友達は夜に語り合うもの
中庭の喧騒は夕方には収まり、夕餉の時間にはドラゴネシアだけによる晩餐会へと移行していた。その頃には伯爵夫人は館内の非常識は全て流すことに決めたようで、食べるものを食べたら頭痛がすると言って自室に戻ってしまった。
この騒ぎの肴でお題目である新婚夫婦の姿こそ晩餐前に消えているので、客人を持て成す担当の女主人が五爺の相手などしたくないと逃げても全く無作法にはならないだろう。
階段のあるホールにぽつんと立つレティシアは、ダーレン夫妻へ用意した部屋の方角方へと目線を向けた。その視線はきっと惨めな程に憧れを求めるものだろうと彼女は気付き、幸せそうな二人を妬むばかりの自分を追い出せたらいいのにと思いながら頭を振った。
「喜ぶべきよ。レティシア。ダーレンがあんなに幸せそうだなんて。そうよ、あんなに溶けちゃった顔になったことこそ喜ぶべきよ」
くす。
ささやかな笑い声に振り返れば、なんと柱の陰にギランがいた。
近衛兵の白い制服姿ではなくシャツにジャケット姿だが、シャツはアイロンも当てていない皺だらけで第二ボタンまで開けているので、酒場帰りのだらしない人に見える。
しかしながら、レティシアはギランに見惚れてしまっていた。
近衛兵姿よりも今の薄汚れた姿の方が魅力的に見えるのはなぜだろうと、彼女は不思議に思いながら。
「近衛兵はお帰りになったとばかり」
「あ、ああ。帰った。それで謹慎処分と降格を受けた報告をね。ハハハ。そんな報告されても困るだろうに。俺には報告相手もいないしで、気が付いたらここにいた。いや、諦める前にひと目だけでもなんて。俺は本当に思いきりが悪い」
「あいつは実家も無い」
リカエルの昼間の台詞がレティシアに浮かび、レティシアは無意識にギランへと駆け寄っていた。
「ダーレンが発つのは明日の八時です。遅くすればするほどダーレンが動きそうも無いからって、リカエルが」
「リカエルが?どうして俺にそれを」
「ダーレンをドラゴネシアに連行する馬車を隠し倉庫に取りに行っているから、あの、リカエルはいないって、あなたに伝えないとと思って」
「リカエルがいない、から?」
ギランは考え込むようにして自分の目元に自分の右手を添えた。
レティシアはギランの所作が、彼がリカエルの不在に落ち込んでしまったからによるものだと思った。
そこで彼女はギランの左手を両手で握った。
淑女が男性にするにはとても行儀が悪いが、友人として慰めたかったのだ。
「そう、友人だわ」
「レティシア?」
「昼間のお話ですけど、デビューしたての頃、あなたにはたくさん慰めて頂いたわ。あなたを友人と思ってもよろしいのですよね」
「友人と思ってくれて光栄だよ」
ギランが返した声は自嘲の響きがあり、それはきっとドラゴネシアの一族になりたいからとレティシアに婚姻を持ちかけようとしたことへの罪悪感なのだろうと、レティシアは思った。
「では、申し上げます。あなたはまだ失恋なんかしていません。まだ、その時期じゃないだけだと思います」
レティシアは思い出す。
ドラゴネシアの秘密兵器とも言える大型馬車を引きだそうとリカエルが伯爵家を出て行ったのは、近衛兵達が王宮へと帰って行った後なのだ。
四爺達に、もっと早く行け、と罵られていたのではなかったのかと、レティシアは思い出し、リカエルこそギランと出来る限り一緒の時間を過ごそうとしていたのだとたった今思い当たったのだ。
ならば、ギランとリカエルの恋は終わってはいない。
「――そうだな。焦ったところでどうにもならないこともある。でもね、夢が叶うような気がした時、人は理性を失ってしまうんだと思う。一生手に入らない幸せだと思ったら、尚更ね」
ギランの手を握るレティシアの両手に力がこもる。
彼女こそ同じ気持ちなのだ。
ダーレンとヴェリカのように愛し愛される結婚はレティシアこそ欲しい夢で、なのに誰にも恋してもらえないレティシアには一生手に入らない。
だからこそ大好きな人達の結婚なのに、レティシアは心の底から祝ってあげることができないのだ。
「ありがとう。だが君は残酷だよ。気持など思いきれる時に思いきれねば辛いだけだ。希望を持たせるなんて拷問に近い」
「わかります。ええ、それだけは分かります。アランへの気持など残ってはいなかったのに、彼が求婚してくれた記憶に縋ってしまいました。あれはとても素敵な思い出だったから」
「レティシア。手を離してくれ」
「あ、ああ。無作法でしたわね」
レティシアは慌ててギランから手を離したが、その瞬間に固い何かに全身を包まれて世界が真っ暗になった。
ギランに抱きしめられているのだ。
リカエルと違う、とレティシアは脅えた。
安心するどころか、心臓が破裂しそうだわ!!
「すまない。ほんの少しだけ夢をみさせてくれ」
「夢?」
「自分を出迎えてくれる人がいる家族の夢だ」
「あいつは実家も無い」
リカエルの言葉がレティシアの脳裏で響く。
なんて寂しい人生なの!!
レティシアはギランの背中に両腕を回し、彼をぎゅうと抱きしめた。
するとギランは、レティシアを抱き締めているその腕に、彼女の骨が折れるぐらいに力を込めて抱き返して来たでは無いか。
レティシアは動けなくなった。
それはギランが彼女を抱く腕が強すぎるからではなく、ギランに抱き返された事で自分自身こそ何をしてしまったのかと固まってしまったのである。
だが心配する事はなく、ギランはすぐにレティシアを解放した。
それはレティシアを抱き締めた時のように突然の解放で、レティシアこそ抱きしめられた時と同じく動けなくなっている。
だから何もギランに言えなかった。
ギランもレティシアに何も言わなかった。
ただ、泣きそうな顔でレティシアに微笑み、そしてすぐに背を向けて去って行ってしまったのだ。
あいつには何も無い。
あいつは初陣で死んでしまう。
「理解しているんだったら、あなたこそギランに寄り添ってあげてよ」
レティシアは両手で自分の顔を覆った。
ギランの孤独が、誰にも求められない自分にはよくわかると、胸が痛んで涙ばかりが零れてしまうからだ




