012:婚約者と書いて勇者と読む① 13歳の王子様
四頭立ての見るからに高級そうな馬車がディザーク家の半壊した後にやっつけ仕事で補修しただけの屋敷を訪れたのは、ルナが一年間の長期睡眠から目覚めて一週間後の事。
停車した馬車の客車扉から金色とアッシュグレー、二つの髪色が降り立った時、肝心のルナお嬢様はといえば積載限界まで荷物を背負った状態での編隊飛行訓練と称し300名の航空戦闘部隊を率いてラトスの直上400メートルを旋回飛行などしていたという……。
そんな鋼色髪の娘さんが色気もへったくれもないツナギ姿で部下達共々屋敷の修練場まで戻ってきた時、出迎えるように王子様二人が近づいて来たものである。
「あら、アベル殿下とカイン殿下ではありませんか。ご機嫌麗しく」
白いツナギに手甲と装甲付きブーツ、更に砲弾を詰め込んだ背嚢を背負っているとかいう勇ましさと無骨さだけは限界突破している出で立ちで訪れた王子二人にニッコリ微笑みかけるルナお嬢様。
金髪第一王子君は苦笑とも取れる何とも微妙な表情で一年ぶりに見る顔と相対する。
「お姫様が長い眠りからお目覚めになったと聞いてね。居ても立ってもいられなくなって押し掛けてしまったんだ。迷惑だったかな?」
「迷惑とは思いませんが、……ええと、エリザ様はご一緒ではありませんの?」
「うん。母上は仕事に追われていてね。本当なら登城の命令書を伝令に持たせるだけの筈だったんだけど、僕の我が儘で来てしまったんだ」
迷惑では無いと言ったが、もちろん嘘である。
どうして子供二人の面倒を押しつけられなきゃいけないのかと内心で辟易するルナ様。
けれど、流石に婚約者の肩書きを持つ少年を無碍にするわけにもいかず、顔に笑顔を貼り付けっぱなしであった。
「ああ、そうだ。お二方とも、せっかく修練場に足を運んだ事ですし、剣の稽古でもしていかれませんか?」
ルナはそこで思いついたように二人に尋ねてみる。
うん、まあ、ちょいとイラッとしたし、軽くボコって憂さ晴らしでもしようかと思っただけなんだけどね。
王子様たちは、逃げの一手を決め込むだろうとタカを括っていたルナの予想に反して微かにニヤリとして頷いた。
「そうだね。君の武勇がずば抜けているのを承知で、稽古を付けて貰うとしようかな」
「へえ……」
アベル少年の顔をもう一度よく見る。
彼の面立ちが幾ばくか精悍に感じられた。
金髪の隣で弟も、どこか自信ありげに笑んでいる。
(男子三日会わざれば刮目せよと言うけれど、少しは期待しても良いのかしら?)
一年前はどこか自信なさげでオドオドしているようにも思われた。
自信と実力の無さを賢そうな言動で誤魔化しているお利口ちゃん、とでも言えばいいのか。
弟に関しては虚勢を張るばかりで相手する価値すら無い、論外であった。
けれど今は双眸に自信が宿っている。
実力を隠すような知性の光。
ルナはほんのり嬉しくなって、周囲を固める鷗外やアリサに打ち合い稽古すると言って準備させることとした。
「得物は木剣にしますが、真剣でも私個人は構わないので不満なら仰って下さいね」
そして修練場にて対峙する少年二人と少女一人。
王子様たちには訓練で使用する胴着に着替えて貰って、その上から胸や腕を保護する訓練用の防具を固定した格好に。
彼らの得物は木剣で、最初は長さ的に背格好に合わせたサイズを渡したが本人達の要望で標準より少し長くて肉厚な物を貸し出した。
「ルナ嬢は、その格好のままで良いのかい?」
アベル王子が問う。
ルナはそれまでの立ち姿から背嚢を降ろしただけの非常にシンプルな服装で、念のためにと長い髪をリボンで結い上げていた。
「ええ、充分です」
お澄まし顔で答えれば、少年二人はヒクッと口元を引き攣らせる。
「兄上、俺が先に行く」
アッシュ髪のカイン王子が宣言するように告げると兄を一歩追い越した。
「女性に、というか僕の婚約者に怪我をさせるなよ?」
「善処する」
ルナの正面で木剣を構える少年。
両者の間に立っているアリサが審判役として手を掲げ、振り下ろした。
「はじめっ!」
開始の言葉と同時に駆け出したカイン。
両手に構える木剣の軌道は突きを放たんとしているかに見えるが。
