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第32話


 

 ロウルは薄笑いを貼りつけて、カイリさんの腹をブーツで蹴り上げた。よろめきながら立ち上がり、今度はカイリさんに馬乗りになる。抵抗しないのをいいことに、短剣を取り上げてしまった。


「カイリさん!」


わたしを掴む腕を振り払おうと、どんなに強くもがいても数人の兵士相手では敵わない。

これじゃ、このままじゃ、カイリさんが。

焦りと、混乱でどんどん体が熱くなる。こんな時に、頭の回転の遅さを恨むしかできないなんて。どうしようどうしよう。わたしの羽はまだ、使えるだろうか。


「さあ、お返しだ」


自分が殴られた分をきっちり、同じ数だけ顔を殴り返してから、今度は僕の番だ、と何発もなぐったり、蹴ったりと一方的に暴力を振るう。まるで遊んでいるかのようだ。彼はわたしを助けに来てくれただけで、何も関係ないのに。


呻くカイリさんをよそに、ロウルは煌めく短剣を拾い上げ、じっくり眺める。これ、いいねえ。でもすぐ殺すのはもったいないな。彼は悪戯っぽく目を煌めかせて、短剣でカイリさんの頬をすうっと撫でる。ぞっとするような瞳の色を見せて、周りの兵士を呼び寄せた。


「さ、鬼の力、もっと見せてよ。僕の可愛い兵士たちを倒してる間は、彼女の命も延ばせるからね、がんばって」

「カイリさんを傷つけたら、貴方だって妖界から追われるわ!同じでしょ!?やめてよ!!」


声の限りに訴える。


「はぁ?そんなわけないじゃない。僕のやってることは、精霊界の掟の遂行だよ。邪魔してるのはこの鬼だ」



兵士たちはじりじりと間合いを詰めていく。カイリさんはお腹を押さえながら立ち上がり、低い体勢で構えていた。

「はっ」

と気合いの声とともに、地面を蹴る。飛ぶような速さで一人に飛びかかった。剣を振るう間も無く倒れる兵士たち。その都度泥や血飛沫がぴしゃりと舞う。


「わぁ、すごい。さすが…。お前って皇子なんでしょ?なんで人間界にいるんだろうね?こんなに強いのに。でもどれだけもつのかなぁ?」


雲はすっかり払われ、月とともに星までもちらちらと瞬き出す。だがしんとした頭上の空気とは違い、森のなかには濃い血の匂いと、荒い息遣いが響く。


「ぐ……っ、」


倒れても何度も向かってくる兵士たちを相手に、汗が玉のように噴き出し、肩で大きく息をしている。周りの兵士の方が負傷の度合いは大きいのに、カイリさんが致命傷を与えないため、力尽きるまで何度も立ち上がってくるのだ。だが、兵士もカイリさんから逃げることはできない。緑の王子に戦えと言われたら、戦うしかないのだ。彼たちもまた、命運を握られている。ロウルは小さく笑って、自分の剣を抜いた。


「やめて!ロウル!やめて!カイリさんは関係ない!」

「関係なくなどない!」


カイリさんは怒ったようにわたしを見る。苦しげに肩を上下させながら、


「関係あるに決まっている。大事なリエル」

「……そういうのは、だいっきらいだ」


こうしたらどうかな?と呟くと、剣に向かってひとこと呪文を唱えた。剣は緑色に光り、美しい一本の矢へと変化する。「ゆけ!」と放り投げると、意思を持ったように空中で方向を変え、カイリさんへとゆっくりと目標を定めた。

あれは、受けたら危ない。精霊の直感がそう告げる。


わたしの身体を押さえつけている兵士たちは、その戦いに魅せられたように釘付けだ。わたしは思いっきり背中の羽を広げた。



 数年ぶりに広げた羽はふるふると大きく揺れるだけで、とても頼りない。でも、王族だけが持つ真っ青な羽根に驚いている兵士たちを振り切って彼の元へ走った。


カイリさんは立っているのがやっとのようで、傷だらけの大きな肩を抱きしめるようにしがみつく。見上げると、ツノが、彼の大事なツノが、矢を受けていた。綺麗な黒が濁った赤に変わっていく。

わたしなんかのために。


「ごめんなさい、ごめんなさい!カイリさん。わたしの羽は飛べないの。貴方を連れてここから飛べたらいいのに。眠り森の中で力も失ってしまって、今はこれしかできない…」


持てる全ての力を、ぎゅーっと片方の羽に込める。耐えきれなくなった羽は、青く広がったまま、ぱりんと割れた。


「リエル、なにを…!」

「…っやめろっ!王女!!」


カイリさんの驚く声に重なって、ロウルの悲鳴に似た叫びが響く。周りの兵士も目を疑うようにわたしと、わたしの羽を見た。


数千ものかけらになった片羽はきらきらと透明に煌めいて、重なり合いながらカイリさんを包む。彼を覆う小さな膜が出来上がった。これで、もう、誰も傷つけることはできない。わたしは、カイリさんの傷にそっと触れた。


