Episode.7 教師やってみるか
「なあ、そろそろ突っ込んで良いか?」
これは、一星高校に掛けられた不当な借金を解決しようと、生徒六人が無謀にもジェリオコーポレーションの裏組織のアジトに突撃していき、それを俺が華麗に助け出した日の翌朝──俺の家の一風景である。
『なに?』
俺が朝の支度を整えている最中、呑気に宙をふわふわと浮遊しているお化け瑠衣が、不思議そうに首を傾げる。
「いや、何でお前ここにいんだよ?」
言うまでもなく『ここ』とは俺の家のことだ。
昨晩一星高校で瑠衣と再会した後、瑠衣はさも当然とばかりに俺についてきて、平気で家に上がり込んできたのだ。
初めは俺も何かの冗談かと思ってスルーしていたのだが、今日ベッドで目を覚ますと『おはよー、ミナト君!』と目の前に現れたのだ。
わかるだろうか、朝一番視界に飛び込んだのが幽霊だった俺の気持ちが。
『何でって……他に行くとこないし?』
瑠衣は人差し指を顎に当てて、うーんと考えながら答える。
「いや、そんなノリで独り暮らしの男の部屋に上がり込んできたのか!? 不用心すぎるだろ……」
『え、なになに? 意識しちゃった? 意識しちゃったの!?』
何だろう、少し腹が立つ。昔から、こうやっていちいち意味ありげなことを言ってくるのだ。
「そりゃ意識するね。家にお化けがいて、意識しない方が特殊だろ」
『あー! お化けって言った、私のことお化けって言ったー!』
「おい、それのどこに語弊があるってんだよ」
『幽霊だもんっ!?』
「殴るぞッ!?」
いや、今の瑠衣には実体がないので、拳を喰らわせようとしても身体をすり抜けてしまうだけなのだが、それがわかっていても無性に殴りたい。
「そうそう、お前の妹に会ったぞ? アイツに取り付けば良いじゃんか。オウカの学校に通ってんだから、どうせ独り暮らしだろ?」
俺は、今日もカリスマ教師として学校へ行くべく靴を履きながら言う。すると、瑠衣が黙り込んだので、俺は振り向いて瑠衣を見る。どこか暗い顔をしていた。
『あはは……どうせ私のこと見えないよ。それに、会わせる顔がないというか、気まずくて……』
妹を一人残して先に死んでしまったからだろうか、それとも別に何かやんごとない事情があるのか。
「そっか、なら好きにしろよ」
『うん。ありがと、ミナト君』
そんなこんなで、俺はお化け瑠衣を連れて一星高校に行くのだった────
「お、瑞希?」
「──ッ!?」
校門までもう少しというところ、横断歩道を渡ろうとしたが、信号が赤になったので止まると、隣に朝日を受けて銀髪を輝かせる瑞希の姿があった。
声を掛けるとかなり驚いた様子で視線を向けてきた。
「そ、そんなに驚かなくても……」
「あ、すみません……えっと、おはようございます」
「おう、おはよー」
「「……」」
何だろう、俺ってこんなに会話が下手だったのだろうか。気まずさを感じる沈黙が流れる。
異能はやはり嫌いだが、認めよう、今この瞬間だけ信号を青にする異能が欲しい。そうなると、電気系統の特殊能力になるのだろうか。
チラリと俺の右側に視線を向けると、瑠衣が気まずそうにしている。
(瑞希には見えてなさそうなんだから、別に普通にしてりゃ良いのに……)
「あの、先生?」
「何だ?」
「昨日は、本当にありがとうございました」
瑞希が俺に向かって小さく頭を下げる。
どうやら姉と違って礼儀正しいらしい。
「別に良いよ、礼を受けるために助けたんじゃない」
「あと、先生……」
瑞希が少し頬を赤く染めて、恥ずかしそうにモジモジしている。
「あの後、私が泣いたことは……」
「ああ、わかってる」
「ありが──」
「皆に言い触らせば良いんだろ?」
「違いますからッ!?」
俺は、瑞希が割とからかいようがあることを確認すると、信号が青になったので横断歩道を渡り始める。そして隣を、少し不機嫌になった瑞希が歩く。
校門を潜って、運動場を横断し、校舎に入る。いつものように一年一組教室のスライド式のドアを開けて、足を踏み入れる。
すると、早くも他の五人は登校していて、教室で話をしていた。しかし、俺が入ってくると会話を止めて注目してくる。
