公爵令嬢と崖の上の邸宅と消えた王子の花嫁
あら殿下、お久しぶりです。こちら、新鮮なカニになります。何ってご結婚のご祝儀ですよ。正式に式を挙げるときはぜひ私も呼んでくださいね。
えっ? 明日発表のことをどうして知っているのかですか? 私は公爵令嬢でしてよ? そのくらいの情報はすぐに耳に入ってきます。といっても、フィオナさんご本人に直接聞いたのですけどね。
それにしても殿下があの平民の娘と結婚なさるとは……身分の差という障害を見事に乗り越えた素晴らしい愛ですわね。ええ、殿下のおっしゃる通りフィオナさんはとても良い子です。私もフィオナさんのことは大好きでしてよ。貴族同士の打算に満ちた会話でなく本当に正直にお話してくれて楽しかったです。
フフ、殿下は最初私がフィオナさんをいじめていると思って直訴して来ましたよね。それも今となってはよき思い出です。
はい? フィオナさんを見なかったか? ええ、先ほどお会いしましたけど、それがなにか? ……数日前から行方不明!? それは大変ですね。 どこで会ったか? ああ、あそこですよ、あの崖の上の邸宅……うーん、口で説明するのは難しいですね。そうだ! 私の馬車に乗って行ってはいかがですか? いえいえ、お気になさらず。ちょうど暇していたのです。
しかし、そうなるとフィオナさんが心配ですわね……あれ? 殿下は知りませんでしたか? あそこはちょっとした曰くつきの場所でして。何人か死人が出ているのです。魔物に呼ばれてないといいのですけれど……
どうしてそんな場所で会っていたか、ですか。ああ、殿下はご存知ありませんでしたね。あそこは私の元婚約者のジョアンが買った家なのですよ。あそこからは海がよく見える場所でしてね。それでお話していたのです。本当にいい景色ですよ。今度殿下も招待しますね。
魔物? ああ、ただの風評です。あそこでは昔から崖から入水なさる方が多くて、セイレーンという海の魔物に呼ばれたからではないかと言われているのです。ジョアンが死んだときも本当に何度も耳にしました。
フフ、殿下はお優しいのですね。ジョアンのことはお構いなく。もう一月も昔のことです。それに実をいうと彼のことは嫌いでしたの。お金遣いが下品で自分勝手で思慮が足りない。そんな人だから何も考えずにあんな家を買ったのでしょうね。幼少からの付き合いでなければ婚約なんて……
どうして死んだのか? ただの事故ですよ。夜中で暗くて崖から足を滑らせたのでしょう。海辺の崖は滑りますからね。そういう事故が起きるから海の魔物に呼ばれるのだとか言われるのでしょうね。
フィオナさんのことが心配ですか? 本当にフィオナさんのことを愛してらっしゃるのですね。まあ、確かにジョアンの死には妙なところがありましたけど……
聞きたいですか? 少し長くなりますが、到着まではまだ時間がありますしお話しましょう。
とは言ったもののどこから話せばいいものやら……そうですね、最初からお話しましょうか。
ジョアンの訃報が届いたとき、私は信じられませんでした。当時のジョアンは本当に生命力と活気に満ち溢れていて、学園では道を歩くだけで黄色い歓声が鳴り、ご実家もどんどん影響力を増しているときでした。まあ、私という公爵位の女性との結婚が現実味を帯びてきたからというのもあったのでしょう。
そんな人生の絶頂期にある人間が事故に遭ったなんて聞いたら暗殺を疑わずにはいられないでしょう。まあ、嫌いだったとは言え婚約していた仲なので私も少し調べてみることにしました。
まずはジョアンの遺体の状況です。崖から転落したと聞いていたので細かな傷は特定できないとは思っていましたが、もしかすると何か見つかるかもしれない。そう思って私はジョアンの遺体を見ました。
私は今でもその光景が夢に出ます。遺体は正視に堪えない状態でした。あの地域にはカニがたくさん棲んでいまして。カニというものは死肉でも構わず食べます。発見された時にはジョアンは血の匂いを嗅ぎつけてきたカニたちに食い荒らされた後でした。正直私の婚約指輪を握りしめていなければジョアンだとわからなかったかもしれません。
ああ、安心してください。先ほどお渡ししたカニは今日の朝にとれたものです。万が一にもジョアンを食べたカニではありませんのであしからず。
