① 10000個の不幸
「お願い……僕を殺して」
小さな男の子は母親に向かって呟いた。
「……何しても失敗ばかり……。昨日は僕を苦しめて、今日はもっと僕を苦しめて、明日はもっとずっと僕を苦しめる。こんな毎日に……生活に……、もう疲れた」
母親は俯く男の子を見下ろすばかり。ただの一言だって口にしない。
「もう嫌。もうこんなの、嫌。辛いばっかりで全然楽しくないのに、そんなの誰にも分かってもらえない。とことん周りと反りが合わない。……多分僕はこの世界に産まれてきちゃ駄目な存在だったんだ。これまでも、そしてこれからも、きっと良いことなんか一つだって起こらない」
赤くはらした眼で母親を見る男の子は、だからと言い、
「お願い。少しでも痛みを分かってくれるなら……。こんな欠陥品みたいな僕に、安心して次の世界に行ける魔法をかけて」
言い終えて、震える口で言葉を絞り出し、
「またね、さようなら……、って言って」
ある言葉を母親に懇願した。
それは男の子を現実に繋ぎとめる最後の楔であり、男の子に残されたちっぽけなわがまま心だった。
男の子は再び俯いて、じっとじっと母親の口から出るだろう言葉を待ち望んだ。
何をするにも誰かの許可を求め、顔色を窺い続けてきた末路だった。
しばらくして、沈黙を守っていた母親が口を開いた。
「うんうん。それで、それで? 続きは? ……何、こうくんの不幸物語はもう終わっちゃったの? ねえ、もっと聞かせてよ。自殺するんでしょ、自殺したいんでしょ? あと70年ほど生きられるだろう命を無為にしてどこかに行くんでしょ? 行きたいんでしょ? ……なら、聞かせてよ。もっと、もっと……他の誰もが土下座してでも欲しがる70年……25,550日……613,200時間……36,792,000分の価値に釣り合うくらいの不幸物語を。……そうね、今まで2時間くらい聞いてたったの25しかなかったから……、後10,000個と言いたいところだけど今夜は特別大サービス! おまけが大好きな私は、今晩中に言い終えるという条件付きで1,000個にまけてあげる。だから、ずっと貯めてきた不幸を余さず自慢してみせなさい。そしたら、その時は私はこうくんにあなたがお望みの言葉を言ってあげる。まっ、せいぜい頑張りなさいな。どっからでも捻くりだしてみればいいわ。あなたのつまらない話が終わるまでは、まあ勝負を持ち掛けたのは私だから、私は責任をもってここにいる。ほらほら、どんどん出さないと日が暮れちゃうぞ~」
それから男の子は意地になって、小さなことから大きいことまで様々なことを言った。
幸運に逃げられ続けて不運な目にばっかり合ってきたこと、朝起きたときに足指をベッドにぶつけてしまったこと、友達に見捨てられたことなど他たくさん。
母親は何も言わないで、だけど男の子の顔から目を逸らさずに、じっと見つめ続けた。
次第に不幸自慢は25個から倍に増え、また倍に増え、さらに倍になったがそれでも200個で。
当の昔に深夜を回っていたが、その段階でもまだ全体の1/5しか出せていなかった。
だけど、366個を超えたあたりから、そもそも男の子は不幸自慢するのに飽きてきた。
そして394個付近に達した頃、東の空がぼんやりと明るくなってきた。
428個を過ぎたあたりから、なんてつまらないことで悩んでるんだろうと思うようになってきた。
443個を数えた時、それまで悩んできたことがとてもちっぽけだったことに気が付いて。
457個になった時、とうとう男の子は母親にこう言った。
「僕の負けだっ。だから、お願い。母さんに負けたことを認めるから、お願い寝させて……」
時はすでに深夜3時を大きく回っていて、東の空はより一層輝きを放ちつつあった。
男の子が降伏するかどうかは問題ではなかった。こうしている間にも光は着実に強くなっていく。
少しでも金色に輝く丸い輪郭が出ればその時点で半分にも達していない不幸自慢にさらに10倍のノルマが課せられる。
もう完全完璧までに、一時の感情任せに勝負を受けてしまった男の子の負けなのであった。