「せあっ!」
フェイントも何も無く突いてきた。
ルナは微かに身を捻って躱すと彼の脇腹へと拳をねじ込もうとする。
「っらぁっ!!」
キュン。
しかし拳が少年の胴を抉る前に少女の身体全部が真横へと跳ぶ。
それまでルナの居た場所を木剣の切っ先が薙いでいた。
「あらあら、まあまあ♪」
ルナの嬉しそうな声。
「初見で躱すのか……」
カインの苦々しげな声。
少年は剣を突き入れた所から柄に添えた手に力を込めて水平に切り払ったのだ。
動作だけなら誰でも出来る、だが手合いに致命傷を与える攻撃へと昇華するためには相応の修練を要する動きであった。
「筋は悪くない。でも、貴方は大成するには時間が掛かる」
ゴッ。
再び斬り掛かろうとした少年は、しかし手首を蹴られて剣を取り落としてしまった。
「体幹が揺れています。だから初手を躱されると次に繋がらない。もっと基礎を固めなさい」
そして中段から上段へと軌道を変える蹴りがカインの側頭部を打った。
「ぁぐ」
簡単に倒されてしまったカイン王子。
そんな二人の戦いを眺めていたアベルがスッと前に出てくる。
「じゃあ次は僕の番だね。……僕にはどんなアドバイスをしてくれるのか、とても楽しみだよ」
金髪少年が言いながら剣を正眼に構える。
全く力んだところが見つからない。
「天賦の才、ですか」
「お褒めいただき恐悦至極、ってね」
不敵に笑んだアベルが息を吸い「ふっ」と吐く。
と同時に素早い動きで一気に間合いを詰めてきた。
「いつでも降参してくれて構わないんだよ?」
「あらまあ、ご冗談を」
キュン。
地を這うような切っ先の軌跡が真上へと跳ね上げられる。
少女が半歩身を下げれば、顎を打とうと昇ってきた剣先が頬を掠めていった。
ルナがガラ空きになった胴へ拳をねじ込もうとすると真上に昇りきった剣が今度は一直線に落ちてくる。
「しっ!」
ヒュオ。
しかし当たらない。
剣の向きを変えて今度は切り払う。
ヒュオ。
それでも躱される。
ここで少年の身が宙を舞う。
ビュオ。
独楽のように我が身を回転させて放つ斬撃。
だがそれさえも少女は難なく躱し、しかしただ躱すだけでは芸が無いと蹴りを一発ねじ込んだ。
ガッ。
「ちぃっ!」
「あらあら、息が上がってましてよ?」
先ほどまでの優男風の柔和な物腰から一転、肉食獣の如き荒々しい面構えで少年が笑む。
対するルナは余裕綽々といったふうだ。
「自信あったんだけどな。これも躱すのか」
「13歳という年齢を考えるなら神童と呼ばわるべきなのでしょうけれど。残念ながら今の貴方では私の足下にも及ばない」
「言ってくれるじゃあないか」
「事実です」
ニッコリと笑顔を手向けたルナお嬢様。
アベル王子はギリッと歯噛みして、再び攻勢を掛けようとするものの一歩足を進めたところで石床の上に倒れる。
ほんの僅かな隙間を狙い打ちした蹴りが、少年に致命的なダメージを与えていたのだ。
「そこまで!」
審判役のアリサが声に出して、稽古は終了となった。
それから暫し休憩していると、大聖女として神殿勤務していたマリアがやって来て目を丸くする。
「どうしたんですか、このお二人は……?!」
「ええ、挨拶に来てくれたのだけれど、稽古を付けてあげたら目を回しちゃって。悪いけれど二人の治療をお願いしても良いかしら」
「勿論です、お姉様!」
瑠璃色髪の聖女ちゃんは軽快な足取りで寝かしつけられた二人の袂までやって来ると神聖魔法を発動、すぐさまダメージを完治させてみせた。
「――ああ、本当に強い。相手があまりに大きすぎると見上げても理解できないって母様が言ってたけど。こういう事だったのか」
目を覚ましたアベル少年が起き上がるなりそんな事を言った。
同時に覚醒しているカイン君はムスッとしたまま座り込んでいる。
「あなた達は、エリザ様に焚き付けられたのでしょう? 稽古を付けて貰えって」
「うん、まあね」
王子達がやって来た時にはもう察していた。
普通、婚約者を見舞いに来るというだけなら兄弟二人して来る必要は無い。
それどころか登城のお誘いを記した手紙を使いの者に持たせるのが礼儀だ。
だって、面会予約なんてしていないからね。
