ジュリアーノ・ギラン
謹慎は一週間で解かれた。
団長職は失ったままだが、ギランには問題が無い。
騎士団長ともなれば部下に奢ったりなどの出費もかなりあり、後ろ盾のないギランにはその出費がかなり痛かったのである。
彼に貢ぎたがる貴婦人達が多くいるが、彼の性格上女性から金銭を引きだすことはできないどころか、好きでもない女性との逢瀬など考えるだけ反吐が出る。
また、肩書きの無い今では、積極的にパーティで相手をしたくもない貴婦人達の相手をする必要もなく、一人寂しく王宮の庭の隅で黄昏ていられる。
よって平兵士に落とされた今は、彼は気が楽になったと喜ばしいばかりなのだ。
「あとは用無しって、陛下からの寵愛が消えるのを待つだけか」
ギランは近衛に選抜された十五の年に、クラヴィス王に初めて謁見が許された。
その時に王がギランに向けた笑顔は、私生児だった彼の心を掴むどころか、王を自分が思い描いていた理想の父と思い違いしてしまう程優しいものだった。
ギランは一瞬で王へ強い忠誠心を抱き、彼は王の為にと職務に励んだ。
王こそ彼のひたむきさを評価したのか、気が付けば彼は後ろ盾が無かろうが団長という異例の出世を遂げていたのだ。
「だがしょせん人形か。傷が付いたらお払い箱だ」
ギランは大きく息を吐く。
白い靄が彼の美しい顔を一瞬だけぼやけさせた。
外は吐く息さえ白くなる温度であるが、ダンスホールでは肩を出したドレスを着た女達と恋をする事しか考えられない極楽鳥のような男達が笑いさざめく。
ギランはまるで自分自身みたいだと、さらに息を吐く。
華やかな上っ面だけの虚しい人生の男。
空っぽの自分が吐けるのは、白い息しかない。
ドラゴネシアの咆哮など決して上げることなど出来ないのだ。
「お疲れ」
ギランは気配もなく隣に座って来た男に本気で驚き、座っていた大理石像の台座から転げ落ちかけた。
だが、落ちなかった。
ギランの隣に座って来た男が、彼の腕を掴んで引き戻してくれたからだ。
「なぜ君がここに?」
「普通はありがとうでしょ」
焦げ茶色の髪をしたドラゴネシアの貴公子は、ドラゴネシアとは違う風貌ながら、ドラゴネシアの始祖に一番近いエメラルドグリーンの瞳を煌かす。
「ありがとう」
「素直か。そんなんだからドラゴネシアの男になれないんだよ。いいか?ドラゴネシアの男は、自分が間違っていても絶対に謝らない。謝っちゃいけないんだ」
「君は意外と謝っている気がするけどな」
「俺はドラゴネシアである前に常識人でいたいからな」
ドラゴネシアの化け物馬車の側面にダーレンに押し付けられたギランだったが、その場に乱入してきたリカエルによって引っ張り出されて最後通牒を突きつけられたのだと思い出す。
レティシアにちょっかいを出してみろ?殺すぞ。
「常識人?」
「常識人でしょう。こんな穴だらけの警備、俺はいくらでも入り込める。それをさ、俺はちゃんと招待状を持ってる奴を誑し込んで入って来たからね」
「常識人か?それで、リカエル殿は何が目的でパーティに潜り込んだのですか?」
「え?君と話すためでしょう?俺もね、行き詰ってんの。俺は男爵で金はそれなりにある。爵位があっても男爵だぞ。気兼ねなく嫁げる相手だと思うだろ?」
「何も無い俺に対する皮肉か?」
「そこだよ。同じこと言うんだな。あいつは。俺に見合わないので別を探してください。あなたの気持とあなたとの一夜の思い出を頂きましたから、どうぞこのままお捨ておきください」
リカエルは女性がするように胸に手を当て、彼を振ったという女性の台詞をギランに言って見せたが、ギランはリカエルに同情心など湧かなかった。
同じじゃないと殴りたい気持ちこそ湧いた。
ギランはリカエルの横やりによって、ほんの数時間のピクニックを邪魔をされた挙句に愛するレティシアに軽いキスも出来なかったのである。
