紹介が必要なのかな?
ドラゴネシア伯爵家の中庭は、場末の酒場同然の喧騒が起きている。
普段は静かな高級住宅街であるはずなのに、ギランが率いる近衛兵団が大声で歓談しながら飲食し、そこにドラゴネシアで若者世代から四爺と呼ばれて嫌がられている引退組が剣の稽古と称して剣の打ち合いを始めたりと大騒ぎだ。
レティシアはその喧騒を眺め、自宅なのに自分の居場所がなくなったと溜息を吐いた。
屋敷の居間には兄の妻達やレイラの友人など女性達が集まり、ヴェリカを囲って歓談している。
ヴェリカはそこで新妻としての心構えなどを既婚女性から指導を仰ぐ、と言う風に振舞うので、話したがりの中年女性は勿論、若い兄嫁達でさえ自分の考えることを発言して和気藹々と盛り上がっていた。
レティシアはそんな女だけの楽しいお茶会が居心地が悪いと感じ、こっそり抜け出して中庭の隅へと逃げてきてしまっている。
「これじゃあ、私が結婚できないのは仕方が無いわね。アランから私への気持が消えたのは仕方が無かったのよ。ヴェリカ様みたいに私は振舞えない」
「見つけた!!」
「きゃあ!!」
石段に座っていたレティシアは、大きく叫んで飛び上った。
そしてすぐに、彼女は自分の心臓を探さなきゃと思った。
ギランが自分を見下ろしているのに、彼女は頭も回らなければ言葉だって全く出てこないのだ。
これは驚きすぎて心臓がどこかに行っちゃったのよ。
ウサギ型のトピアリーの影に隠れていたレティシアを見つけたと喜ぶ人は、凶悪な程に魅力的な男性なのである。
彼の金色の髪は夜会の照明の中で艶やかに煌いて見えたが、太陽光の下では彼自身が太陽神だという風に燦然と輝いている。
そしてレティシアを見つめる瞳は、空よりも透明でとても青い。
どうして神様が私を探しているの?
あ、死んじゃったから?
レティシアは自分の胸に両手を当てる。
絶対に心臓が飛び出て無くなったか止まったかで、自分は絶対に死んでいるはず、と思ったが、手の平は激しすぎる程の鼓動があることを彼女に知らせていた。
「……もしかして、ちゃんと紹介を受けないと俺とは話せないってことかな。昨年は普通に俺達は会話をしていたと思うのだけど、あれは君には俺がパーティのスタッフという認識で、俺達は親交が出来ていないってことだった、かな?」
いいえ。
美貌の国一番の人気騎士が、目立たないどころか不美人で有名な私を覚えていたことこそ驚きよ。親交と言ってしまえるほどに、あなたは私に好印象を抱いてくださっていたの?みっともないピンクドレスの私だったはずよ。
レティシアは頭の中ではギランに答えていた。
だが、頭の中でしか声が出ていなかった。
レティシアが答えないからか、ギランは眉間に皺をよせ、どうしたらよいのかわからなくなった普通の人がするように、自分の頭を右手で掻いた。
「参ったな。今しかチャンスが無いって焦り過ぎたか」
「チャンス?」
ギランの言葉の意味が解らなかった事で、レティシアはようやく声を出すことが出来たが、それは失敗だったと瞬間的に思った。
ギランはぱっと嬉しそうな笑顔になると、レティシアの隣に腰を下ろしたのだ。
親密すぎるわ!!
「どうやら驚かせすぎたみたいだな。リカエルに呆れられてしまうわけだよ。ああっとごめん。近すぎたな」
ギランは少しだけレティシアの横からずれて座り直したが、それでも未婚の淑女と紳士が隣同士に座るには近すぎる距離である。
「あの」
「近衛兵団なんて男ばかりが長いせいか、俺は人との距離が上手く掴めなくなっているらしい。失礼した。リカエルに、男色のケはありませんからって、何度も言われてる。俺を見ると逃げるようになってね、悲しいよ」
レティシアは全身の緊張がほどけた気がした。
自分を美貌の男性が探していたという事実よりも、ドラゴネシアで貴公子と呼ばれる美丈夫なリカエルへ恋心を抱いていると告白される方が、レティシアには受け入れやすかったのである。
両手で押さえていた胸の鼓動は、一気に全部の羽ばたきを失ったが。
「あなたは私に相談事があったのですね」
「そう。急いては事を仕損じると言うが、俺は一度出遅れているからね。今度こそって考えてしまうのだな」
レティシアは唾をごくりと飲んでしまった。
信じられない光景が目の前にあるのだ。
誰もに憧れられているギランが、見るからに自信喪失して肩を落としている。
レティシアはそれで、今回ダーレンが王都に呼び出されたそもそもの理由を思い出した。
隣国ジサイエルの侵攻を撥ね退けたその褒賞の理由だ。
ドラゴネシアが国境線を守り切るのはいつものことだが、そこに王都を守る近衛連隊が援軍に駆け付けたからこそ、国は今回に限り祝賀会だと大騒ぎしているのである。
「援軍なんか期待していなかったが、美人軍団が到着したから驚いたね。ただし、終わった頃に来ても敵はな~んもいないけどな」
リカエルの父リュートがレティシアの父にそう語ったとおり、ギランが到着した時には戦闘はすでに終了していたそうである。
ギランは自分の行動が意味が無かったと思っているのであろう。
レティシアはギランが間に合わなかったと落ち込む理由がそれだと思うと、空回りばかりの情けない自分とギランが重なって見えた。
「間に合いますわよ。リカエルが言ってましたもの。ずらっと並んだ援軍の旗と土埃が立つ風景に、敵が脅えて勝手に敗走してくれたって。あなた方は、ダーレンとリカエルの命、いいえ、ドラゴネシアの砦を守る助け手でしたわ。ちゃんと間に合ってますから、今回だってきっと間に合います」
ギランは両の瞳をキランと輝かせ、それはもう幸せそうに微笑んだ。
「君は本当に思っていた通りの人だ。この上なく公正で優しい」
「そんな」
「それで、君に再会したら伝えたいことが――」
「余計な事は俺の妹分に言わないで欲しいな」
ギランの言葉を遮ったのは、ギランと同じようにトピアリーから飛び出てきたリカエルである。
「余計な事って」
「レティシアはまだ婚約中だ。ついでに言うと、君の目的のためにレティシアを惑わすことは止めて欲しい」
リカエルが自分よりも二つ年上の男性に対してかなり威圧的に振舞う姿に、レティシアはリカエルの一面を初めて見たと思った。
その姿に、四爺やダーレンどころかレティシアの兄達にさえ子供か弟扱いで揶揄われているリカエルであるが、彼が歴戦の戦士だったとも思い出した。
本当はどんな男性にでも高圧的に出られるドラゴネシアの戦士は、長い腕で座っていたレティシアの腕を少々乱暴に掴んで引っ張り立たせる。
「行くぞ」
「リカエル」
リカエルはギランを憎々しい目線で睨みつけ、その視線を追うようにギランに振り返ったレティシアは、胸にきゅっと痛みを感じた。
ギランの表情が、迷子の子供みたいだった、からだ。