「早く出せなくて、本当にごめんなさい。こんなに怪我をして、わたしのために、ほんとうに申し訳ありません」

「リエル、君、はねが、羽が折れて…」

「ああ、そうなんです。これは羽を折らないとできなくて」

頷いて、背中をちらりと見た。無残にも半透明な骨が一二本みじめにぶら下がっている。彼は声を荒げた。


「俺だって!精霊族の羽がどんなに大事か、もうひとつの命だってことくらい知ってる!なにしてるんだ!寿命も、精霊の証も、何もかも、なくしたんだぞ!」


わたしを責めながら、痛みに顔をしかめるカイリさん。そんなに怒らなくてもいいのに。


「カイリさんだって、ツノが傷ついています。…ごめんなさい」

「こんなの、治るんだよ俺のは!鬼族を馬鹿にするな!そんなにやわじゃない。君のは、きみのは、っ」

「羽なんていいんです。貴方がこれ以上傷つくのが嫌なんです」

「なんて、馬鹿なことを……」


彼はそう言いながら、わたしの方へ倒れ込んできた。顔から血の気がどんどん引いていく。真っ青になって、意識を失ってしまった。


「…カイリさん、カイリさん?」


ざっざっと土を鳴らして、王子がやってくる。


「リエル、君、なに考えてるの?」


今までとは別の怒りを含んだ声にわたしも、冷たく返す。

「どうして貴方が怒るの?羽もなにも、わたしのこと、殺そうとしていたでしょう?」

「自分で羽を折るなんて、聞いたことがない。自殺より殺されるより、もっとひどいよ。王族の羽、なんだと思ってるの」

「だって、羽より大事なものがあったんだから、仕方ないじゃない」

「精霊の羽は、二度と生えないし、もうなんの力もない。精霊族でも、人間でもない、ただのかわいそうな生き物だよ、君は。こんな男のために」


意識のないカイリさんを抱きしめる。


「貴方とは違うのよ。王子。貴方みたいな腐ったやつとはカイリさんは、違う」

怒りで、声が震える。

「失礼なこと言うね、王女さま。そちらもこちらも、同じ穴の狢では?」


彼はわたしの首に手をかけた。怒りで薔薇色の頬が紫になっている。


「精霊族がみんな戦争を望んでいるわけじゃないことくらいわかっているでしょう。みんな、大事な人がいるのに戦っていた、精霊王とかいうくだらない称号のために。何千年も。貴方とわたしはたしかに同じ穴の狢かもしれない。けれど、貴方のお父様はそれを変えようとしているんじゃないの?息子のくせにわからないの?この馬鹿」

「……なに?」


ふるふると震える形のいい唇を蔑むように見上げる。


「貴方のお父様は、復讐に怯えるような支配を止めようと、一歩踏み出された。わたしは復讐なんてしない、そう信じて、彼は敵の王族を生かしたのよ。はじめはなんでこんなことするのかなんてどうでもよかった」

「お前なんかに、なにがわかる… 眠りの森で寝ていただけだろう。お前はその間になにがあったかも、自分の記憶さえもどんどん忘れていってたはずだよ」


首を押さえつける手に力を込めて早口で、


「あの森は強力な魔力に守られている。なかで過ごせば、その身は安全だが、やがて何もかもわからなくなる。その間にお前は脳みそまで溶けたんじゃないのかい」

「彼は古くからの馬鹿げた掟をやめたいだけよ!貴方のお父様は、戦争は終わったのにわたしの父の首をはねたと言っていた。争いに負けたからって自分の親友を手にかける必要なんてないでしょう!」


彼の悲しい瞳が蘇る。父様、ねえさま。みんな。


「精霊界で二度と誰にも、そんな思いさせたくないから、わたしを生かした。誰かがやらなくちゃ、なにも始まらない。何百年かかろうと、今の精霊王はこの馬鹿げた殺し合いを変えていくはずよ」

「無理だよ。そんなの。殺さなければ殺されるんだ」


彼が少し、肩を落とした気がした。掴む手の力が僅かに緩む。

「お父様を信じて。手伝ってあげてよ。ロウル」


彼は言葉に詰まった。


「それに、…わたしのこと、これでも妃にできる?」

「そんなことしたら、化け物扱いされるよ、僕も、君も。自分の羽を折った王女なんて、前代未聞だ」


わたしは腕を回して折れた羽の残りを根元から引きちぎった。乾いた音を立てて、根元がポロリと落ちる。わたしは手のひらにそれを乗せた。小さな石の塊はすこしだけ、光を放っている。彼は呆れたようにそれを見つめて、ため息をついた。


「じゃあ、殺すのも、諦めてくれる?」

「精霊族でも、人間でもない。ただのリエル。そんな首に、価値なんてあるのかい?」


ロウルは首を振って、諦めたように片手を上げた。兵士たちが立ち上がろうともがく。ふてくされたように、


「僕は、謝らないよ。間違ったことはしていないからね」

「そうかもしれない。でも、カイリさんを巻き込んだのは許さない」


君なんかに許されなくたって、痛くも痒くもない。


紫色の剣をこちらに投げて寄越した王子は、傷ついた兵を一人残らず連れて、黒い森から引き上げていった。



あと二話です。もう少しだけ、おつきあい頂けたら嬉しいです!

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