朝、光り輝く
一夜明けたドラゴネシア伯爵家。
館の前には真っ黒に塗りつぶされた巨大馬車が横づけられていた。
馬車なのに二階建てで、車輪が六輪、馬が六頭。
レティシアは、父親から聞いていたドラゴネシアの地獄戦車を、生きて見る事になるとは思わなかった。これはドラゴネシアが国に追われた時、戦いながら一族で新天地に逃げるためのものである。
「まあ、まあ!!素敵な馬車!!凄いわ、ダーレン!!」
「う、うむ。ヴェリカ」
当たり前だが、ヴェリカは大はしゃぎでダーレンの首にしがみ付いた。
二人の仲の良さは時間が経つごとに深まっているようで、最初は微笑ましく見守っていた人間も今ではうんざりとし始めている。
レティシアはそれは仕方が無いと思った。
ダーレンが妻の名前しか言葉が存在しない人になってしまったようなのだ。
「ヴェリカだったら喜ぶと思ってたよ」
「あら。ダーレンが久しぶりに動詞と述語がある文章を話したわ」
「レティシア。君もヴェリカ病に罹ったね。毒が無かったドラゴネシアの女達が、いまや毒針を持った口が悪い人達になっている」
「酷いわね。そういえばリカエルはヴェリカ様とあまりお話をしていないようだけど、苦手なの?」
「俺が話しかけるとダーレンが焼餅を焼く。あそこまで好かれている癖に、未だに心配みたいだ。小間使いが夜逃げするような怖い人、俺だってごめんなのにね」
「あら?」
レティシアは馬車に荷物を詰め込む使用人の姿を眺めて、そこにレティシアの小間使いだった二人の姿が無いことに気が付いた。彼女達はレティシアに嫌がらせをした事で再就職先が無いとヴェリカに脅され、ヴェリカの辺境行きの使用人となるはずだった。
「夜逃げ、しちゃったの?再就職先もままならないでしょうに」
「何とかなるんじゃないかな。彼女達を斡旋したのは誰かな?」
「あら、まあ」
レティシアは二人の小間使いが、侯爵家のメイドだった人達だったと今さらに思い出していたのだ。
「アランの婚約者だから、誠心誠意尽くしますって」
「アランの愛人だから、君に悪意一杯尽くします、だったのかな。まあ、とりあえず、君はあの糞ったれから自由になったから気にしない」
「そうですの?」
リカエルはニカッと悪戯っ子の笑顔になった。
そしてレティシアに対して折りたたんだ新聞を差し出した。
レティシアがそれを開くと、社交欄に大きくレティシアとアランの婚約破棄の広告が載っていた。
「婚約破棄でドラゴネシアの後ろ立てが消えれば、アランには請求書が回るだろう。グラターナ侯爵家にはあまり金が無い。奴は債務者牢獄行きだ」
「ええと、もしかしてグラターナ侯爵家と話し合いせずに、一方的に破棄の新聞広告を出しちゃったのかしら?」
「話す価値あるのか?あいつらと?」
レティシアはリカエルが鼻で笑ったその表情に、ゾクッと背筋が凍った。
五年前からダーレンに付き従い、その時から全ての戦場にて、それも前線に出て戦ってきている怖い人なのだと思い知った。
彼はレティシアの兄達の二つ下の二十四歳で、同世代の従兄の中では一番下となる人なのだが、レティシアの兄達よりも実戦経験は多いのだ。
「あ、ああの。ダーレンとヴェリカの結婚広告はいつ載せるの?」
「あ、ダーレンとヴェリカの結婚は今日の事件欄になってたからいらないんじゃない。確かに、昨日のあれはクーデターに近いからな」
「ああ!!クーデターって感じだったの?それでギランが降格されてしまったってことなの?って、むぎゅ」
レティシアの口はリカエルの大きな手で塞がれ、リカエルを睨めばリカエルの方が先にレティシアを睨んでいた。
「約束を忘れた?あいつのことは――」
「私の大事なお友達に何をなさっているの?」
