私の行く先はぺんぺん草が広がる荒野で、あなたは花畑の中で餓死
手芸店で買い物が済んだ後は、叔母達によってレティシアとヴェリカは砦へと連れ帰られた。レティシア達二人のもう一つの町に出た目的、ヤギミルクケーキを楽しんでの茶話会は、結果としてお流れである。
では砦の領主館で叔母達と茶会をしているのかと言えばそうでもない。
叔母達はダーレンに、ヴェリカの為に今夜は晩餐会をすると宣言し、領主館の厨房へと籠ってしまわれたのである。
本来ならば花嫁がドラゴネシアに到着したその日に晩餐会をして花嫁に歓迎を示す習わしであるのに、彼女達はヴェリカに抱いた反発心のまま何もしていなかった。
その罪滅ぼしで、やり直し、を望んでのことなのだろう。
ならば彼女達のやりたいようにさせてあげることこそ、ヴェリカが領主夫人としてドラゴネシアに受け入れられ誉れになったという証となる。
ただし、張り切り過ぎの叔母達に結局仲間外れな格好となったレティシアとヴェリカは、晩餐会までの手持ち無沙汰な時間を刺繍をして過ごすことにした。
大昔はイグサが敷かれてた領主館の広間は、今や冷たい石床には絨毯が敷き詰められている。しかし大きな暖炉は大昔と変わらないまま今も住人を温めている。
しかし、ここでレティシアは戸惑った。
暖炉から暖を取るように置かれている家具は歴史のある高級品だが、レティシアが今まで見た事など無いドラゴネシアには無かったものだからだ。
あのお化け馬車を引っ張り出したのは、壊したイスタージュ伯爵内にあった家具を盗み出してドラゴネシアに運び入れる為だったのね。
レティシアはダーレンが本気で略奪者だったと黄昏るしかない。
だがそれも一瞬だった。
元イスタージュ家の歴史ある長椅子は優美な姿だけでなく座り心地も最上のもので、いつまでも座っていられる上に座った人を美しく演出するという素晴らしきものだったのだ。
レティシアは隣に座るヴェリカの横顔を見て、なんて美しいと溜息を吐く。
刺繍枠に張ったハンカチに刺繍針を一生懸命刺しているヴェリカのその表情は、美しい大人の女性どころか子供そのものの真剣な顔つきでしかないのに。
レティシアがヴェリカを眺めていると、ちくちくちくちく、と針が進むごとにヴェリカは唇を尖らせて不貞腐れた顔つきとなって行く。
どうしたの?
レティシアが隣に座るヴェリカの手元を盗み見ると、ヴェリカが不機嫌そうな顔つきになっている理由が一瞬でわかった。
それどころかレティシアは、一緒に刺繍をする相手がヴェリカで良かったと失礼にも思ったのである。
ヴェリカの刺繍は緑色の何かで、恐らくドラゴンなのだろうけれど、ドラゴンにはなり得ない何かにしかなっていない。
レティシアこそ自分の刺繍が自分の意図したものと遠く違っているからか、同じぐらい稚拙な刺繍しか出来ないヴェリカへの好感度が増すばかりである。
「レティシアは刺繍が上手ね。柘榴は多産の象徴、素敵だわ」
「愛の象徴の赤い薔薇です」
「ご、ごめんなさい」
「いいのよ。言われてみれば柘榴の方が似ているかも。柘榴の葉っぱってどんな形だったかしら?」
ヴェリカはニヤリと子供っぽく微笑むと、自分の製作途中のハンカチが貼られている刺繍枠を持ち上げた。
「レティシア。ドラゴンの羽ってどんな形かしら?それよりも、どうしたらこの子がドラゴンになれるかしら?馬に踏まれた緑のねずみにしか見えないの」
二人は顔を合わせ、同時にぷっと吹き出す。
「刺繍の才能が無いって知るばかりだったら、二人だけでヤギミルクケーキを食べに行けば良かったわね」
「今日はあなたが叔母達に囲まれている姿を領地の人達に見せつけられた事を喜ぶべきよ。これでドラゴネシアであなたに何かを言う人はいない」