お嬢様の具合が悪かったり王子達を出迎える準備が整っていなかったりといった状況も有り得る以上は侯爵家に恥を掻かせる可能性がある。
それを押して足を運んだということは、見舞いとは別に何らかの目論見があったということに他ならない。
エリザ正妃は光帝流剣術の使い手であり、過去のお誕生日パーティーに乱入して以降、息子達を鍛えていると小耳に挟んでいる。
であるならば、腕試しさせようと嗾けたと見るべきであろう。
13歳の可憐なお嬢さん一人を相手に何をやっとるんだこの馬鹿親子はと思わなくも無いが。
けれど、まあ、ルナとしてもそこそこ楽しめたから良しとした。
「――アベル王子は基礎も重要ですが実戦経験を積まれるのが宜しいかと。なまじ才覚があるだけに力に溺れる危険性はありますが、少なくとも今後5年内にそうなる目はございませんし、思う存分に剣を振るい強者と渡り合うための技を磨かれるのが宜しいかと存じます」
そういえば金髪王子にもアドバイスを求められていたなと思い出してルナは告げる。
ふて腐れた顔の弟君には、続けてこう言った。
「カイン殿下は、兄君と比べれば才能の面で劣っておりますが、だからといって諦めるよう勧めるほど酷くはありません。つまり、アベル殿下が一を教わり十を会得する天才であるとすれば、貴方は一を教わり一を会得する凡夫であるということ。ならば遣るべき事はただ一つ、ひたすら修練に励む事です。貴方の剣はたゆまぬ努力なくして完成しない愚直の剣。だからこそ辿り着ける頂があるというものです」
カインは偉そうに講釈垂れるルナお嬢様から顔を背けたまま、それでも耳にした言葉を咀嚼する様に目を閉じていた。
「何の知らせも無かったものでお二方の食事など大したもてなしは出来ませんが、如何なさいます?」
それから問えば、二人は城に戻る旨を告げて踵を返した。
「おっといけない、僕の婚約者である貴女にこれを渡さないと」
アベル王子が思い出したようにルナの前までやって来て一通の封筒を手渡す。
封筒の封には蝋蜜にて王家の紋章が刻まれており、国王陛下直々の召喚であることを窺わせた。
「分かりました。返事は追って――」
「ああ、いえ、きっと手紙には空を飛んでこれるのだからすぐに来いみたいな事が書かれていると思います」
「……無茶苦茶ですね」
「ええ、王族なんて、そんなものです」
国王に謁見するともなると見窄らしい格好では示しが付かないし、手続きだってある。
それらをすっ飛ばして今すぐ来やがれというのは横暴に他ならない。
でも、状況を考えればそれも仕方の無い話なのかも知れないなと思い直す。
主に聖導教会の絡みがあって悠長にしている時間は無い筈なのだ。
「では少々お待ち頂くことになりますが、宜しいでしょうか?」
「待つのは構いませんが、返事を書いて僕に持たせても結局のところ貴女の方が追い抜いてしまう可能性が高い。ですので君はこのままサラエラ様の所に話を持っていき出発の日時を話し合えば良いと思いますよ?」
「本当にせっかちですね。……まあ、私としてはそれでも構いませんけれど」
ルナは大きく息を吐く。
そんな少女の手を取ったアベル少年は自ら膝を地に付け手の甲にキスをした。
「いきなりですね」
「少しは恥じらって貰えるかと期待したのですけど」
「そういうのは“男性”の所作です。子供がやっても微笑ましいだけですわ」
「本当に容赦のない人ですね」
「お気に召さないのでしたら婚約を破棄するという手も御座いましてよ?」
「それは謹んでお断りします。……というか、本気で好きになってしまいそうだ」
「貴方のお顔なら女など選り取り見取りでしょうに」
「でも、僕を子供呼ばわりして憚らないのは貴女くらいなものです」
こいつ、ひょっとして姐さん女房的な女に惹かれるタイプなのか?
などと邪推してみるルナ様である。
「では、暫し待たせては頂きますが、書状の返事が間に合わないと分かった時点で私たちは引き返します。と、これで宜しいですか?」
「ええ、そうして頂けると助かります」
帰り掛けていたカイン少年を呼び止めて、アベル王子はつま先を邸宅内へと向ける。
面倒臭いにも程があると内心で辟易するルナお嬢様であった。