007:ルナの行脚⑥ 平和な町ラトス……?
女神教神殿から脱出した私たちはラトスの町並みを、確認の意味も込みで散策する。
神殿は町の真ん中からやや北西寄りの位置に建設されていた。
一年前に瓦礫の山となった町なのだし真ん中に建てようって話も出てはいたけれど、町の中央部は噴水広場になっていて、そこには人々の色々な思い出とかがあって。だから神殿は中央広場からややズラした場所に建てられることになった。
「けれど、王都と違ってこぢんまりとした町なのに、この物々しい警備体制はどうなのよと私は問いたいわ」
お姉様が呆れた様子で周囲を見回し、私たちは苦笑するしかできない。
お姉様の感覚だと“こぢんまりしている”と評されているけどラトスはディザーク侯爵領では一番大きな町で、アルフィリア王国の中だと二番目か三番目に大きな町になる。
聞いた話だと十年か二十年前まではそこまで規模は大きくなかったのだけれど、当代の領主様であるジル侯爵様の政治手腕が卓越していたおかげで一時とんでもない速度で成長したのだとか。
なのでジル侯爵は領民の間ではめっちゃくちゃ人気が高い。
しかもルックスも美男子の優男ともなれば、特に婦女子たちからの人気が絶大だった。
とはいえ、急激な町の発展はどうしたって治安の悪化をもたらす。
そこで侯爵様、というか当時嫁入りしてきたばかりのサラエラ公爵家令嬢が侯爵家に属する騎士団を治安維持部隊として再編したのが今の形となる。
つまり正規の軍人が警察の仕事も兼任しているといった格好だ。
ディザーク侯爵領は立地的に国の内側にあって、だから常駐の兵士というのは実はそんなに数を必要としていない。
ディザーク侯爵家自体が文官の家系だしね。
町の治安維持に重きを置けば周辺地域の魔物出現に対抗する手数が減る。
この問題に対しては、余程の重大案件を除いて冒険者ギルドに丸投げすることで解決とした。他の町では領主軍と冒険者とで7:3くらいだった討伐系依頼の比率を2:8くらいにしたのだ。
傍目から見てもこれは異常な比率になる。
そこまでいくと領主の権威というか求心力が低下しそうなものだけれども、ディザーク侯爵領ではそうはならなかった。
内政に力を入れている地域であっても討伐依頼の報酬を他地域よりも割高にする事で戦闘能力に秀でたパーティを呼び込む事に成功し、ギルド側としても人材に余裕がでたことで素行不良の冒険者を弾く体制が敷けた。
おかげで治安は回復し、ならず者は淘汰され、冒険者にしたって真面目な優良株ばかりが残ったという。
なので現在のラトスの治安は決して悪くない。むしろ他の町と比べて良いと断言できるくらいだ。
もう一つ理由を挙げるとすれば、お姉様が町の人々の全てから『女神様である』と認知されているから。
誰だって神様仏様の不興は買いたくないでしょう?
