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001:一つの死と、一つの始まり。


「――」


 枕元で誰かに呼びかけられたような気がして老人は薄ら目を開ける。

 もう何十年も見続けた天井。

 蝋燭の淡い光が微かながら梁に影を付けている。

 老人はこれまでの己が人生を振り返って、つい自嘲の笑みを零していた。


(ああ、わしは確かに良い縁に恵まれていた。じゃが、ついぞそれに気付くことができなんだ。なんと愚かな男なのか)


 後悔しきりの人生。

 けれど、よくよく考えてみれば、全体的にはそれほど悪くない筈だった。


 若かりし頃は“氣術”と呼ばれる、拳法よりは世に言う魔法に近い武術の習得に明け暮れ、極めたと思い武者修行の旅に出たのは三十路も半ばの頃合い。

 それから世界各地を巡り、仲間達と出会い、華々しい冒険の果てに魔王を討伐、帰郷の途に就いた。


 その後は“桜心流おうしんりゅう氣術”の開祖として道場を立ち上げ、今では門下生400名の大所帯となっている。


 道場は大きくなったし、流派を修めた生徒達は世界中に飛び立っていずれも第一線で活躍していると聞く。

 しかし、とも思う。

 老師である筈の自分が老衰により床に伏せ、もうじき天寿を全うしようかという時に、誰一人として顔を見せに来ないじゃあないか。


 かつての仲間達との絆を大切にしなかったから。

 友情も愛情も、義理も人情も、せっかく結んだ縁を下らないものと一笑し捨ててしまったから。

 だから今、自分は布団の中で独りぼっちなのだと不意に気付いた。

 一体どこで間違えたというのか。幾ら考えても答えは出ない。


(あぁ、もしも生まれ変わることがあったなら、今度こそは人との縁を、繋がりを、関わり合いを、友人達を、家族を、絆を大切にしよう。こうして老いて朽ち果てようかという時に孤独に苛まれながらなんて事にならないように……。最後の楽しかった記憶が何十年も昔の話だなんて事にならないよう、己が生きる一瞬一瞬を大切にしよう……、寂しいのはイヤじゃ……)