「んー、瑞希ちゃん先生と一緒に登校かー、吊り橋効果って本当にあるんだねー?」
遥奈が冗談混じりにそう言ってくる。
変な誤解を生むので止めてもらいたいものだ。
「ち、違います! たまたま一緒になっただけで!」
瑞希は必死に否定する。
ただ、そこまで必死に否定されると、男としては心に来るものがある。
『あ、遥奈ちゃん……ふふ、なつかしいなー』
「ん? ああ、お前もここの生徒だったもんな。友達だったのか?」
『この学校の借金をどうにかしようって、一緒に活動してたメンバーの一人だよ』
「ほへー」
俺は、そんなことがあったのかと思いながら、教卓の下から椅子を引き出す。
すると、生徒達が訝しげな視線をこちらへ向けてひそひそ何かを話し始めた。
「ちょ、前から変な奴だとは思ってたけど……ついに壊れたんじゃない?」
「ん、独り言……?」
「まさかっ、奴には深淵の囁きが聞こえるのかッ!?」
と、聞き取れたのは恵、渚、紅葉の三人の言葉だけだが、俺を異常者か何かだと思ってしまったらしい。俺は実際瑠衣と話しているのだが、皆には俺が一人でブツブツと喋っているように見えたようだ。
確かにそれは恐い。俺も同感だ。
『あはは、馬鹿だなーミナト君は』
(コイツぅううう……ッ!?)
俺は拳を固く握り締めて、怒鳴ってやりたいのを我慢する。ここで怒鳴れば、端から見たらただの『ヤバイ人』だ。違法薬物でもキメているのではないかと疑われかねない。
俺は一つ咳払いし、体裁を整える。
「あー、取り敢えず別の教室使わね? ここはほら……アレだろ?」
俺は六人の生徒に向けてそう言いながら、視線を背後の電子黒板に開いた穴に向ける。当然壊れていて、修理しないことには使えない。
「うぅ、すみません……」
恥ずかしくなったのか、瑞希は両手で顔を隠してしまう。
「何で? 別に壊れてても良いんじゃない? だって貴方使わないでしょ?」
そう言ってくるのは、不機嫌さ100%の恵だ。
「何、今更先生ぶって授業でもしようって?」
『ちょっとミナト君、あの子に何かしちゃったの!?』
「知らねぇーよ、起こりっぽいんだよアイツは」
俺は潜めた声で瑠衣に言う。
「恵、何怒ってるの?」
「怒ってないわよッ!」
「じゃあ私、恵が怒ってるとこ見たことないかも」
「うっ……」
いつも冷静な渚が、恵を宥める。
「で、でもっ……初めは『どうでもいい』なんて言っておいて、今更先生面されても認められないッ!」
恵は赤い瞳で鋭く睨み付けてくる。
正直、俺自身も恵の言っていることは正しいと思う。俺が恵の立場だったら、とても信用できたもんじゃない。
「でも、先生は私達を助けてくれたんですよ?」
菫が恵の方に振り向いて、優しく言う。
「それだって怪しいじゃない! 私達気絶してて見てないし、見たって言う瑞希の言葉が嘘とも思わないけど、どうせ瑞希がほとんど倒しちゃったんでしょ!?」
恵は認めようとしない。
「それについては昨日説明したはずです! 先生は一瞬で九人の男達を倒したんです!」
瑞希が立ち上がって恵に言う。
「一瞬で? そんなわけないでしょ!? 私達全員で掛かっても手も足もでなかったような相手を、コイツがたった一人で倒したって言うの!?」
「そ、そうですよ!」
「瑞希、貴女多分それ記憶違いよ! だって、初日に貴女が放った氷に、アイツは全く反応できずに棒立ちしてたじゃない!」
「それは、私が先生に当てる気がないと覚ってのことで……」
「幻想を持ちすぎよ、瑞希。そんなこと出来るの歴戦の猛者くらいよ」
(はーい、ここに歴戦の猛者がいまーす)
俺は心の中でそんな冗談を言いながら、この言い争いの行く末を見守っていたが、かなりヒートアップして口喧嘩になってき始めたので、そろそろ止める。
パンッ! と両手を一度叩き、視線を俺に注目させる。
「はいはい、喧嘩はそれまでにしてくれ。取り敢えず午前中はいつも通りオンライン授業形式で各教科をやってくれ、そんで──」
俺は片手を教卓に付き、体重を乗せながら若干前のめりになる。
「午後は俺の初めての授業を行う」