それが治安の良さに繋がっている。と、私は思う。
付け加えておくと過去にルナお姉様が部隊を編成した頃に如何にもといった荒くれな人達が町に流入した事があったけれど、それだって今は治安維持に動く騎士さんたちの働きで落ち着いている。
というか、一年前に町を襲った十数万もの夥しい魔物の群を見てしまったら、イキりたいだけの人達なんて尻尾巻いて逃げちゃって、後は生き死にを賭けた戦いをしていないと不安が募って発狂しちゃうような根っからの戦闘狂だけが残ったみたいな形だったり。
なので今やラトスで冒険者をやってたと言えば銅級や鉄級であっても一目置かれるってくらいギルドの名声は高まってるんだって。
ということは町の景観の中を行き来する人々は、必然的に厳つい男共と敬虔な女神教信者とで大きく二分されることになるワケで。
余所の町からやって来た行商の人なんて偶に見かけるくらい。
……それでもお姉様に心酔する航空戦闘部隊の人達ともなると例外なく達人の雰囲気を放っているから護衛と称してあちらこちらを彷徨いているのはすぐに分かってしまうのですけれども。
「鷗外……私を守ろうとしてくれる心意気は買うけれど、それにしたってちょっと多すぎない?」
町の中を歩く中でほんのり辟易した様子のお姉様が後ろを歩く黒胴着のあんちゃんに声を掛ける。
「あ~、いや、俺が声を掛けたのは各小隊長だけなんですが、どうやら話が漏れたみたいですなあ」
鷗外さんは短く刈り上げた髪をガシガシと掻いて困った顔をする。
お姉様は大きく溜息を吐いてから「仕方の無い人達ね」と言葉に出す。
「というか、ウチの部隊員を除いても警備が物々しいように見えるのだけれど、何か催し事でもあるの?」
「隊長、それ分かってて言ってるだろ」
鷗外さんの呆れ顔にムッとするお姉様。
ええ分かっていますとも。『お姉様が町を練り歩く』っていう重大イベントが現在進行形で開催中なので治安維持の騎士さんたちがゾロゾロと付いてきているって事くらいは。
そこかしこで見かける全身鉄鎧の騎士さん達がチラチラとこちらの様子を窺っているのは本人達は気付かれていないと思っているかも知れないけれどバレバレすぎて鬱陶しいくらいだ。
そんな私たちが町の中央、噴水のある広場までやって来たところで大勢の人々に取り囲まれてしまった。
「女神様!」
「尊くも麗しい御方!」
「アリステア様! 我らをお導きください!」
握手を求められたのでお優しいお姉様はいちいち応える。
大聖女の私がムッとしているにも関わらず詰め掛ける人々。
齢80だか90だかのお婆ちゃんなどは手を握り合っただけで感極まったのか目からドバーッと涙を流し、小さなお嬢ちゃんはニコニコ、その母であろう女性は涙ぐんでいた。
また若い男が気を利かせたつもりなのかすぐ近くにあった花屋で花を買って駆けてきたけれど周囲にいた騎士達に止められて職務質問を受ける羽目に。
しっちゃかめっちゃかとはこういった光景を言い表す言葉なんだろうと私は思った。
「マリア、折角だしちょっとサービスしていくわね」
ここで肩越しに顧みたお姉様が私にウィンクを一つ。
どうするのかと見ているとお姉様の輪郭に光が灯った。
「善良なる私の子供達。あなた達の未来に幸あらんことを願って、祝福を授けます」
キィィィ……ン。
甲高くて澄んだ音色がこだまする。
お姉様の背に三対6枚の純白翼が生え出し、その頭上に燦然と輝く光輪が数枚。
鋼色の長髪が輝く黄金の色合いへと変じた。
「どうか一つでも多くの幸せと共に……!」
両手を組んで祈るような仕草をしたお姉様。
彼女を起点として柔らかな光の波がフワリと放たれ際限なく広がっていく。
“女神の祝福を得ました”。
私の視界の隅っこにその様な記述が現れた。
そう言えば、ここ最近は忙しすぎて自分のステータスなんて見てなかったなあ、なんて思ったのも束の間。
どこかで鎖のジャラリと鳴る音を聞いたように思って目を民衆へと向ける。
光が失われ、呆然と佇む人々は一人、また一人と膝を地に付け祈るような格好になる。
彼ら、彼女らの信仰の対象はお姉様ただ一つ。
私だって聖女なんて肩書きが無ければ、彼女の妹分だという自負が無ければ簡単に膝を折って深い敬愛の念を捧げていただろう。
(やっぱりこの人は女神様で、私のお姉様なんだ……!)
