014:婚約者と書いて勇者と読む③ 夜のこと
「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ」
「ひぃ、ひぃ、ひぃ!」
「チンタラ走っていると朝になってしまいます! ホラ、もっとペース上げて!!」
修練場は夜になっても明るい。
聖女の訓練と称した照明魔法が一定間隔で空に打ち上げられ絶えず床面を照らしているからだ。
少年達の息遣いは荒く、しかし走り続ける速度を落とさせて貰えない。
先ほど片方の少年は二度目の気絶を体験したが、桶に入った水をぶっ掛けられてまた走らされるといった拷問かとすら思われる壮絶な駆け足に興じていた。
「はひ、はひっ、はひぃ」
「おま、お前! 俺達を殺す気、かぁ!!」
「人間ちょっと走ったくらいじゃ死にません! ほら走れ! モタモタしない!」
少年二人は延々と走らされていた。
後ろに動きやすい胴着に着替えている鋼色髪の令嬢が爽やかな汗を流しつつ追い掛けてくる。
追いつかれたら尻を蹴り上げられて走らされる。
修練場の真ん中で照明を拵えて頭上に放つばかりのマリアとしては同情を禁じ得なかった。
(うん、私も経験したなぁ……)
しみじみと、文字通りの地獄と思われた日々を思い出してうっすら目端に涙など溜めてみる聖女ちゃんである。
第二王子カイン殿下が修行すると言い、その兄アベル殿下が僕もと加わる事になってから、ルナはウッキウキのルンルンで二人をしごいている。
日が高い頃から始まった準備運動は陽が落ちきっても続いており、それは一向に終わる気配が感じられない。
準備運動が終わった頃合いでは二人は間違い無く息絶え絶えで宛がわれた部屋に帰り着いたら即座に倒れて泥のように眠ってしまうことは確実であろうとマリアは予想していた。
「よし、準備運動はこのくらいにして、乱取りにしましょうか」
ところがルナ様は二人の駆け足を想定より早い時間に切り上げてしまった。
あら?と訝るマリアは、けれど更に一時間後ともなると納得の表情になっていた。
王子達は、ルナが眠っている一年の間、実母たるエリザ王妃から剣術の指導を受けている。
つまり全くの素人では無いのだ。
となると、まだ未熟ながらも身体は出来上がりつつあるし、武術的な足運びもできるようになっている。
であるなら準備運動だけに時間を費やすのは勿体ないとルナは考えたようだった。
「くそっ! くそっ! くそっ!」
芯に鉛を仕込んで重くした木剣を素振りするカイン君。
その向こう側では指に出来た血豆が潰れるのも構わずにアベル王子が、ルナの手にした木剣と打ち合っていた。
実戦さながらの打ち込み稽古と素振りを延々続ける二人。
少年二人を相手取って余裕綽々といった表情のルナちゃんはとても13歳のご令嬢とは思えない化け物級のスタミナと技量で相手を圧倒していた。
「ぜぇ、ぜぇ、一体どうやったら君のような強者になれるんだ……!?」
対峙し木剣を振るうアベル君が汗みどろで問うものの、ルナは微笑んで返すばかり。
「たゆまぬ修練。そして如何にすれば敵をより効率よく屠れるかを考え続ける事。思考を辞めた人間はもはやヒトとは言わない。犬や猫と同じただの獣に成り下がる。だから王子殿下、強くなりたいなら考え続け足掻き続けなさい」
ルナ様は片手に握る木剣で、アベル王子の渾身をいなし、躱し、打ち返す。
王子は「参った」と力尽きたように膝から崩れ落ち、それを見ていたカイン君は「うげぇ」と声を上げる。
一人が敗北を喫したらもう片方と交代して稽古を続ける。
ルナが降参するか修行の終わりを宣言するまで、それこそ延々と続けられるのだ。
「というかこの一年間鍛えていたというワリにだらしなさすぎるでしょ。あなた達のお母様はよほど甘やかしていたようですね」
「いや君が厳しすぎるよ」
「何を仰っているのかしら。武の達人とされた人間達はいずれもこれくらいの修練は余裕でこなしてましたし、人によっては今行っていることを三日三晩一切休憩もせずにやり遂げておりましたよ?」
「まるで見てきたようなことを言う」
「……と、武術の本に書かれておりましたわ」
誤魔化すように付け加え、疑問を挟み込ませぬようにと強烈な一撃を繰り出す。
交代してすぐのカイン殿下は簡単に吹っ飛ばされて石床の上に転がった。
「この暴力女! お前みたいな女誰が貰ってくれるってんだ!」
カイン君が遂にキレて喚く。
「それは僕に対する挑戦かい?」
聞きつけたアベル少年の顔にビキリと血管が浮く。
アベル第一王子はルナ様の婚約者なのである。
「あらあら、過去に教えて差し上げたことを忘れてしまったようですね。では良い機会ですし、徹底的に躾けて差し上げましょう」
ルナ様が笑顔で、そのくせ物凄い圧を放った。
カイン君は自分の失言にハッとして、「わ、わるい! そんなつもりじゃ……」と言ったがもう遅い。
あ、これはもう本当に死んでしまうギリギリまで追い込み掛けられるわねと、端で見守るマリア嬢は思ったものである。