「リイナ以外はね。止め刺す前に逃げちゃって消化不良って感じ」
「止め?ヴェリカ様?」
「簡単な事よ。ダーレンの妻の座は私のもの。でも、ダーレンの息子の妻の座はこれから生まれるのよ。リイナに娘がいれば再戦のチャンスとなる。ただし、子供の親である私に気に入られなければその座も可能性が無いわね。それをしっかりわからせて二度と逆らわないように跪かせてやろうと思ったの」
レティシアはリイナが逃げてくれて良かったと思ったが、そこでヴェリカが自分の魅力で他人を操ろうとしない事に気が付いて不思議に思った。
ヴェリカは誰に対しても利を得られる、あるいは失う可能性の提案をしてくる。
しかし彼女が提案する利点は、魅力的な彼女の友人になることではなく、彼女が提案できる情報や物になるのである。
綺麗なあなた、あなたを素晴らしくするドレスデザイナーを紹介するわ。
そうなのか、とレティシアは初めて思い付いた。
ヴェリカこそ自分に自信が無い、と。
レティシアはヴェリカが亡くなった両親から愛されていたことは確信している。
ならばと、レティシアは思い付いた。
彼女は、彼女を虐げていた叔父については、実は期待していたのではなかったのか、と。
もしかしたら彼女も自分と同じ考え方をしてしまったのかもしれない。
素の私が愛されるはずはない。
「ねえ、ヴェリカ。親同士に上下関係があると、あの、子供の成育とか人間関係とかが歪むと思うの。ドラゴネシアの親族は爵位があろうがなかろうが適当でしょ?キースやガムランの子供とあなたの子供が取っ組み合いの喧嘩をしたり、一緒に泥だらけになって遊べなくなるのは悲しくないかしら」
「そうね。あなたの言う通りだわ。ダーレンが私達が友達で良かったと言った通りだわ。私一人では勝ち続けるけれど、勝ち続けなきゃいけない戦が続く。レティシア一人では争いは起こらないけれど、そこはレティシアの我慢という犠牲の上にある。二人一緒だったら、どちらも無理が無くなって平和ばかりって」
レティシアはダーレンの自分への評価について胸が温かくなった。
君に頼むな。
ダーレンのあの言葉は、私に自信を持たせる目的そのものだったのね。
あの言葉に応えるには私は嫌でも動かなければいけなくなる。
自分が我慢する余裕さえも許されない。
「我慢し過ぎよ。レティシア。あなたはもっと我儘で良いと思う」
「我儘よ。王都にいるのが辛くて、新婚のあなたの邪魔になるだろうに、あなたに慰めて欲しくて勝手に来ちゃったわ」
「頼られたのは嬉しいばかり。そこは気にしないで。でもね、好きになった男性にあなたはどうして我慢するの?私は我慢しないわよ。だって、私のこんなへたくそな刺繍でも喜んで受け入れてくれるってわかるから。だから、私が我慢してしまった方が彼が辛くなってしまうかなって思うから。ねえ、レティシア。あなたのギランは刺繍がヘタだと淑女の嗜みも無いって嘲ったりする人かしら?」
ヴェリカはレティシアの針を持つ手の甲に自分の右手の指先をそっと添える。
「あなたのギランはあなたのハンカチにどんな反応を示すと思って?」
レティシアの瞼の奥が熱くなる。
涙がぶわっと溢れ出し、ギランに渡すはずのハンカチを握りしめていた。
何も無いと言うばかりの男はどれほど喜ぶだろう。
彼こそ愛を欲しがっていたのだ。
「あした、王都に帰ります。でも、駆け落ち婚をするかもしれないし、あなたのデビューとなるお祭りには参加したいから、すぐに戻るわ」
ヴェリカはにっこりと笑い、応援するわ、と言った。
しかし翌日、ダーレンこそ王都に行くと聞いた彼女は、私も行きたい、と子供のように我儘を大声で叫んでダーレンを困らせた。