状況の打開策を戦略家に乞うならば、砦行き
ドラゴネシア設定回です。午後に次話投稿します。
ドラゴネシアの本拠地について、ドラゴネシアの人間は単に砦としか呼ばない。
クラヴィスの南部の端に位置するドラゴネシアは、広い耕作地や村や町を守るようにして山脈に添うように城壁を作り上げ、いつでも出撃できるように大砲を幾砲も備えた城まで建てているのだ。
レティシアは久しぶりの砦を眺め、どう見ても要塞でしかない平和的な外観の無い領地だな、と改めて思った。
冬前で刈り入れが終わったそば畑に、落ちた種から生えてしまったそばがそこかしこにあるせいで、放棄された農地が広がるばかりに見えるのだろうか。
レティシアは寂れたドラゴネシアの風景を眺めながら、もしかしたこれこそドラゴネシアによるクラヴィスへの心理的作戦なのかとハタと思い付いた。
ドラゴネシアは乾燥した寒冷地であるので何も育たないと誤解されがちだが、そばなど小麦以外の作物の栽培は可能なため自給自足はしていける。しかし、歴代のドラゴネシアの当主は、当たり前のようにしてクラヴィス王に戦費で大変だと訴え、小麦を補給物資として無償で手に入れているのだ。
ジサイエル国が侵攻して来るのは、クラヴィスがドラゴネシアの重要性を毎年思い出させる季節行事ともなっている。
もしかしたら、ドラゴネシアとジサイエル国王の間には密約でもあるのかしら。
レティシアはそう急に思い立ったのである。
だがすぐに彼女は違うと溜息を吐く。
今年の侵攻は例年と違っていた。
通年の小競り合いならば終わった後の報告を聞くだけだが、今回は父と兄達まで砦に召集されたのである。
戻って来た父と兄達の感想は、もう少しで砦が落とされるところだった、だ。
「うわあ、五爺にようやく参入ですか?ラルフ伯父」
レティシアと彼女の父ラルフ・ドラゴネシア伯爵は足を止め、出迎えて来た城代のキース・ドラゴネシアに振り向いた。
金に近い薄茶色の髪に春の若葉色の瞳。
そして背が高いレティシアさえも見上げねばならない巨大な肉体である。
レティシアはキースを見上げながら、彼もドラゴネシアの見本のような男であるなとしみじみ思った。
さて、ドラゴネシアそのものの外見のキースの父も四爺となっており、リカエルに四爺を押しつけるのは常にキースである。
ボーネスの息子ベイラムとギャランの息子ガムランは、引退した父親と同じく兵団長をしている。よって彼等は砦内の直接的な兵の訓練や運用を担っているので、誰も彼等に四爺を押しつけない。
どこの世界も兵団長こそ恐れられるものである。
さて、キースも伯爵位を持っており、彼の爵位名はハルメル伯爵である。
ダーレンの曽祖父時代にドラゴネシアに与えられた爵位だが、その爵位を継いでいるキースも彼の父も当の爵位には無頓着だ。
外でドラゴネシアを名乗れないならば外に出ない、と言い張るのがドラゴネシアであるため、ハルメル伯爵位は代々城代を務めているキースの家がしぶしぶ引き受けただけである。
また、ハルメル伯爵位には余計なおまけもあった。
珍しく領地付きだったのだ。
その領地がドラゴネシアから遠い西南にあることから、ドラゴネシアではハルメル伯爵位授与がクラヴィスからの嫌がらせとも考えている。
けれどただでさえ無駄に働き手の人員がいて、難問に打ち勝つことに喜びを見出すドラゴネシアだ。
ハルメル領は、領地経営と遠隔地までの連隊運用の練習地として、ドラゴネシアの若者を送り出す場所として有効活用されている。
クラヴィスから嫌がらせを受けてもドラゴネシアが大きくなるばかりだったのは、ドラゴネシアの難問こそ喜んで引き受けるという性格によるものだろう。
でなければ、頻繁に略奪行為や挑発行為を行う隣国の眼前に、嫌がらせのように砦を築く無謀な判断などしているはずもない。
ちなみに、クラヴィスからの嫌がらせがドラゴネシアに繁栄ばかりをもたらす結果になるからか、最近はドラゴネシアへの爵位授与も褒賞も無くなっている。
こんな老獪な先祖を持つキースが、リカエルを上手に使うのは当たり前だ。
彼は自分がリカエルが心酔するダーレンに外見が一番似ている事を利用し、泣き落としでリカエルを操っているのだ。
「リカエルは俺という障害を乗り越えて初めて一人前になると思う」
過去のキースの台詞を思い返しながらレティシアはうんざりと思った。
今の私にはリカエルこそ障害物だわ。
レティシアはリカエルに忌々しい気持ちを抱いたからか、キースへの挨拶の言葉が生意気でしかないものとなっていた。
「お久しぶりです。キース。せっかくだから父をお渡ししますね。邪魔ならリカエルに押し付けちゃって。私はヴェリカに会えればそれでいいので」
「どうしたの?機嫌が悪いね。お父さんを五爺にしたく無かったのなら、君の兄のどちらかを君の付添いにすれば良かったのに」
レティシアの隣でニヤニヤするばかりのラルフは、ここで口を挟んで来た。
「恋人に蹴りを入れたルーファスに付添いを頼みたく無かったらしいぞ」
「レンフォードもいるじゃないですかって。一人の時はどっちかわからないか」
「お前もか。あんなの名前を呼んで反応したらそっちだろうに」
「あなたこそ実の息子達を見分けて無いじゃ無いですか!!」
「もういいから!!私はヴェリカのいる領主館へ行きますね。案内もいいです」
「いや。案内必要だよ。それで俺がここにいる。当主夫人は、当主の執務室だ。ダーレンがね、リカエルと喧嘩しちゃったから慰める人が必要でね。ほら、ダーレンって、君とリカエルに関しては完全に自分の小さな弟妹感覚だから」
「ほう。ではやはりあれはリカエルか。ベルーガの宿のあたりですれ違った奴がリカエルだよなってレティシアと話していたんだよな。すると喧嘩って、二日前ぐらいか?」
「いいえ。砦に戻っての翌日ですね。四爺が祝砲なんか早朝にぶっぱなすからダーレンが本気で怒ってさ。したらリカエルが、四爺がダーレンの一声で静かになるのは俺を軽んじていたからだって怒っちゃって。それで二日前に家出したの」
「喧嘩してから砦をおん出るまでの五日、何してたんだ?あいつは」
「そりゃ、王都出張の間の砦運用の報告をまとめて、これからの自分不在後のための引継ぎのあれこれ部下に指示してって、丁寧な仕事?それでダーレンが落ち込んでんの。帰って来る気が無いのかなって。どう思います?ラルフは」
「小さな弟だったら、迎えに行ってこのアホンダラって連れ帰れば終わりだろ?」
「そうですね。問題は、ダーレンが慰められる今の環境に耽溺しちゃって。俺もリカエルの気持がわかるな」
「――そうか。俺はリュートたちの所に直行くわ。こいつだけ奴の執務室に連れて行ってくれ」
ラルフはそのまま勝手知ったると四爺達が詰めている砦の部屋へと向かって行き、レティシアはキースに案内されながら執務室へと向かう事になった。
そしてキースが笑顔で執務室の扉を開け放ったその瞬間、執務室内の風景を目にしたレティシアは回れ右して王都に帰るべきか悩んだ。
レティシアが相談相手と求めた相手こそ、巨大で歪な椅子に囚われているという状況なのである。