今更ながらに思って、背の翼を失わせたお姉様に背中から抱きついた。
「お姉様、大好きっ!」
「あんっ、ちょっとマリア。じゃれつかないでってば」
衝動的な抱擁は、けれど女神様と大聖女ともなると万民が認める所業であるらしく、羨ましいからと批難する人もなく……。
「マリア! ちょっとは人目も気にしなさい! お姉様も!」
アリサ様から飛んで来たお叱りの声に、私たちはクスクスと笑い合ったものである。
一年前の瓦礫の山と化したラトスは、しかし一年で見違えるほどの復興を遂げた。
それは町を所領としている侯爵家だけでなく王家も、国家の重鎮達もが資金を流し入れたから。
この一年間は大工さんの金槌を振るう音が絶えることは無かったし、おかげで以前の町並みと比べても遜色ないどころか数段ランクが上がったような景観になった。
まず地面は端から端まで石畳が敷き詰められ、雨水を逃がすための側溝が掘られている。側溝は上から編み目になった木の板で蓋をすることで落ちて怪我をする人間が出ない仕組みになっている。
また民家だってどれも上等な建材を使用しているようで見た目も耐久性もバッチリだ。
ただ、構造的に中世ヨーロッパ的な時代背景があるにも関わらずそこはかとなく現代日本の空気感が見て取れてしまうのはどうなのと問いたい。
それら工事を一手に引き受けたのはやっぱりラブルス商会で、温泉の件もあって私は絶対に担当者の中に現代日本からの転生者が紛れ込んでいると確信している。
まあ、だから何だって話ではあるんだけどね。
別にお姉様に危害を加えようとしている様子も無いし、むしろディザーク侯爵家の発展に貢献しているように見えるから、いわゆる知識チートを振りかざして無双するにしたってそちらはそちらで好きにやって下さいとしか言えない。
ただしお姉様の身を危険に晒すようなことでもあれば、躊躇い無く、聖女としての肩書きをフル活用してでも叩き潰しますケドね。
そんな感じなものだから、直営店の表に出ている看板にマーヨネィズなる調味料の絵が描かれていても神妙な顔で一瞥するだけの私です。
なお王都ではコマーシャルが放映されていて、お姉様がマヨネーズ……もといマーヨネィズの宣伝に出演しているせいで爆発的大ヒットを飛ばしているご様子。
聞けば国王様も一家で愛用しているのだとか。
これが発端になったのか、ラトスの復興に関しては侯爵家のみならず王家からも当商会に協力の要請が出た。
それはつまり、アルフィリア王国としてラブルス商会を正式に認めるといった事も意味していた。
おかげで商会の地位は国内でも不動のものとなっている。
魔導具の流通に始まり今夜の晩ご飯まで、多岐に渡る商材を取り扱うラブルス商会は、きっと大陸内を見回しても有数の豪商に違いなかろう。
いや、確かに乙女ゲーム“蒼紅”でもラブルス商会の名前はちょこちょこと登場していたけれど、ここまでの超一流企業になっていいの? とは思う。
思いはするけれど彼らの繁栄がお姉様の目論んだ通りであるのなら邪魔はできないし。複雑な心境です。
「さ、二人とも行きますよ」
「「はいっ!」」
そんな諸々の想いをお腹の底に押し込めて、優しく微笑みかけるお姉様を追い掛ける。
お姉様は私の愛おしい人。
それはずっと変わらないことなのだ。
◆ ◆ ◆
「――何だってんだありゃ」
物陰に身を潜め独り言のように呟く男。
男は聖導教会から間諜として送り込まれ、もう半年も前からラトスに潜伏する工作員だった。
男は敬虔な信徒であり、ゆえに神の名を汚す輩を成敗する任務を負った専門機関イスカリオテに所属する、即ち処刑人である。
そんな男の目を以てしても、たった今目の前に現れた光景を否定することは叶わなかった。
男は女神教などを作った人間も、そこに祈りを捧げる信徒どもにしたって皆殺しにすべき大罪人であると考えている。
何故なら神は“エヘイエ”のみであり、これ以外は全てが排除すべき悪魔の使いだからだ。
