我ら極星の徒が魔物ごときに後れを取るなどは有り得ぬ」
狼が飛び掛かってきた。
男が応じる様に棍を突き出せば、間もなく先端が巨狼の眉間に突き立った。
「滅っせよ」
男が囁くのと同時に巨狼の全身が粉々に砕け散る。
強烈な血の臭いが辺りに漂った。
「征くか」
「うむ」
老夫が問い、男が頷く。
女は断りも無く踵を返し、その輪郭を闇へと溶け込ませ去りゆくのみ。
極星十二神将。
その様に呼ばれる者どもがあった。
神を守り、これを打倒せんとする悪を余さず断罪する役目を負った者ども。
それは必定にして必然。
今まさに、大陸に暗雲が垂れ込めようとしていた。
◆ ◆ ◆
ゴッ!!!
誘拐など裏社会の仕事を生業とする組織。
この組織の首魁が雇った用心棒“鷗外”は隆々たる体躯、そこに宿る力の全てを注ぎ込み拳の一撃を放つ。
ゴッ!!!
再三に渡る剛拳はしかし少女一人を打ち倒すには至らない。
艶やかにして流るるが如き銀色もしくは鋼色と呼ばわるに値する長髪を尾のように振り乱し、まだ幼き少女が拳を振るえば男の拳が簡単に堰き止められ或いはいなされてしまう。
顔を歪めたのは体格で勝る筈の鷗外の方であった。
「ぐぅ!!」
「ふふっ、ご立派な体して貧弱ですのね」
「ぬかせぇ!!」
ゴッ!!
男は当初、少女には相手の拳を躱すしか手立てが無かろうと考えていた。
彼我の体格差は三倍などゆうに超えているともなれば、この判断は決して間違っていない。
にも関わらず、少女は易々と常識の壁を越えてきた。
同じ拳で真正面から打ち合ってきたのだ。
体格も、鍛錬による強度にしたって見た目こちらが圧倒的に勝っている。
ならば少女の小っちゃくて可愛らしい拳なんてあっという間に拉げて潰れて使い物にならなくなるに違いなかろう。
その常識が簡単に覆されている。
なんと全力で殴りつけているにも関わらず、自分の方が押し負けているのだ。
信じられなかった。信じたくなかった。
否、それこそが桜心流氣術か。
ギリリと奥歯を食いしばりながら男は思う。
桜心流は神を打倒するために編み出された格闘術であると聞く。
ならば己が身を神の領域まで高める事が最低条件。
即ち神と同等の膂力を持ち得ていると考えなければ辻褄が合わない。
(聖拳六派、どういった物か想像する事はあった。だが、そうか、こういう拳法なのか……!!)
聖拳とは、普通じゃない戦闘術や術式を扱う武術大系を一纏めにして呼ばわる総称だ。
鷗外は師よりグラド流闘術を学び、自身の手により完成の目を見たと自負していた。
だがそんな流派であっても聖拳の一派とは認められていない。
これが口惜しい。
だから、桜心流氣術の名を聞いてしまった以上は手加減などは許されない。
桜心流を打倒し得たともなれば我が流派こそが聖拳の一翼を担うに相応しいと声高に謳えるのだから。
たとえ麗しくも儚げな、指で触れただけで壊れてしまいそうな細い体のお嬢さんであっても、加減はできないのだ。
「ぬあぁぁああっ!!!!」
ズドンッ!!
全力で打ち下ろされた拳が少女の頭上から叩き付けられる。
盛大に鳴り響いた号砲は、床の石畳を陥没させたが故。
にもかかわらず、だ。
「……あらあら、お可愛らしいこと」
己が頭部よりも巨大な拳を打ち付けられた少女はしかし、腕の一本で易々と受け止めていた。
石床を叩き割り陥没させているのは、衝撃を受け止めた彼女の靴裏だった。
彼女は拳の隙間から覗かせた顔に悪魔のような笑みを貼り付け、鷗外を見据えている。
ゾクリッ、と背筋に冷たい物が走る。
「おのれぇ!!」
――グラド流闘術、練氣殴殺っ!!
凄まじい速度で連打する突き。
だが少女は難なく同じ手数をもって拳を受けきっていた。
「化け物めぇ!!」
「ラッシュですか、そういうお遊びは嫌いではなくてよ」
涼しい顔で曰い少女はお返しにと今度は自らの拳を繰り出した。
――桜心流氣術、爆勁千手。
ズドドドドドドドッ!!!
少女の小さな拳が、十倍以上もの大きさがある鷗外の拳を打ち据え押し返していく。
それまで男と全く同じ速度と手数で繰り出されていた突きが、いきなり倍の手数になったじゃあないか。
即ち、一回振り下ろされた拳に対して、十数発もの拳がぶち当てられるという事。
ビキリと亀裂の走る音が、どこかで響いた。
「ぐぬぅあっ!?」
鷗外の両拳がバキャリッと音を立てて砕けた。
筋肉組織が剝がれ落ち、内側から覗く骨からして原型を留めていない。
男は苦痛を感じはしたが、それ以上に恐怖に戦いていた。
(我が拳を粉々に……、こいつは、やはり本当に)
牙を叩き折られた獣は後はもう逃げるしか手立てが無い。
戦意はあったが、本能が戦いの続行を拒絶していた。
だが数歩下がったところで体幹が大きく揺らぐ。
目を落とせば残像すら残さぬ速度で追撃してきた少女が、まだ殴り足りない拳にて脛を突きへし折っているのを目撃する。
「なん、だとぉ?!」
我知らず吠えていた。
ルナはそこから大きく飛び退くと、床に蹲る姿勢を執る。
一発でもこちらの攻撃が当たっていて、それでダメージを負ったからだと思いたかった。
しかしそうではないのだと、彼女の足の周りを走り始めた紫電を見て察する。
「次の一撃で終わらせましょう」
バチバチと迸る雷を纏って、少女が凜とした声で啼く。
男は全身に鳥肌が立つのを感じた。
脛を打ち破壊したのは躱せないようにするため。
次に放たれるのは必殺と呼ばわっても過言では無い大技だと、本能が悟った。
「さあ、征くぞ」
――桜心流氣術、雷甲!
バキャアアァ!!!
少女の蹴った石床が跳ね上げられた。
雷撃魔法かと思われる程の苛烈なる塊が、体全部で突っ込んでくる。
無意識に両腕を掲げ受け止めようとした。
鷗外の腕に触れた衝撃。一瞬で腕の肉が剝がれ飛び骨が粉々に砕けた。
飛び散ろうとした血液が地に墜ちる前に蒸発する。
それは圧倒的な破壊力だった。
鷗外には、否、この世にある殆どでは抗えず砕け散るのみであろうと、容易に察することが出来た。
「ごあっ!!」
我が身が砕けていく様相を目の当たりにしながら、男は意識を失い大きく吹き飛ばされていた。