さて、遺体から探す線が消えた以上、事件当夜一緒にいた人間を探さなければなりません。もちろん知り合いとなれば学友がほとんどになるでしょう。私は使用人に任せず自分で聞き込みに回りました。
するとジョアンは絵をかくことに熱を上げていたことがわかりました。なんでも卒業したら画家になろうと考えていたようで。有名な抽象画の先生に才能があると褒められたのがよっぽど嬉しかったのでしょうね。思い返せば私の屋敷にもジョアンの書いた抽象画が何枚かありました。
抽象画の才能ですか? 私が見るに無かったと思います。私には絵の具をキャンバスにまき散らしただけのようにしか見えませんでした。抽象画の先生というものは相手がお金持ちと見るや才能があるというものですから。
まあ、そのあたりはいいでしょう。ジョアンは学園一の……いえ、殿下がいらっしゃるので学園第二の人気者だったわけです。そんな人間が描いた絵を見に来ないかと言えばたくさんの女性が手を挙げることでしょうね。私という婚約者がいたとしても。
そしてその中で特に懇意にしていたのがフィオナさんでした。……はい、殿下と結婚なさるあのフィオナさんです。覚えていませんか? 殿下にフィオナさんを紹介したのは他ならぬジョアンですよ?
さてさて、なぜフィオナさんと仲良くなったのかと言うと、フィオナさんがジョアンの絵を貶したそうなのです。貶したというのは聞こえが悪いですね。正当な評価を下したと言っておきましょうか。あなたは担がれているだけ、ちゃんとした他の絵を描いてみろと。
有頂天になっていたジョアンは挑発に乗りました。自分は抽象画以外も上手いのだと。まあ、全くそんなことは無かったのですが。
なんにせよ、フィオナさんの言葉によってジョアンはそれまでの地位にものを言わせた偽りの才能ではなく、真剣に絵に取り組むようになりました。描いてはフィオナさんに意見を求め、また描いては意見を求めるという生活をしていたそうです。ときにはフィオナさんにモデルを頼むこともあったのだとか。
……妬けますか? ……ええ、全く以って彼女らしいですね。彼女は的確に人のコンプレックスを見抜く。ジョアンだけでなく宰相様の息子さんや騎士団長の息子さんの心の傷も癒やしていましたからね。殿下は……言うに及ばないでしょう
さて、私はフィオナさんにお話を伺うことにしました。入学当初の平民への偏見を跳ね飛ばし、市民の星になりつつあった彼女に近づくために、私は彼女の帰り道を待ち伏せしましてお茶に誘いました。そしてごく和やかにお話しました。
彼女は終始申し訳無さそうにしていました。フィオナさんは私とジョアンの仲が良いと思っていたようですから、無関係の自分が彼の死に関わっているのが気まずかったのでしょうね。
さて、あの日、フィオナさんはジョアンに見せたいものがあると言われ、崖の上の家に向かったそうです。そして一枚の絵を見せられました。
それはまあ見事なフィオナさんの肖像画でした。慈悲深い微笑みを浮かべている、自分とは思えないくらい美しい絵だったそうです。著名な画家の描いたものにも引けを取らないくらいの素晴らしい作品でした。
そしてジョアンは言いました。俺と結婚してほしい、と。自分のことを本当に理解してくれるのは君だけだ、と。
しかしフィオナさんには殿下という心に決めた人がいます。その時には結婚の話も出ていたそうですね。その上ジョアンは私と婚約しています。当然フィオナさんは断りました。
ジョアンは食い下がります。婚約は破棄するつもりだといって婚約指輪を投げ捨てました。そして殿下は政治上の都合で平民と結婚することはない、遊ばれているだけだと。
フィオナさんは激怒し、こう吐き捨てました。
「最低。そんな人だとは思わなかった。二度と私に近寄らないで」
フィオナさんは逃げ出し、ジョアンは立ち尽くしていました。いつまでも。そして翌日、死体で発見されました。
……ふう、あまり気分のいい話ではありませんね。 御者さん、どうしました? カニの群れが道を埋め尽くしていて進めない? 仕方ありませんね。殿下、ここからは近いですし徒歩で行きましょう。
さて、今の話におかしなところがあると思いませんか? そんな話をした相手とどうして仲良く会っていたのか? あはは、それもそうですね。私が言いたかったのはこうです。