 もうじき命の灯火が立ち消えようかといった頃合い。

 昏くて静かな部屋の中、老人の目に涙が浮いた。

 布団から出した我が腕は枯れ木の枝のように細く、かつてあった隆盛の痕跡など微塵も見当たらない。


「ああ……、儂の人生は、ここまでか……」


 たった一人きり、数多の門下生に看取られることも無ければ、娶った妻や子に囲まれることもなく、老人は孤独から逃げるように瞼を閉じ、そのまま息を引き取った。



◆ ◆ ◆


 ――目を覚ますと視界の果てまで続く青空と地表を覆い尽くす大草原。

 太陽は見当たらず、振り返ればやたらと幅の広い川が流れているのを見つける。


 いわゆる三途の川。


 そう直感しながらも、ぼんやりと雄大な川の流るる様を眺める。

 やがて川の向こうから一艘の小舟がやって来る。

 男は立ち上がり、そちらへと歩いて行く。

 ふと川の水面を覗き込めば、老人であった筈の顔形はなく、代わりに十代後半といった若々しい面構えが映り込んでいた。


 普通に考えれば流れている川の表面が鏡面の如く男の顔を映し出すなど有り得ない事象なのだが、やはり三途の川ともなると物理法則なんて無視なのだろうと納得してみる。


「お客さん、乗っていきやすかい?」


 小舟の櫓を漕ぐほっかむりした男がぶっきらぼうに問う。

 なので男は「ああ、頼む」と返して船に乗り込もうとした。


「お客さん、先にお代を頂けますかい?」


「……なに?」


 男の動きが止まった。


「何って、川を渡すにゃ六文銭。無賃乗船は認められませんなぁ」


「いや、ちょ、これって三途の川じゃあないのか」


「あい、そうでさ」


「ならば死者の霊を向こう岸に送るのがお前の役割じゃないのか?」


「知りまへん。世のなかぜにでっせ。銭のないヤツぁ泳いで渡るしかありまへん」


 何やら雲行きが怪しくなってきた。

 男は焦り半分に懐を探る。しかし金銭の類は何一つ持ち合わせていないことが露見するだけだった。


「いや、申し訳ないが持ち合わせが無い。なので前借りという形で乗せて貰えないだろうか?」


「そない言うてトンズラかましはるお客さん、よう居てますねん」


 渋みのある声がどんどんと商売人じみた口調になってくる。

 背筋に嫌な予感が走った。

 全身に汗が噴き出すのを感じた。


「まっ、お銭々(じぇじぇ)が無い言わはるなら、ここまでですわ。ほなさいなら」


「ちょ、まっ、待て、待ってくれ! 行かないでくれ!!」


 男の引き留めようとする声を完全に無視して、船は向きを変えそのまま川の反対側へと戻っていった。


「おい……マジか……」


 呆然と去りゆく後ろ姿を見つめつつ、男は膝から崩れ落ちがっくりと頭を垂れた。

 だが突然に起き上がるなりヤル気に充ち満ちた顔で怒鳴る。


「いや、何を弱気になってんだわしは! 儂はその人生の全てを氣術に捧げた男ぞ! ならば川の一つや二つ、己が足で飛び越えられぬなど有り得ぬ!」


 ――氣術、武空翔!


 腹の下、胆田にて氣を練りわざを発動させる。

 すると男の体躯がフワリと浮かび上がった。


「くっくっく! ぬかったな船頭め。よもや儂が氣術の達人であるとは知るまいて!」


 清々しいまでのドヤ顔だった。

 男はそれから川をひとっ飛びせんと空中遊泳。

 順調にいけばあと少しで遙か彼方に見える岸辺に到着する筈だった。


『ズルはあきまへん』


 なのに。嗚呼、それなのに。

 如何にも軽薄そうな声が響き渡ったかと思えば川の表面から無数の腕が浮かび上がって空中の男を捕まえようと伸びてくるじゃあないか。

 男は焦り半分ながら小刻みに舵を左右に切って無数の手を掻い潜る。


「そんなもので!! 魔王とも渡り合った儂を、無礼ナメるなあぁ!!」


 男は咆吼し、一気に加速する。

 しかし顔を上げた瞬間に絶望の表情を浮かべた。


「そりゃねえよ……」


 眼前に幅が数キロかとも思われる掌が出現し、そこから数千或いは数万という夥しい数の腕が伸びてきたじゃあないか。

 逃げる隙間の全く見当たらない手の牢屋に囚われ、そのまま真下にドボン。

 水深何メートルなのかも分からない水の底へと引きずり込まれてしまった。


「がぼぼぼっ!!」


 溺れて息ができない。

 呼吸しようと藻掻いても水を飲まされるだけ。

 ああ、これもう死んだわ。

 と思った。

 既に死んでいる身である事など露程も思い浮かばなかった。

 苦しい、苦しい、苦しい……!


 男は助かりたい一心で手を伸ばした。




「おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ!!」


 意識が遠退いていく中で赤ん坊の泣く声を聞いた。


「奥様、可愛らしい女の子ですよ」


 誰かが告げている。

 知らない間に周囲は真っ暗で、慌てて瞼を開ける。

 すると視界いっぱいに光が差した。


「ああ、私の娘……名前はルナと名付けましょう」


 別の誰かの声がして目を向ける。

 すると見たことも無いほど綺麗な女が疲れ切った、けれど誇らしげな顔でこちらを見つめている。


(あ、わし、生まれ変わってもうた……)


 不意に理解した。

 理解したので、というワケでもないが、目の前に差し出された乳房に吸い付いて母乳を啜る。

 子が母の乳を飲む光景。

 これはどちらかと言えば生物としての本能に根ざした行動なんだな、なんて現実逃避気味に思った。



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[一言] 泳いで渡ろうが飛んで渡ろうが自力なのは変わりないのに、心の狭い船頭だな
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