そんなこんなで修行は夜更け過ぎまで続き、終了の合図と共に少年二人は仲良く気絶して床の上に転がっていた。
哀れな二人が意識不明になっている間に屋敷に詰めていた彼らの護衛達に預けてそのまま出発の馬車に詰め込むよう指示を出す。
あ、つまり移動の馬車内で無用の口を利きたくないから最初から気絶させておこうと考えたのね、と時ここに至り敬愛するお姉様の真意に気付く聖女ちゃんである。
「馬車は揺れとの戦いになるから、最初から寝ていた方が楽なのよ」
そう言ってマリアを伴い自室に出戻ったルナお嬢様は、妹分と一緒にベッドに潜り込んで二時間ほどの仮眠を取る。
朝日が昇って幾ばくもしないうちに航空戦闘部隊の隊員300名、及び100名ほどの馬に跨がった騎士部隊が出発の用意を済ませて屋敷の表で整列していた。
ネストだけでなくディザーク家の騎士団も増員が行われているのだ。
「総員、出発進行!」
そして号令を掛けるのは総司令の肩書きも持つサラエラ侯爵夫人。
女傑は自ら馬に跨がり、全身を白銀の鎧にて固める完全武装の出で立ちだった。
「眠そうね?」
「はい、まだ徹夜の疲れが抜けてなくて……」
「眠たいなら寝ていても構わないわよ?」
「え、でもお姉様だって」
「ああ、私はそんなに寝なくて大丈夫。体質が変わったのよ」
一方で馬車の客車内では身を寄せ合いルナとマリアがフカフカの座椅子に腰を落ち着けていた。
疲労困憊につき眠ったままピクリともしない王子様お二人は別の客車に押し込まれている。
今回の移動に際して使用されている馬車は4台で、一つは王子たち、一つはルナたち、あとの二つにはディザーク家の使用人等々が荷物と一緒に乗り込んでいる。
アリサや鷗外といったネストの面々は護衛役として徒歩で馬車の周りを固めていた。
「身体が再構築されてからね、実は睡眠も食事もほんの少しで事足りるようになってるの。まあ、つまりは元の身体の一割ほどが生き物で、他は別の存在になっちゃってるって事なのでしょうけれど」
「お姉様……、その、ごめんなさい」
マリアが申し訳なさそうに謝罪する。
どうして謝るのかと問うてみれば、聖女は言いにくそうに躊躇いがちに口を開いた。
「あの夜、お姉様が居なくなってしまうって思ったとき、私はお姉様を蘇らせる事しか考えていなかった。今お姉様がここにいるのは、全部私の我が儘なんです」
「そう」
ルナは微笑んで可愛い義妹の頭を撫でる。
気持ちよさそうに眼を細めるマリアは、更に言葉を重ねる。
「私がお姉様を失いたくないと思ったから。傍に居て欲しいって願ってしまったから。きっと、あのアイテムが危険な呪物だと分かっていても結果は変わらなかったと思います」
「そう」
「……責めないのですか?」
「どうして責める必要があるの? 私だって本音を言えばまだこの世界に未練があったから願ったり叶ったりというものよ」
「お姉様、ごめんなさい」
マリアは謝罪せずにいられない。
子をあやす母のように慈愛に満ちた手で頭を撫で続けるルナ。
これ以上の言葉は無意味と思ったのか慰めの台詞は無かった。
それから陽が昇って昼のこと。
小一時間ばかりの休憩と称して街道の脇にて簡単ながらの陣を張った部隊は昼食の支度に追われ、そこかしこで湯を沸かす煙が仄かに筋を立てる光景を描き出す。
後続の馬車から使用人達が降りてきてテーブルを組み上げ焚き火で料理を作り始めた。
勿論、専属メイドのアンナはここでもルナをお世話するために随行していた。
「お嬢様、もうじき昼食の支度が整います」
「ええ、分かったわ」
いつの間にやら寝付いていたマリアを揺すって起こすと二人して客車を飛び出す。
街道の周囲は見晴らしの良い草原地帯になっており、申し訳程度の林があるおかげで日陰が確保できる地形になっていた。
「……ふむ」
街道は舗装といっても踏み固められているだけでアスファルトが敷かれているわけでもなく、また馬車の車輪の軸にも懸架装置が仕込まれているワケでも無い。
するとどうなるのかといえば、いくら座席がフカフカでも尻や腰を突き上げる衝撃はいなしきれず、半日揺られただけでも結構なダメージが残ってしまうのだ。
今回は自ら馬の鞍に跨がることで惨状を回避しているサラエラお母様が、余裕の微笑みを浮かべて用意された席に座っていた。
「あら、辛そうな表情だけど大丈夫?」
「そうお思いでしたら代わって下さっても宜しいのでは?」
「貴女は護衛すべき最重要人物なのだから馬に跨がるなんてとんでもないわ」
「ぐぬぬ……」
ちょいと怒りを覚えちゃうルナお嬢様。
いや、あんただって軍を指揮する立場なんだから重要人物には違いないでしょうが。
とは、すんでの所で飲み込んだ言葉であった。
「王子様たちはまだ起きてきませんのね」
「ええ、貴女が明け方まで痛めつけた甲斐あってね」
「痛めつけるとは人聞きの悪い。彼らは自ら修行を望み、私は要望に応えただけです」
「本音は?」
「アザリアに到着するまで寝ていて欲しい、かな?」
母娘は軽口を叩き合い笑い合う。
どうやら娘さんの思惑なんて母には丸っとお見通しであったらしい。