恐るべき辺境伯は孔明な罠と従者
ダーレンの婚約者の名前は、ヴェリカ・イスタージュ。
そして彼女とダーレンは婚約しているが、ヴェリカはダーレンとは全く面識が無い、という訳の分からないことを聞いてレティシアは混乱している。
ドラゴネシア伯爵家の中庭にて、当主の婚約どころか婚姻を祝う披露宴会場が早朝から設営されているのだから尚更だ。
「それで、ダーレンはヴェリカ様を奪還しにいらっしゃった?ええ?そんな大事にどうしてあなたがここにいるの?」
レティシアは室内の窓から中庭の状況を眺めながら、その状況を監督しているダーレンの従者に尋ねていた。
彼はリカエル・アークノイド。
焦げ茶色の髪にエメラルドグリーンの瞳をした、ドラゴネシア一族の人でありながらドラゴネシア一族にはない貴公子的な外見を持った人である。
そして彼はダーレンの従者であるが領地も爵位もある男爵様だ。
しかし彼は自分の領地に戻ることなく、ダーレンに常に付き従う。
それは自領がどうでも良いのではない。
ドラゴネシアの広大な領地の中にあるアークノイド家の領地ならば、ドラゴネシア当主が最終的に管轄するものとして一緒に管理できる。また、アークノイド家当主がドラゴネシア当主の側近を務めることこそ家業であるので、リカエルが家業を継いだことでドラゴネシア侯爵領の経営管理まで引き受けている、ということになる。
ちなみにドラゴネシアの通例として、息子が成人した途端に父親が当主を引退する。息子達である当主達はさっさと責任を放り投げた父親の面倒も見なければならないので、ドラゴネシア一族のどの世代も絆が深く仲が良い。
ダーレンの父親も例にたがわず引退したが、リカエルの父と違って引退した半年後に流感に罹ってあっさりなくなるとは誰も思わなかった、とレティシアはリカエルに労いの視線を向ける。
今でも元気なリカエルの父は、引退した後も引退仲間と一緒に改造羊競争や改造大砲造りをして、領地を毎日大騒ぎさせていると聞くのだ。ダーレンの父も生きていればその騒ぎの中心になっているに違いない。
ちなみにレティシアの父も引退したがっているが、最近生まれた孫の可愛らしさや、レティシアの双子の兄達のどちらも継ぎたがらない事で、伯爵位を譲渡できずにいる。
「うちの大将がドラゴネシアそのものだからかな」
「どういうこと?」
「ドラゴネシアはこの国、クラヴィスの臣民じゃ無かったのは知っているだろ?ドラゴネシアはいつだってドラゴネシア。自分達の土地を守っていただけだ。それが自分達の国の要にもなると、クラヴィスの王に請われて嫌々ながらクラヴィスの守り手となった。クラヴィスはドラゴネシアを懐柔するために、爵位の大安売りだ。領地はもともとのドラゴネシアのものから増えてはいないのにね」
「それとあなた方を連れずに出かけたダーレンの行動がどう関係するの?」
リカエルはレティシアに向けて、左目で軽くウィンクした。
レティシアはリカエルのそれが誘惑どころか単なるおふざけとわかっているが、リカエルがドラゴネシアの男達の誰よりも顔立ちが整っている為に、胸が少しだけどきんと鳴った。
ドラゴネシア一族の特徴は、金髪に近い明るい茶色の髪色である。
そこにリカエルの焦げ茶色の髪は印象深く、またその髪色によって母親似の柔和な顔立ちを際立たせている。
つまりリカエルは、ドラゴネシア一族にはいない美形なのだ。
リカエルはその風貌の為に、ドラゴネシアの男達に、ドラゴネシア唯一の貴公子、などと揶揄われている。
「クラヴィスはドラゴネシアを一度くらい泡を吹かせたいのさ」
「国の要の私達を?」
「ああ。砦がほんの少し奪われても、ドラゴネシアだったら絶対に取り戻せるだろうし、百年かけようがドラゴネシアは奪い返す。だがその間にはドラゴネシアの力は削がれ、俺達はクラヴィスの王に額を床に擦り付けて取り立てて下さいとお願いしなきゃいけなことになるかもしれない」
「だから、ダーレンが?」
「ああ。王様のお気に入りのお人形兵隊を連れて遠足だ。彼らも人形でいることにうんざりしているからね、きっと今日を限りに怒らせたら危険な人達になってしまうだろう。そして王は知るのさ。ダーレンに心酔した奴らが、ダーレンを守るために自分達の喉元に剣を突きつけるかも、と」
「まさか」
「王にだって屈しない。それがドラゴネシアだ」
リカエルはニヤリと笑った。
しかしその笑いは、レティシアには泣き顔に見えた。
「リカエル?」
「ハハハ。ダーレンは、俺達の兄貴は最高だよ。人生には無駄が無いってね。ヴェリカという最高の女に出会えるまでの道筋でしかなかった、とさ。五年前の彼の結婚相手のはずだったリイナ・ハレーシアと結婚してなくて良かった。だから、ああ、だから、俺を俺から解放してやれって叱られた」
ダーレンの顔の怪我は、初陣だったリカエルを庇った時についたものだ。
ドラゴネシアの誰もリカエルを責めたりはしなかったが、レティシアどころか誰の目にもリカエルが自分を責め続けているのは分かっていた。
レティシアはリカエルを慰めるようにして、そっと彼の肩に手を乗せた。
「――罰を欲しがるお前のせいで、四爺と常に集団行動だ。そこはしっかり反省しろってさ」
レティシアは中庭を見返し、使用人達が必死に会場設営しているその場で、好き勝手に自分達だけで宴会を先に始めている父親世代がいることを知った。
「ごめんなさい。私の父もいるから五爺ね」
「いいよ。君のお父さんは君の家に残していける。俺を思いやってくれるなら、四爺をこのまま君の家に残してドラゴネシアに帰っていいかな?」
「そんな事をしたら、お父様も四爺につけて送り返すわよ?」
リカエルは、それはご免だと笑った。
それから思いかけないセリフも言い放った。
「ダーレンはギランをつけて君に送り付け直しそうだけどね」
「え?」
「ハハハ。あの美人。ダーレンにぞっこんなんだよ。ヒヨコみたいにダーレンについて回っているんだ。それでダーレンは、今日の大暴れでギランが投獄されたらすっきりするかなって」
「まあ!なんてひどい」