008:ルナの行脚⑦ 異教徒狩りⅠ
中央広場から伸びる大通り。
不規則に敷き詰められた石畳の幾つかが赤く濡れている。
新調されてまだ一年と経っていない舗装路を汚したのは聖導教会から送られてきた刺客の体液で、彼の首の上下を手刀で薙いだだけで簡単に分断させたお姉様は周囲を固めておきながら咄嗟に対応できなかった護衛達へと柔らかな笑みを振りまく。
「皆さん、ここから先、これと同じような事が続くでしょうから心して掛かって下さいね?」
ニッコリ。
けれど圧が凄い。
意訳すると、つまり「テメエら護衛として付いてきてんならちったぁ働いて見せろや」って事なんだろうけど。
目覚めの日を迎えた当日からお姉様のお手を汚してしまった事に深い後悔の念を覚える。
そんな私の前までやって来たお姉様は「マリアは逆に何もしちゃダメよ? 聖女って肩書きに傷が付いちゃうから」と軽く肩を叩いた。
(……けど、これも気を遣わせちゃってるんだろうなぁ)
私は聖女としての活動がメインになっていて、氣を運用するための訓練は欠かしてはいないものの護身の為の格闘術とかは殆ど習っていない。つまり戦いになれば足手まといになるばかりの無力な娘ッ子なのです。
そんな私に気を遣ってお姉様は前に出るなと仰る。
申し訳ない気持ちが胸をチクリと刺したかに思われた。
「じゃあ行きましょう。道順はだいたい目星が付いてるから、効率よくちゃっちゃと仕留めていくわよ?」
床に転がる死体を駆けてきた衛兵さん達が運び去るのを待たずして悠長な足取りで歩き始めるお姉様に、私たちは慌てて追従する。
道行く中で聞いたのは衝撃的な内容だった。
「説明しておくと、さっきの“祝福”というのは別に女神教の教徒にだけ向けたものではないの。町の全域をカバーするくらいの範囲でごく弱い祝福を一回打ち込んだだけ。つまり指定範囲内にある全てを対象にしたって話。どうしてそうしたのかと言えば、抵抗した人間の位置を特定するためだったの」
楽しげに話すお姉様に一同は「はあ」と気のない返事をするばかり。
けど私にはピンときた。
“祝福”ってそういう使い方もできるのかと目から鱗が落ちる思いだった。
「祝福というのは簡単に言えば宇宙から引っ張って来た聖神力に特定の効果を付与して対象に投射する行為になるのだけれど、行う側が神という立場で与えると“加護”になってしまうの。加護は神威を盾にして無理矢理にでも相手に押しつけるものだから抵抗はできないわ。けれどあくまで“祝福”という体で投射すれば、それは能力向上系魔法の延長線上にあるものとして発動するワケだから抵抗できる」
私も聖女として“祝福”は掛けられる。
けれど“加護を与える”といったことはできない。
祝福はある程度高位に至った僧侶や司祭といった聖職者が、神様との繋がりを経由することで対象者に役得をもたらす術式。
神聖系魔法の中級術式。……まあ、元素魔法に代表される「これぞ魔法」ってな分野とは少し構造が違っていて上級術式だから難しいとは一概には言えないのだけれど……。
ここで勉強に励んだ成果としてちょっとだけ説明すると、神聖系魔法ではどの神様と縁を結ぶかで扱える術の種類が大きく変わってしまう。
ここでいう神様というのは唯一神エヘイエの眷属とされている下位の神様(神様っていうよりは天使みたいな存在)みたいなのがズラズラといらっしゃって、という意味で、だから奇跡の御技を顕現しようとする人はまず最初に神エヘイエへの賛辞を述べ、それから縁――契約の一種ではあるけれど精霊との契約や魔物をテイムする場合に交わされる従属契約などよりも強制力は弱く、なので対象とする神様から嫌われてしまうと術は発動しない。そもそも相手は神様なのでお願いすることは許されても命令なんて言語道断。それでも無理矢理にでも術を発動させようとすれば天罰を頂いた挙げ句に他の神様達からも総スカン。聖職者としては全くの役立たずになっちゃう――を結んでいる神様にお願いして奇跡を授けて貰うといった形式になる。
だから僧侶達は毎日欠かさず神々に向けての祝詞を読み上げ祈りを捧げるのです。
私の場合は、職業が聖女ということで普通の聖職者よりも制約が緩いっぽい。
しかも縁を結んでいるのがお姉様……女神アリステア様一柱のみのせいか効果が尋常じゃ無いくらい強力で、しかも治癒も浄化も祝福も結界だって一通りこなせてしまうっていう万能っぷり。
今更だけどお姉様ってば一体何を司る神様なのか、是非ともお聞かせ願いたい。
