010:冒険者ギルド④(儂、聖拳の使い手なんだって)
……ィィィィイイギ。
そこかしこで埃の舞う薄暗い廊下。
石床の上を駆けるネズミが壁に空いた穴へと潜り込むところを目端に捉えながら、少女は己が眼前にてそびえ立つ分厚い金属扉を仰ぎ見る。
手をそっと添えて押せば扉は耳障りな軋み声と共に開き、少女二人を招き入れるが如く内側に広がる薄闇より空気を吹き掛けてくる。
部屋に押し入ってまず目に付いたのは正面奥に配置された安っぽい机で、そこに見るからにゴロツキの頭目と思しき中年男が、でっぷりとした身を縮こまらせて何やら書類にペンを走らせている。
その男が、不意に手を止めると眼鏡越しに鋭い眼光をツイッと訪問者に手向けた。
「おやおや、困ったお嬢さん方だ。部屋から勝手に出てしまうとは」
「あなたが誘拐組織の首魁ですか?」
「ええ、まあ、そんなところです」
男は薄い唇を歪め笑みを浮かべる。
対するルナは、興味も無さそうに息を吐き、次に壁際にある木製扉に目をやった。
「しかし、それにしても小さな子供相手にウチの若い衆は何をやっているのか。後で躾け直さないといけませんなあ」
眼鏡をクイッと持ち上げて太っちょの男が席から立ち上がる。
その手にはどこから取り出したのか鞭があった。
「そういう内輪の事は牢獄なり地獄なりでやってちょうだい。そんなことより、そこに隠れている人は呼ばないの?」
「必要ありますかね?」
言った先から豚野郎が鞭を振り下ろし石床を叩く。
スパーン、と凶悪な音色がこだました。
「必要と、私は思うのだけれど」
ルナは艶やかな銀色髪を手で後ろへと払い除けると手を胸の位置まで上げ、人差し指をクルクルと回す。
すると円を描くように光の筋が現れ、少女は軽い調子で投げた。
「ふんっ」
パシュンッ。
男が鞭を振るい飛んできた光輪を叩けば輪っかは簡単に飛散し消えてしまう。
僅かにドヤ顔で目を戻した男は、今度は驚愕の表情になった。
「……な?!」
「あら、どうかしまして?」
ルナの周囲に数百いや数千とも思われる光の輪っかが回転しながら浮かんでいる。
銀髪お嬢様は薄ら笑みと共に指でデブをさした。
「くっ!!」
一斉に弾き出される夥しい数の光輪。
男は必死の形相で鞭を振るうものの抗しきれず、数秒と経たない内に自慢の得物を細切りされ体躯をもズタズタにされていた。
「くっ……、あなたが何者か伺っても?」
全身を彩る無数の切り刻まれた痕から血を噴き、尻餅つきながらそれでも生き長らえている男は、朱に染まり苦しげな顔であっても会話を続けようとする。
さすがは裏社会で組織を取り纏めていた人間。肝の据わり方が違うと少女は感心して見せた。
「ルナ」
「……っ?! まさか!!」
少女が短く口ずさんだかと思えば、男の顔に理解の色が浮かんだ。
「なぜ、貴女のような方がここにいるのですか?」
「あなたの躾のなっていない若い衆に攫われちゃったの。というか、どこかでお会いしたことがあったかしら?」
「なんという……」
ルナは滅多に侯爵邸から出させて貰えない。
なので、その顔を知る人間なんて町には居ないはずなのだ。
にもかかわらず男は思い至ったかの如き姿勢を見せた。
即ち、侯爵家に出入りする人間の中に、こういった裏社会の組織に身を置くもしくは関係している人間が紛れ込んでいるということ。
「念のために聞いておきますけれど、屋敷にあなたの関係者が潜り込んでいるものと解釈して宜しいわよね?」
「くっ!! いいや、侯爵家のお嬢様がこんな所にいらっしゃる筈が無い! 貴族の名を騙るなど言語道断! 速やかに処理せねば!! ――先生!!」
少女の問い掛けなんて聞いちゃいねえ。
男はブツブツと独り言ちたかと思えば突然に身を起こし部屋の奥にあった扉に向けて怒鳴る。
どうやら本命、用心棒のお出ましらしい。
銀色お嬢様がワクテカして見守っていると、ゆっくり扉を開けて入ってくるシルエットが一つ。
「……ほう、久方ぶりに呼ばれたので何事かと思って来てみれば、幼き童が二人とは。俺を舐めて――、いや、そうでもないか」
それは筋骨隆々とした男だった。
年齢は三十路の頃だろうか。厳めしい面構えで衣服を身につけていない上半身には肩と胸を保護する軽鎧が据え付けられ、下半身にはズボンを履いている。
全身からビシバシと溢れ出る気勢。
ルナの後ろで紅髪娘が唾を飲む気配があった。
男は少女二人から雇い主を守る格好になって、ゆえに憤慨して男を睨み付けたが、しかし豚野郎が血塗れの息絶え絶えになっている様相からすぐに何かを察知したようで口端を吊り上げる。
進み出てきた山の如き大男は、ルナを獲物として捕捉していた。
「我が名は鷗外、グラド流闘術の使い手なり。小娘、貴様の名を聞こうか」
威風堂々とした名乗りを上げる。
そうなればルナだって黙っているわけにはいかない。
一歩進み出て、腕組みして仁王立ちした格好でその可憐極まる音色を紡ぐ。
「私はルナ、桜心流氣術を極めし者」
「ほう、桜心流……そうか、絶えていなかったか」
「どういう事かしら?」
興味本位で聞いてみる娘さん。
男は「フッ」笑んで語る。
「かつて大陸に聖拳六派あり。東雲、白鳳、封魔、光帝、マキナ、そして桜心。然れど神を打倒せんと挑みし兵どもも今は無く、その術もまた継承が絶えて久しいと聞く。
――小娘よ、貴様のその風体を見るに戯れ言と断じたい所ではあるが、だが聖拳の名を告げた以上は我も本気で掛からねばならぬ。我が拳を以て真偽を確かめようぞ!」
朗々謳う男。
(聖拳六派!? なにそれ格好いい!!)
対する少女は澄ました顔で、けれど内心だとキャッキャしていたり。
男は両方の拳を握ると、まだ幼くも小さき肢体に向けて構えを執った。
「アリサ、下がってなさい」
「は、はぃ」
後ろで緊張から拳を握り唾を飲む紅髪に指示して、ルナもまた構えを執る。
男の輪郭から闘気が溢れ出した。
ルナの全身からも恐ろしいまでの氣が立ち昇る。
「そうね、あなたは悪鬼といったところかしら。戦いに飢えた鬼。けれど、鬼では修羅は倒せない。あなたが今やっている事など、私はとっくの昔にくぐっている。ならば鬼よ、哀れな餓鬼よ。神を屠るために編み出した氣術の神髄を、とくとご覧なさい」
二人の身から放たれる気勢が更に増す。
バチリと両者の間で光が弾けたかに思われた。
「シッ!」
「ぬりゃあっ!!」
ドゴンッ!!!
一瞬のことだった。
双方の姿が消えたかと思えばフロアの中央に互いの拳をぶつけ合う大男と少女が出現する。
轟音と共に陥没しすり鉢状になった石床。
そこには男も女もなく、年齢の差さえ存在しない。
ただ強さのみを求め喰らい合う二匹の獣が在るだけだった。