「――子供が出来ていれば結婚できるんじゃ無いのか?」
リカエルは両手で頭を抱え、ちくしょう、と罵りの声をあげた。
ギランは、一夜の相手が妊娠していなかったと知って嘆く男は珍しいと、リカエルに対して好意的な気持ちばかりとなった。
「自分で育てるから心配するな、ときた」
「え?妊娠していたのか?」
「まだわからない。大体、したのはあのパーティの夜だ。面倒な女を自宅に送って、さらに面倒な女の様子見を頼まれて、俺はその面倒な女が抱える面倒に巻き込まれて徹夜状態だったんだよ。俺は彼女に責任は取ると伝えたのに、彼女は、あいつは、互いに大人なのだから忘れましょうと。生まれも悪く何も持っていない私があなたの妻になどなれません。ではごきげんよう」
リカエルはゆっくりと顔をあげ、ギランを睨みつけて来た。
ギランはその視線を受け止めながら、リカエルがひたすら自分を攻撃してきた理由が見えたと思った。
「俺は君の彼女とは違う」
「同じだよ。自分が傷つきたく無くて自己完結してる馬鹿だよ。レティシアは従兄妹の中で唯一火起こしができる。真面目で忍耐強い性格だからな。時間がかかるあれをやり遂げられるんだよ。そして俺は火起こしが出来ないが、野営飯は作れる。意味わかるか?俺だってガキや女房に飯を作ってやれるんだよ」
「リカエル?」
「わかっているのか?騎士として死地を求めるのは勝手だがな、考えてくれよ。ドラゴネシアで戦死が出たら、その戦死を誰が家族に伝えに行くんだ?俺もダーレンもレティシアにお前が死んだ報を伝えに行きたくは無いよ」
「わる、悪かった。すまない」
ギランは右手で自分の両目を塞ぐ。
それで彼の涙が止まることなど無いが、彼はそれで良かったと思った。
彼の体は同じぐらいの大きさの男に抱き寄せられ、恐らくリカエルが今まで従兄にされたようにしてギランの背中を軽く叩いてくれたのだ。
「俺はお前が嫌いだよ。突然現れて、ダーレンの信頼を奪いやがった。それでわかったよ、俺は過去の過ちを気にするばかりでダーレンの従者になってたってな。そのせいでダーレンが俺を見る目は出来の悪い弟だ。俺の本当の望みは、親父と前当主様のような間柄にダーレンとなることだった。あいつが俺に期待できないって、俺を切るわけだよ」
「――それは違う!!きっと彼女も君を愛しているはずだ。君はレティシアと似ている。彼女はあんなにも素晴らしいのに、自分についての評価が低い」
「それじゃあ、あいつが自信満々のドラゴネシアの女だったら、お前はあいつに結婚を望むか?俺達がお前を認めないのは、レティシアを略奪する覇気が無い腰抜けだからだ。初陣で死んじまう、英雄志願の馬鹿者だからだよ」
ギランはリカエルの肩から顔をあげ、リカエルの顔を見返した。
リカエルは真っ直ぐにギランを見つめ、ギランの言葉が彼の命綱になるかのようにして待っている。
「俺で、いいのか?」
「ドラゴネシアの歴史を調べろ。クラヴィスから爵位を色々貰っているが、俺達の領土は、俺達が開墾して略奪してきたものばかりなんだよ。何でもできるお前こそがドラゴネシアの宝となる」
ギランはリカエルを強く抱き締めた。
リカエルもギランを抱き締め返す。
「言えよ」
「俺を、ドラゴネシアにしてください」
「団長!!裏切るんですか!!」
リカエルとギランは同時にパッと離れ、でかい図体の癖に甲高い声で余計な叫び声をあげた近衛兵を視線だけで殺せる勢いで睨んだ。
ギランが団長だった時にはギランの副官をし、ギランが役職を解任された後もギランを団長と呼んで慕っているコズモ・セニリスは、二人の視線などお構いなしに再び叫ぶ。
セニリスの叫んだ内容は、ギランとリカエルの頭を真っ白にするだけである。
「ドラゴネシアが攻めてきました!!甲冑姿でパーティ会場に乗り込んできています!!」