第5話
ごほごほ、と喉につっかえたように咳き込むカイリさんは、慌てて紅茶に手を伸ばした。ごくごくとティーカップを空にしてようやく息をつく。
「お、俺が?パンを焼くのか?」
わたしはグラスにお水を注いで彼に差し出しながら、そうです、とうなずいた。
「カイリさんは、このお店でお仕事しようと思って来られたのでしょう?ですから、いっしょに作っていただけたら、美味しいパンになるかもしれません」
「だが、料理は好きだが、美味しいかどうかは…」
彼は口に手を当てて、考え込んでしまった。わたしは思い切って、
「では、明日、ここでパンを作っていただけたらお仕事料をお支払いします。どちらにしても、わたしはこのままではお店を続けられません。どうかよろしくお願いいたします」
椅子から降りて、手をそろえ頭を下げるわたしに驚いて彼もガタガタと立ち上がる。
「いや、金は貰えない。見ず知らずの俺に親切にしてくれたんだ。こうやって貴方が空腹を満たしてくれたことがどんなにありがたかったか。お礼として、ぜひ作らせてくれ」
カイリさんは赤くなりながらもまっすぐわたしを見つめる。だが、わたしもそんなわけにはいかなかった。
「いえ、お願いした以上わたしも、無償で作っていただくわけにはいきません。お金はお支払いします」
「そんはわけにはいかない」
「わたしもです」
妙な緊張がお店のなかに漂い始める。二人とも黙ってしまった。外ではさっきから、お祝いの歌らしい穏やかな旋律が流れている。人間界の小さな街の古びたお店のなかで、睨み合うように立つ精霊族と鬼族の男女。なんだかシュールだ。
ドアの外を彩る煌びやかなランタンの列と対照的な雰囲気のなか、くすり、とちいさな笑い声が張りつめた空気を緩めた。みるとまた、カイリさんが口元を手で隠している。
「す、すまない」
「いえ、わたしも、すみません……。でも、やっぱりお仕事をお願いするので、お金はお支払いさせてください。お願いします」
お店は二階建てになっていて、ぎしぎしいう階段を上ると部屋が三つもあるのだ。奥まった部屋の一つに金庫がおいてあり、なかのお金には『お店の資金』と書かれていた。材料代に使っていたけれど、これで初めて他の使い方ができる。
カイリさんはちょっと考えながら、
「では明日と明後日、二日間一緒に作ろう。明日は貴方へのお礼に。明後日は仕事の依頼として」
それでいいか?と尋ねるカイリさん。生真面目に提案する姿にまた胸の奥がぽわんとしたわたしは、よろしくお願いします、と頭を下げた。