なお私が使う光属性の魔法はあくまで元素魔法の一系統で、そりゃあ確かに神聖系にも《聖なる光》っていう似たようなのがあるけれど、こちらはアンデッドとかを浄化する効果を持つ術で、単純な照明としては光属性魔法を使った方が光量も点灯時間も魔力の消費量にしたって優れていて断然効率的だったりする。
私があれこれ思索に耽るのを看破したようで、気付けばお姉様のジトッとした視線を浴びていた。
ごめんなさいです。
気を取り直したように息を吐いてお姉様は言葉を続ける。
「――それでね。授けられる側が祝福をすんなり受け取れば何も問題がないのだけれど、抵抗された場合には感覚的に分かっちゃうのよね。あ、コイツ私を敵として認識してるなって。
それでこの町には今、聖導教会が送り込んだ間者が息を潜めて情報収集とか破壊工作をしてるわけじゃない。
するとどうなるのかと言えば、潜伏している人達は、敬虔な信徒であればあるほど抵抗しようとする。
勿論全員が全員ともそうだとは限らない。
だから私が放った祝福には更に条件付けを仕込んでおいたの。
女神を信奉しない者を対象から除外するように。
それでも術そのものは範囲内の全てに降り注ぐ。そうしないと判定すらできないからね。
祝福の中身はちょっと運が良くなるってだけのものだから、受け取っても抵抗してもその人の人生には大して影響はないけど……、でも曲がりなりにも神が与えた祝福を拒絶すれば代償はあって当然。
精神的に不安定になって、何らかの行動を起こさずにはいられないような焦燥感を強く感じるでしょうね」
私の解釈で言えば、要するに潜水艦で海に潜ってソナーで索敵、敵潜水艦を発見したと。こんな感じなのだと思う。
結果、相手が慌てふためいて炙り出されてくるところまでひっくるめてお姉様の計略であったらしい。
「そうか、だから普通に考えれば気を潜めて機会を窺うべき状況だと分かる筈なのに出てきてしまったと」
鷗外さんが唸った。
私たちの周囲は部隊の人達のみならず騎士の方々からもガッチリ固められている。
私が暗殺者の立場だったら、こんな物々しい警戒態勢の中へ飛び込んでいくなんて考えられない。
それなのに、現に剣を手にした男はお姉様の前に飛び出してきた。
狂気の沙汰とも思える彼の行動にもちゃんと理由があったのねと、説明を聞いてようやく得心のいく私である。
……というか神様から授けられる祝福を要らないなんて言っちゃうとそうなるのね。初めて知ったわ。覚えておこう。
衝撃の新事実を心のメモ帳に書き込んでおいて私はお姉様からやや下がった位置を歩くよう指示され、入れ替わるように隣を陣取ったのは鷗外さん。
黒ドレス姿のシェーラさんが来るかと思ったけどお姉様はその様な配置にはしなかったし、本人も真後ろから離れる気は無いらしい。
「さ、二人目が来たわ。アリサ、鷗外、日頃の修練の成果を見せてちょうだい。
「承知!」
目を上げるに向こうから包丁というよりは任侠映画でヤクザが振り回してそうなドスを携えたお爺さんが凄い勢いで駆けてきて、何を言っているのかも分からない雄叫びを上げたかと思えば問答無用でドスを振りかざし斬り掛かってきた。
「ふんっ!」
――グラド流闘術、飛燕脚!
鷗外さんがご老体のドスを握り絞めた手を上段回し蹴りで薙ぎ払い、勢いをそのまま反転させて踵で側頭部を打ち抜く。
手と頭部が左右逆向きの力を受けたことで老人は吹き飛ばされることもなくその場で崩れ落ちる。
「ほらほら、もう次が来たわよ」
お姉様の声が飛ぶ。
今度は正面じゃなくて側面から。細い路地裏から二人組の青年が、それぞれ短剣を手に躍り出てきた。
「じゃあ、あたしが!」
――紅華魔導拳術、紫陽花!
応じて相対したのはアリサ様で、彼女は一人目の青年の足の甲を突くように蹴って動きを止めておいて自分はジャンプして相手の顔面に膝を叩き込む。
その反動を利用して大きく後方宙返りするともう一人の肩に膝で着地。脳天に肘を落とした。
ゴッと音がしたときにはもう石床に崩れ落ちている二人組。
そのあまりの鮮やかさに私は開いた口が塞がらない。
「お見事。では次に行きましょう」
お姉様はニコニコしながら足を前に出す。
倒れ込んだままピクリとも動かない刺客どもは、どこからともなく現れた忍者達が担ぎ上げ、どこへともなく消え失せてしまった。
(気配どころか物音もしなかった……)
私はと言えば、今更ながらそれぞれに部隊の小隊長を務めているアリサ様と鷗外さんの実力を垣間見て、或いは忍者さん達の尋常じゃあない手際の良さを目端に捉えて背筋に冷たい物が走るのを感じていた。
どうやら私の周囲に普通の人は居ないようです(泣)。