どうして投げ捨てたはずの婚約指輪をジョアンは握りしめて死んでいたのか? です。
おかしいですよね。もし投げ捨てた部分が脚色だとして、崖から転げ落ちているというのにどうして手を使えなくしてでも持っている必要があったのでしょう。フィオナさんに求愛したというなら尚更古い婚約指輪なんて必要ないはずです。
その話を聞いた夜、私は崖の上の家に向かいました。遺体を確認したのは彼のご実家だったので、初めて足を踏み入れました。というのもジョアンは私には家に絶対に入るなと宣言していたからです。
家の中はホコリと画材に満ちてました。たくさんの絵画が無造作に置かれていて、ほとんどは風景画でしたがいくつか人物画もありました。
その中に一際丁重に包装された絵がありました。私はその絵にかけられた布を剥がしました。
私の絵でした。
ああ、そういうことだったのかと、もっと早くここに来れば良かったと、そう思いました。
話は変わりますが、ことに殿下。フィオナさんの結婚相手もまた、市民の関心を得ていることをご存知ですか? フィオナさんは平民の中の星です。上流階級の方々と対等に付き合っていて、果てには一国の王子とも付き合いのある女性です。結婚する相手が誰なのか、賭けにもなっているくらいです。一番人気は殿下ですが、実を言うと二番人気はジョアンでした。
おかしな話ですよね。ジョアンは私と婚約しているのに。まあ、私は公爵令嬢で高慢に見えて市民の人気がないのでしょうね。一国の王子が平民と結婚するのと同じくらい、ジョアンが私との婚約を破棄すると思われていたようです。
さて、フィオナさんは殿下との結婚の話が出ていました。プリンセスになる女性が、他の男性と二人きりで人気のない崖の上の邸宅に通っていたという噂があれば、市民はどう思うでしょうか? 事実がどうだったのかなんて関係ないのです。何があったのかなんて誰にもわからないのですから。
話を戻しましょう。私がその絵を眺めていた時、玄関が開く音が聞こえました。私はとっさに物陰に身を隠しました。私はジョアンの家族から鍵を借りましたが、他に鍵を持っている人間なんてあまり考え付きません。
フィオナさんでした。フィオナさんは私の絵を抱えて外に出ました。私はこっそり後を追いました。
フィオナさんは絵を抱えたまま、崖の前に立っていました。そしてこう呟きました。
「全く、こんなことになるならあのとき一緒に捨てておけば良かった」
ジョアンがどうして死んだのかなんて誰にもわかりません。崖から落ちた婚約指輪を拾おうとして落ちたのかもしれないですし、もしかしたら本当はセイレーンという海の魔物に呼ばれたのかもしれない。過去に何があったのかなんてわからない。そうでしょう?
その後ですか? 私はフィオナさんと少し挨拶して別れました。それだけです。
ああ、最初に先ほどフィオナさんに会ったと言いましたよね? それは少し語弊があったかもしれません。正確には昨晩会った、ですね。この話は昨日の話なんです。
…………それにしてもカニが多いですね。いつもはこんなにはいないのに。どうしてでしょう。
ふふ、そんな怖い顔しないでくださいよ。私は何もしていませんよ。ジョアンが死んだのは事故です。フィオナさんにはなんの関係もありませんから。
ただ、殿下。一つご忠告を。今日ここに行くということを誰かに言いましたか? ああ、私に連れられそのまま馬車に乗ったのでしたね。あの馭者も私の使用人ですし、ここに殿下がいるということは私の他に誰も知らないわけです。
いえいえ、別に何もありませんよ? 私が言いたいのは、過去に何が起きたのかわからないように、未来にも何が起きるか分からないというわけです。
私、ジョアンと違って殿下のことは結構好きな方なのですよ? 私がフィオナさんをイジメてると早とちりして、学友のみんなの前で弾劾しましたよね? あれは面白かったです。そんな殿下だから、私自らここまで連れてきたわけですから。
はぁー、明日の結婚発表が楽しみですね! いったいどんな式典になるのでしょう! そのためには早くフィオナさんを見つけないとですね。
さっ、行きましょうか、殿下。