エヘイエを崇める者には天国行きが確約され、それ以外を信じる者は地獄に落ちると、いやこの手で地獄に落としてやると息巻いていた。
泣き叫び命乞いをする邪教徒の四肢を切り裂き、皮を剝ぎ、絶望の嘆きと共に潰えていく命を眺めるのは至福であり極上の悦楽である。
奇跡の御技とは神エヘイエの従順なる僕にこそ与えられた特権で、それ以外が行使するなどは言語道断。
悪魔が使う呪いの所業であると、男はそう考えていた。
だから奪い尽くし、犯し尽くし、殺し尽くす。
聖導教会の敬虔なる信徒たれば、それはとても普通の所業なのである。
「あのメスガキめ……犯して殺してやる……」
地獄の底から這い出してきたような唸り声を呟いて腰に差した剣の柄を握る。
男が見たのは美しい少女の背に純白の翼が顕現し、とても優しくて暖かな光が全身を通り抜けていく感覚だった。
気を引き締めていないと涙が溢れそうになる。
だがそれは邪悪な存在が放ったまやかしの波動なのだ。
騙されてはいけない。視界に映り込んでいる愚かなる者どもの傅く姿を憎々しげに睨み付ける。
奴らは地獄に落ちるべき咎人であり、そのような輩を処断し続けた自分は死して天国に迎えられるのだ。
聖導教会の教えでは、生きている間に行われた様々な罪に関しては神の前で懺悔すれば全てが赦される。
だから男は金品を奪い取って殺し、女は気が触れるまで犯し尽くしてから殺す。
これこそが正義。これこそが大義。
国家などは関係無い。
異教徒を殺し尽くし犯し尽くし奪い尽くす事こそが国も地域も関係無く執行されるべき正義なのである。
泣き叫ぶ少女から衣服を剥ぎ取り、四肢を縛るか切断して抵抗できなくしておいて三日三晩犯し抜き、それから目玉をくり抜き歯を引っこ抜き、爪を剝いで、最後に心臓に杭を打ち込んで殺す。
男の中で少女の処遇が決まった。
処遇が決まったのだからもう躊躇うことなどはしない。
あとは勢い任せに掻っ攫い、町の中に確保している家に引きずり込むだけ。
男は口端から涎を垂らし、ノコノコと歩いてくる少女三人の前までやって来た。
「悪魔め! 偉大なる神エヘイエの名の下に、邪悪なる貴様を処断する!!」
女神教の総本山ともなれば誰一人として理解する者などありはしないだろうが、それでも自らの行いの正当性を声高に宣言する。
鋼色の髪の少女は微笑みを絶やさずこちらを見ていた。
その視線に射竦められるような、全てを見透かされているような錯覚を覚えながら、それでも駆け出した男。
「……はへ?」
あと少しで少女の身に手が触れようかといった所で急に視界が回転し始める。
間抜けな声をあげる男は、次に何やら固い物で頭を打ち付けられたような衝撃と激痛を覚える。
視界の中では、首から上を失った何者かの体躯がそそり立っていた。
「ありもしない神に縋り悪行を重ねた咎人よ。お前には輪廻の輪に戻る資格はありません。地獄に落ちて改心なさい」
そこへやって来た少女がとても冷たい目で男の首を見下ろし告げる。
え、なんで?
俺は天国行きが約束されてたんじゃないのか?
男は恐怖と共に悟った。
己が愚かさと悪辣さを。
そして、数秒もすれば自分が息絶えて、次に地獄に落ちる事を確信する。
俺はただ、殺したいように殺し、奪いたいように奪い、犯したいように犯しただけなのに。
懺悔すれば全部水に流してくれるんじゃなかったのかよ。
そんな、神の横暴さと理不尽さに怒りを覚えながらその魂は肉体から切り離され。
地面からドス黒い液体が滲み出てきたかと思えば自分の身を引きずり込もうと捕まえる。
いやだ! いきたくない! 誰か助けろ! 俺を助けろ!
泣き叫んでも、もはや誰の耳にも届かない。
やがて抵抗も出来ないまま捕まえられた魂はそのまま地中深くへと吸い込まれていく。
情報収集や暗殺、破壊活動を目的として町に潜り込んでいた一人の男の末路だった。