「君がダーレンに行った骨抜きでは無いから安心してくれ」
「うふ。ダーレンは骨抜きになどなっていないわ。だって、グラターナ侯爵家の使いの人を馬車に押し付けて凄んでいます」
「うわ。ちょ、ちょっと大将!!」
リカエルはいつものリカエルに戻ってダーレンの現場へと走り去る。
そして残ったレティシアは、あの女性達の会からヴェリカと会話らしいものをしていなかったと思い出し、申し訳なさで頭が下がってしまった。
「顔をあげて。今朝のあなたは素敵だわ。素敵なあなたを鑑賞させて」
レティシアは顔を上げる。
今日のドレスは、昨日セシリアが見せてくれたドレスなのだ。
昨日の大騒ぎの中にこのドレスを着ていたら、私はヴェリカを妬んで不誠実な行動を取らなかったと後悔したほど、今朝の鏡に映る自分は綺麗だった。
「あなたのお陰だわ」
「でも私はあなたに不誠実だった。ドラゴネシアに認められたいばっかりで大はしゃぎをして、あなたとお話をする時間を失ってしまった。あなたは絶対に傷ついていたわ」
レティシアは惨めになった。
友人がいない自分が一人になっていたことに対し、ヴェリカに可哀想だったのねと言われているのだ。
だがレティシアは腐っても伯爵令嬢だ。
グイっと顎を上げて何てことないという笑顔を作った。
「なんとも思っていませんわって、ヴェリカ様!!」
レティシアがなんとも思っていないと口にした途端に、あの誰よりも強いヴェリカが両目から涙をポロポロ零し始めたのだ。
「ごめんなさい。私はお友達とのお茶会は初めてだったの。あなたの心遣いがとっても嬉しかったの。それなのに、あんな汚水を入れられて台無しにされたわ。だから、絶対に許すものかって。ポットに虫を入れたのは私なの」
「知ってる。たぶんそうかなってそこは気が付いていたわ」
「ああごめんなさい。汚水だけなら茶葉が悪くなっていたって言いきれる。でも、虫が入っていれば完全なる故意に出来るからってしちゃったの。でも、あなたが選んでくれた素敵なポットに虫を入れてしまった。大騒ぎしたせいであなたが選んだカップの素晴らしさを堪能できなかった。あなたの気持を台無しにしてしまったの」
レティシアは完全にヴェリカを許していた。
ヴェリカの告白を聞いて気が付いたのだ。
自分達がどちらも不完全すぎる令嬢でしか無いと言う事に。
そこでレティシアはヴェリカを抱き締めた。
「許すわ。でも教えて下さる?虫はいつどこで用意されたの?」
「そんなの。武器に良さそうなものは見つけたら取っておくのよ。生き残るには大事な行動なの。それでね、先にダーレンに相談したらね、もう虫を捕まえなくてもいいよって、素敵な小刀を下さったのよ」
ヴェリカは小刀と言いつつ胸元から銀の鎖を引っ張り出す。
少し大きめのネックレストップは銀細工にガラスの嵌ったルーペにしか見えないが、ヴェリカが指先で何処かを弄ると、カチッと音がして小さな刃が飛び出した。
「素敵でしょう?」
レティシアは、なんて危険なものを危険な人に渡したの、と心の中でダーレンを罵りながらヴェリカに微笑みを向ける。
「あなた方がお似合いで、本当に嬉しいわ。きっとドラゴネシアの砦もあなたに気に入ってもらえると思うわ」
「そうね。愛する人がいればどこだって幸せ。そして愛する人が落ちぶれちゃったら、私が助けてあげられるなら頑張る。あなたも頑張ってね」
ヴェリカはとっても無邪気で幸せそうな微笑みをレティシアに返しながら、ルーペにしか見えない危険物で何かを指した。
レティシアは視線をそこに動かして、あ、と声なき声をあげていた。
憧れる目で馬車を眺める、昨夜と同じ落ちぶれた格好のギランがいたのだ。